第21話

「待っていたよ。今すぐとって食うたりはせん。さあさあ、入りなされ」

 皺のある浅黒い顔には軽く笑みが見て取れた。優しそうに見える。


 上がりかまちで、りんは足濯ぎが用意されていることに気付いた。履物を履かずにいたので、足には土がついている。鈴たちが尋ねてくることを知っていたのだろう。

 鈴は足を濯ぎ、手拭いで拭くと、茶の間へと上がった。銀はもうすでに座していて鈴は隣へと腰を下ろす。

「銀、面白い子を連れて来たね。だが、厄介だよ。人の血を引いている者が鬼と共にいる事が災いをもたらす。もうすでにひと騒動あったのであろう。それで、この婆に泣きつきに来たのか?」

 皺の中に埋もれた眼球は鋭く、力がある。だが、邪気の強さは外で感じたほどではない。

「お前が困っておるということは、蒼子そうしが絡んできたのでは? あ奴も歳。女子おなごを好かぬとはいえ、子を授かるにはやはり必要じゃ。一度きりでも貸してやることはできぬか?」

「できぬ。我には何より大切なのだ。貸すなどとはあまりの言いよう。婆はやはり蒼子の肩を持つのか?」

「婆には蒼子もお前も同じこと。誰の味方でもない。じゃが、鬼の血を絶やすわけにはいかぬ。お前はまだ若い。この女子でなくともよいではないか」

 ここでも、鈴が駆け引きの対象となっている。自分はただ黙って事の成りゆくままに流されるだけなのか。

「婆。知恵を貸して欲しい。鈴を誰の手にも渡すわけにはいかぬ。どうしたらよいのだ? 蒼子はどこまでも鈴を奪いにやってくるだろう。ここに匿ってもらうわけにはいくまいか?」

「戯けた事を。蒼子が婆の言うことなど聞くものか。母であるこの婆でさえ手にかけるであろう。欲しい物は何としても手に入れる。しかし、よくお前は無事にここへ来られたな? 蒼子と出くわしたのであろう」

 蒼子という鬼が本気で鈴を奪おうとするなら、銀の命を取ることなど、造作もないこと。鈴は改めて蒼子のことについて考えてみた。確かにあのとき、銀を殺して鈴を連れ去ることもできたはず。だが、そうはしなかった。

「娘よ。お前、蒼子に何か言ったのか?」

 おん婆にそう聞かれたが、特別なことは何も言ってはいない。何が蒼子の気を変えたのだろう?

「わたくしは、あの鬼の喉に刀を当て、ついて行くつもりはない。そう言ったのです」

おん婆はそれを聞いて少し納得したようで、

「そうか。お前、蒼子に気に入られたのであろう。命乞いをするような者を、あ奴は嫌うでな。お前の言葉で少し気をよくしたのだ。だが、次に会う時が怖いでな。お前が承知しなければ銀は殺される。お前ももしかしたら……」

 その言葉のあとは言わなくとも理解できた。

「では、どうしても蒼子と決着をつけねばならないということか」

「銀、お前に蒼子を殺れるか?」

「どうかな? あいつも歳だからな。もしかしたら……。だが、よいのか?」

「良いも悪いもなかろう。お前の好いた娘を奪おうとしているのは蒼子の方。たとえお前に殺されようと、それも定め」

 鈴はおん婆に母としての一面を見た。

「ここを離れる方がよかろう。蒼子はお前たちがここにいることを知っておる。気まぐれじゃから、明日来るやも知れぬ。ひと月先になるかも分からない」

 そう言って、おん婆は一つの風呂敷包みを持ってきた。

「娘よ。これに着替えるがよい」

 風呂敷を広げると、白地に濃紺の花模様の着物と帯が綺麗にたたまれている。

「これをわたくしに?」

 鈴が聞くと、おん婆は頷いた。着物を抱え、なるべく部屋の隅で着ているものを脱ぐと、銀の目が気になり、そちらを向いた。彼は静かに外へ出て行くところだった。鈴に気を遣っているのだろう。

「銀は相変わらずじゃ。あのように初心なのは人の血が混ざっておるからじゃろうな」

「人の血? それはどういうことですか?」

 鈴は着物を着こむ手を止めて、おん婆に詰め寄った。

「知りたければ、それをきちんと着てからだよ」

 鈴はあられもない格好であることに気付き、慌てて着物を着るとそこへ座った。

「銀の父君は、あの金の鬼ということは聞いております。では母君が人であったと言う事ですか?」

「そうじゃ。お前によく似た気丈な娘であった」

 鈴はその言葉に、母の雪を思った。

「銀の母は、雪ではないぞ。鬼世士郎きよしろうはお前の母、雪のことも好いておったよ。じゃが、それは最近のこと。銀の母はもう百年以上も前に死んでおる。銀を産んですぐのことじゃったそうだ。やはり人が鬼の子を産むことに無理があるのだ」

 鈴の心を読むかのように、おん婆は答えた。鬼世士郎、それが金の鬼の名前だと、このとき初めて知った。

「もう支度は出来たね。さあ、お行き。ここから丑寅の方角へ向かえ。婆の知り合いがそこにはおる。気難しい爺さんだ。会えば分かる。急いだほうがよい」

 そう言って、おん婆は鈴を急き立てた。

「履物はこれをお使いよ」

 おん婆が青い鼻緒の草履を三和土たたきに揃えて置いてくれた。表に出ると、銀は山の下方を見つめている。

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