第17話

 その時、部屋の障子から風がスーと入り込み、それと同時に薄浅葱色の人影が現れた。

「銀」

 りんが呟いた。

「泣いておる」

 銀はそう言って二人に近付き、正尚を片手で払いのけた。鬼に背を向けていたとはいえ、その飛ばされ方は尋常ではなかった。正尚は襖へ頭からのめり込んでいる。しかし、鬼討ちの頭領である正尚は、すぐさま体制を整えた。武器となる物は、腰に差した短刀しかなかったが、それを構えて銀を睨みつけた。銀はそれを気にせず、鈴に近寄り、

「着物を直せ」

 そう言って、鈴の前にしゃがみ、

「泣いておる」

 と、鈴の涙を手で拭った。白く滑らかな手が涙で光り、いっそう美しく見えた。


 そこへ、目の血走った正尚が、銀の背中に短刀で襲い掛かったが、正尚の手は銀に掴まった。その素早い動きに、鈴は声をかける事さえも出来なかったが、銀に怪我がなく安堵した。

「鈴は我が貰っていく。お前は女子を泣かせる」

 銀は正尚の手を掴んだまま、鈴をひょいと肩に担いだ。鈴は短くなった裾を気にしながら、ひしと銀の肩にしがみついた。

「おのれ……」

 正尚は捩じ上げられた腕の痛みをこらえて、声を絞り出した。

「鬼だ! 鬼が屋敷に入り込んでおる」

 その声を聞きつけた鬼討ちらが、駆け付けたが、肩に鈴を担がれ、若頭領を捉えられ、身動きが取れずにいた。

「何をしているのだ。早く奴を討て」

 そう言われても刀を振るえば、鈴と正尚までも斬りつけてしまう。矢で鬼だけを仕留める自信は誰にもなかった。


 銀はそれを承知か、二人の人質を連れ、屋敷の塀へと飛んだ。そのとき、正尚だけは地面へと墜落、背中から落ちて低く呻いた。鬼討ちらは正尚の指示が出るのを待っているのか、ただ呆然と、事の成り行きを見つめている。

「何をしておる。奴を殺せ!」

 正尚は強く打ち付けたらしく、声が出るまで時間がかかった。すでに銀は山へと入り、後を追うことは出来なかった。

「なぜ、すぐ追わなかったのだ!」

 体を起こし、何とか立ち上がった正尚が、鬼討ちらを軽くいさめた。鬼をのがしたことは正尚にとって、どうでもよいことだった。鈴に強く拒まれた事の切なさが、今の彼の心を埋め尽くしていた。そして、銀の鬼への復讐心が増していく。


 山へ入った銀はねぐらへと向かっていた。

「銀、どうして屋敷へ来たのですか?」

 肩に担がれたまま鈴は聞いた。

「お前が我を呼んだから」

 鈴はそれを聞いて驚いた。確かに彼の名を口にした。しかし、それはとても微かな声。誰の耳にも届くはずもない。だが、鬼の耳には聞こえるのかもしれないと鈴は思った。それにしても、呼んでから現れるまでが、あまりにも早すぎる事に、鈴は気付かなかった。

「また助けてもらった。あなたがわたくしをさらうところは皆が見ていた。もう屋敷へは戻れない」

 鈴はそれを少しも哀しいとは思わなかった。

「我がお前を貰って来たのだ。返す気などない」

 鈴は銀のその言葉に温もりを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る