エピローグ :




「おい、犬。こっちに来い」

「はい!」


 初代様が俺を呼ぶ。俺はそれに「はい」と返事をする。


 俺達の旅は、完全に終わりを迎えたのだ。



        〇



 結局、俺達勇者一行は魔王を倒す事が出来なかった。

仲間は全員地に伏し、勇者の俺に至っては、魔王に土下座するという、地獄絵図が繰り広げられる中、魔王は……いや、初代様はエクスカリバーを捨てた。


 カランと床に剣の落ちる音がする。

それと同時に、初代様の全身を包んでいた真っ黒い甲冑が消え去っていた。目の前に、一緒に旅をしていた頃のままの初代様の姿が現れる。


『犬、やっと戻って来たか』

『初代様……?』


初代様の驚くほど熱っぽい視線が、俺の視線を絡めとる。初代様の手が、スルスルと優しく顎の下を撫でる。気持ち良い。


『ここまで、長かった』

『……?』


なんだろう。コレが、闇落ちしている人間の目だろうか。それにしては、その目は余りにも幸福と肉欲に満ちている。

 そして、初代様はなんて事ない顔で言った。


『腹減った。おい、犬。メシ』


 それを聞いた途端。俺は、とっさにいつもの返事をしていた。


『はい』


        〇


 そして、現在。

 俺は仲間達に別れを告げ、この魔王城で初代様の身の回りの世話をして暮らしている。とても、毎日が楽しい。充実している。人生で、一番楽しいかもしれない。


「あ、あの。初代様、何をしましょう」

「俺の上に乗れ」

「どのように乗ったらいいでしょう」

「あー、めんどくせぇ。分かんだろ」

「あ、すみません。えっと、分かりません」


 俺の察しが悪いせいで、初代様を苛つかせてしまった。ただ、その顔を見てみれば、それほど怒っている訳ではなさそうだ。良かった。

 その言葉に、俺はソファに腰かける初代様の上に跨るように座った。これで合っているだろうか。


「おい、ちゃんと体重をかけろ」

「そんな事をしたら重いです」

「こんなひょろひょろのテメェのどこが重いんだ。」


 言われた通り腰を下ろした瞬間、初代様がボソリとした声で「重い」なんて言う。その言葉に、とっさに体をどかそうと体をよじった。なんだ、やっぱり重いんじゃないか。


「勝手に動いてんじゃねぇ」

「でも、今重いって」

「……重いのがいいんだろうが」


 初代様はソファの背もたれに体重をかけながら、俺の後頭部に大きくて暖かな手を添えた。ゆっくり撫でられる。気持ちがいい。


「あー、犬。お前、ここに“居る”な」

「はい」

「急に居なくなりやがって。俺があの後、どんだけ大変だったか」


 初代様の首筋に顔を埋めながら、耳元で響く声に耳を傾けた。すぐ近くに見える初代様の耳はもうずっと真っ赤だ。

 そういえば、あれよあれよという間に、今のような状態になってしまってはいるが、初代様はどうして魔王になんてなったのだろう。


 きっと、よっぽど辛い事があったに違いない。


「あの後、何があったんですか?」

「あ?食えねぇ飯ばっか出されるし。お節介女はずっとお節介で面倒クセェし。別の女抱いても、やっぱ女は大した事ねぇし。王様なんて面倒くせぇだけだったし……」


--------お前は居ねぇし。


「っ!」


 耳を疑った。俺が居ない。初代様の中での「大変な事」の中に、俺が入っている事が驚きだった。そうやって驚きを隠せずに居る俺の耳に、初代様の言葉が続く。


「お前は呼んでも来ねぇし。お前の飯は食えねぇし。お前を抱けねぇし。お前が居ないと落ち着かねぇし。お前の声が聞こえねぇと腹立つし。お前じゃないヤツを抱いても、全然気持ち良くねぇし」


 おおよそ、初代様とは思えない程、弱弱しくボソボソとした声だった。そして、俺の真横にある初代様の耳は、これまで見た事がない程に、真っ赤に染まり切っていた。これは、大丈夫だろうか。


 しかし、まだまだ初代様の言葉は続く。


「探しても探してもお前は居ねぇし。お前の部屋にあった本を調べてみたら、どうやら俺の時代のモンじゃねぇ事が分かるし。調べて調べて調べて調べて。お前がスゲェ未来から来た俺の子孫だって事が分かるし。またお前に会う為に、この時代まで……死なねぇ為に、悪魔と契約して魔王になったし」


 なんだか、凄い事を言われている気がする。というか、初代様はたった一冊の本を手がかりにして、全てを調べ尽くしたというのか。

 そりゃあもう、さすがというか何というか。


「え?」


 待て、じゃあ何だ。初代様が魔王になったのは、もしかして――。


「お前が居なくて、さみしかった」

「っ!」


 俺の背中に初代様の手が回され。俺の体に縋るようにしがみ付かれた。この人は、俺なんかよりずっと大きいのに、随分小さく感じた。


「俺に会う為に、初代様は魔王になったんですか?」


 返事はない。

けれど、俺を抱き締める腕に更に力が籠ったのが分かった。初代様の耳は、もう言わずもがなだ。俺は何も指示を受けていないにも関わらず、初代様の背中に腕を回した。余計な事をして怒られないだろうか?なんて、そんな野暮な思考は、俺の脳内には欠片も生まれてこない。


「初代様」

「なんだ」

「さみしいおもいをさせて、ごめんなさい」

「そうだな。でもいい。もう仕置きも終わった」

「え?」


 初代様は静かに言うと、俺の服の中に手を滑り込ませた。結婚式前夜に約束した“たまには”が、やっと俺に巡って来た。


「この腹の傷は、一生消えねぇだろ」

「はい」

「痛かっただろ」

「はい」

「……じゃあこれで、許してやるよ」


 初代様はそれだけ言うと、そのまま俺を押し倒して触れるだけのキスをした。目の前に映る初代様は、耳どころか顔中真っ赤だった。でも、それは俺も同じだ。


「犬、お前顔真っ赤じゃねぇか」

「はい」

「可愛い犬」

「はい」


 あぁ、嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい。

今が人生で一番楽しい。なにせ、そうなのだ。



 初代様には、俺しか居ない!



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