第18話

 銀は山の中腹辺りで、走る速度を落とした。しばらく行くと、あの湖が見えて来た。

 銀はそこで止まり、りんを肩から降ろした。

「鈴、ここから上は特別なところだ。人であるお前にとって、あまり居心地のいいところではない。我はこの山にこだわらぬ。他で暮らしても良いが、お前はどうしたい?」

 そう言って、銀は草地に座った鈴の傍らにしゃがんだ。居心地のいいところではないというのは、あの醜い鬼どもがたくさんいるということか? 確かに鬼に囲まれて暮らすのは難しい。自分は奴らにとって獲物でしかないのだから。だが、銀も鬼である以上、いつかは自分も食べられてしまうかもしれない。しかし、彼のそばにいられるのならば、それでも構わないと鈴は思った。

「鈴、やはり人が恋しいか? 鬼は嫌いか?」

 鬼だというのに、銀はどこまでも優しい。ここまで鈴に気を遣ってくれる。もしかしたら、これが鬼の手口なのかもしれない。

「わたくしはあなたと静かに暮らせるのならどこでもよい」

 鈴はそう言って銀を見つめた。彼もまた鈴を見つめる。鈴の頬は火照り始めた。これほどまでに銀を近くに感じたことはなかった。白くしなやかな銀の手が、鈴の頬を撫で、うなじへと移る。身を引き寄せられ、抱きすくめられた。芳しい香りと温かみは、どこかで感じたものに似ている。

「我と暮らすか? 人にあらぬ者と」

「ええ。あなたが人でなくともよい。わたくしも人ではないようだから」

「それは好都合」

 銀は鈴を肩に担ぐと、再び走った。

「どこへ行くの?」

「この山の向こうへ行くのだが、頂上は避けた方がよいのだ。奴がいるからな」

「奴とは誰のこと?」

「親父だ。知っているだろう?」

「金の鬼のこと?」

「そうだ。あいつに会うと面倒だ」

「どうして? 親子ならここを出て行くことを伝えた方がよいのではないか?」

 鈴は親子という関係が、どこも同じであると考えていた。

「あいつとは関わらぬ方がよい。お前のためだ」

 鈴は、お前のためだということの意味が分からなかったが嬉しかった。それにしても、なぜ銀は父親のことを避けようとしているのだろう? それほど悪い奴とも思えなかった。


 銀は山の向こう側に出て下っていった。もう陽が暮れてあたりがはすっかり闇に包まれている。その先に民家の灯りが見えて来た。

「人里だな。あそこは避けて通らねば」

 銀はそう言って暗闇の中を走った。そこへ何かの気配が感じられた。鬼だ。いくつもある。そればかりか、人里の方にも邪気が感じられ、悲鳴が聞こえてきた。ただごとではない。

「銀、降ろして。人が襲われている」

「里へ行くのだな?」

「そうよ。放ってはおけない」

 人の声のする方へ鈴は駆け出した。腰に差した刀を抜き、視界に入った鬼という鬼を斬り倒していった。

「惨いことを……」

 鈴は言葉にならない。無残に食い殺された女のそばで、泣きはらした幼子がしゃがみ込んでいる。鈴の後ろにはゴロゴロと、醜い塊が幾つも落ちていた。生きている鬼はもういないだろう。

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