第19話

 りんは邪気の消えた里を離れようとした、その時。

「見事。惚れ惚れするねぇ。やはり、あなたを諦めることは出来ない。銀について行くのはよしなさい。不幸になるだけですよ。私とあの山で暮らそうではないか」

「またお前か。小鬼どもに里を襲わせたのもお前か?」

「そうだと言ったら、私を殺すのですか?」

 そう言って、りゅうは薄く笑っている。

「殺してほしけりゃ殺ってやるぜ」

 銀が民家の屋根から飛び降りて、鈴の前に出た。

「我にも仕掛けてくるとはな」

「当然だろう。鈴を連れて行くのを黙って見過ごせはしない」

 龍は勇んでそう言ってはいるが、鬼の銀に敵うはずもないのだ。

「龍。お前はおとなしく山へ帰れ。でなけりゃ本当にお前を殺るしかなくなる」

 銀は困っている様子だった。龍を殺す気などないのだろう。

「わたくしが相手になろう」

 鈴は龍にそう言って刀を構えた。

「私は別に戦うつもりはないが、あなたがどうしても銀について行くというなら仕方がない」

 龍は懐から小さな筒を取り出し、唇に当てた。鈴は微かな風を感じた。

「奴め。厄介なものを呼び寄せた」

 厄介なものとは? 聞こうとしたが、それより早く答えが分かった。旋風が吹き、それが収まると、そこには蒼い髪の鬼が立っていた。その頭には気高くそそり立つ一本の角。真っ白な着流しが良く似合っている。

蒼子そうし。我に構うな」

「いいえ、お前じゃない。私はそのむすめが欲しい。この年になると、そろそろ子が欲しくなる。人と交わるわけにはいかないが、その娘ならいい。鬼の血を引いている。そんなひよっこより、私の方が良いぞ」

 蒼子と呼ばれた鬼は何を言っているのだろう?

「蒼子が男以外の者を欲しがるとはな。驚いたぜ」

 銀の言葉からすると、この蒼子という鬼は、女子おなごではなく、男が好きと言う事になる。鈴にはそれがどんなことなのかさえ分からない。それと、気になったのは、蒼子が言った言葉の中の『鬼の血を引いている』というところ。鈴はやはりそうなのかとうなずけた。自分の能力が並ではないことが、これでやっと納得できた。

「鈴は誰にも渡さぬ。たとえお前が欲しいと言っても駄目だ」

「そうか。それでは仕方がない。お前を殺さなければならない。そうしてまでも、私はその娘が欲しい。他にはいない貴重な娘だからな」

「待って。銀を殺すというのは本気なのですか? あなたたちは仲間ではないの? 鬼が鬼を殺して何になるのです」

 たまらず、しゃしゃり出てしまったが、蒼子の興味そそる事となった。

「お前、やっぱり思ったとおり、面白い娘だ。気に入った」

 そう言って蒼子は風を使って鈴に近付いた。それを阻もうとした銀の喉元に蒼子の長い爪が軽く食い込む。

「銀、お前、私に敵うと思っていないだろう?」

 白い喉からつーと赤い線が胸元まで流れた。銀でさえ敵わないこの鬼。一体何者なのか? 銀の父である、あの金の鬼でも敵わない相手なのだろうか? 息子の危機にもしかしたら助けに来てくれるのでは。と考えたが、そう甘くはない。

「俺はここで死ぬわけにはいかない」

 銀は蒼子の腕を掴んでいて、爪がそれ以上食い込むのを止めている。

「娘よ、私と一緒においで。そうすれば小僧を殺さなくて済む。お前もその方が良いだろう?」

 蒼子は片方の手で鈴の身体を抱き、耳元に囁いた。

「鈴……」

 銀は鈴の名を呼んだ。蒼子の言う事を聞くことで、銀の命が救われるならその方がいい。そう思ったが、鬼がまともに約束など守るはずもない。鈴はこの蒼子という鬼が信用できない。先ほどから握り締めていた刀を逆手に持ち替え、蒼子の喉に当てた。この鬼もまた美しい容姿だが、そこには温かみが微塵もなく、ただ冷ややかな風が彼を取り巻いている。

「大人しくお前について行くつもりはない」

「分からない娘だね。お前は死にたいのか? そんなものでは私を傷つけることなどできはしない」

 蒼子は冷たく微笑み、鈴から身体を少し離し、哀れな娘を見つめた。そして、銀に当てていた爪を納めると、

「しかし、これではお前に手が出せない。殺してしまうわけにはいかぬ」

 蒼子は少し困った顔をした。それから、一呼吸おいて、

「仕方がない。今日は見逃そう。銀、お前、この娘を大事にしろ。死なせるようなことがあったら許さない。娘よ、近いうちに迎えに行く。どこにいてもお前の居場所ぐらい分かるのだから」

 そう言って、蒼子はまた旋風を起こして消えていった。

「銀、お前も悪運の強い奴。だが、今度会った時がお前の最後になるだろう。蒼子もあれで歳だからな。本気で子を欲しがっている。血を絶やしたくはないのだよ。鈴のことは諦めた方が良い。お前も命は惜しいのだろう? 鈴、あなたも強情を張っていると銀の命が絶える事になる。現状をよく見極める事ですよ」

 そう言葉を残して、龍も陽炎のようにゆらりと姿を消した。

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