第14話

 銀の鬼はりんを外へ連れ出した。そこには水の入った桶が置いてある。鈴がしゃがみ込んで肩の傷口を洗い始めると、

「そこの沢で汲んだ清い水だ」

 鬼はそう一言言った。

「お前、なぜわたくしを庇ったのだ?」

われがそのようなこと……。奴らについ背を向けてしまっただけのことだ」

 そう言って、鬼は少し視線をそらした。鈴はその仕草に、照れを隠す童子のような純なものを感じた。

「わたくしを置いて行けば、そのような傷を負うこともなかっただろうに」

 銀の鬼はおもむろに袖から腕を抜き、上半身を露わにした。

「傷というのはこのことか? 大したことではない。そのような気遣いは無用だ」

 確かに、その白く滑らかな背中には矢の跡が残されてはいたが、傷口はすでに塞がっている。


 鈴は濡れた腕を残った袖で拭って立ち上がった。

「お前は素直ではないな。気の優しい鬼がいても良いと思うが?」

 鈴は銀の鬼に何か惹かれるものがあった。それは容姿だけではない、心にだと気付き始めていた。以前の鈴ならば、鬼に心があると考える事さえ皆無だった。鈴の言葉に鬼は何も答えようとはしない。自然な流れのように、自分の着物の端を裂き、鈴の肩の傷に巻いた。

「お前、もうこの山から出て行け。ここに人がいては迷惑だ。命は惜しいだろう? 我は鬼だ。夕べはお前を食ろうてやろうと連れて来たが、血を流しすぎていて、出来なかっただけのこと。今ここでお前の心の臓を抉り出してやってもよいが、手傷を追っている女子おなごを食らうのは情けない。そういうことだから、今は何も言わずにここから立ち去れ」

 そう言って、鬼は鈴を払いのけるように手を振った。

「分かった……。その前に一つ言っておきたいことがある。わたくしには鈴という名がある。お前ではない」

 もう会うことはないかもしれない。そう思った。だからこそ、最後に名前で呼んで欲しい。それが鈴の思いだった。

「鈴、そろそろ普通の女子に戻れ。我のような化け物とは関わるな」

 鬼らしからぬ言葉に鈴の心が揺らぐ。このまま別れなくてはならないのか? そう思うと淋しくて悲しい。

「銀の鬼。お前にも名があるのだろう? 何というのか教えてくれまいか?」

 せめて名前が分かれば、彼がそばにいなくても心で想うことが出来る。

「名などない。だが、我を知っている者はぎんと呼んでいる。お前もそう呼んでくれて構わぬぞ」

 鈴はそれを聞いて少し嬉しく思った。別れは辛かったが、山を下りなければならず、その場を去ろうとした。

「鈴!」

 銀に背を向けて歩き出したところを呼び止められた。鈴は振り返り、銀の次の言葉を待った。銀は小屋にいったん入り、何かを持って鈴に歩み寄った。

「忘れ物だ。昼間とはいえ鬼に出くわすかもしれない。これがなければ困るだろう?」

 そう言って鈴に手渡した物は、鈴が使い慣れた刀と、弓矢だった。この山に入る時に身につけていた物。だが、夕べの騒ぎで、どこかへ置いてきてしまっていた。銀はそれをわざわざ探してきたのだろう。

「ありがとう銀。見つけてくれたのですね?」

 鬼というのに、銀はあまりにも親切で、人となんら変わるところがないように思えた。鈴は心の中で別れを惜しみながら、山を駆け下りた。

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