最終話 スクリーンヒーロー

「いたた……やっぱり折れてますか?」


「『いたた』なんてもんじゃない!……ひどい傷だぞこれは……」


ポドセスパンデリ劇場の医務室。

それなりに、設備が揃った大きな劇場であったのと、同じように見学しに来ていた舞台好きの医者がいたのが運命的だった。

血と汗と、砂に埃……オマケに降り出した雨と…とにかく見るも無残に汚れたスーツを脱ぎ捨て、セレウスは裸で処置を施されていた。


「致命的に出血がひどい所はない……だが、切創に刺創……それに肋骨もおそらく折れている!なぜ、救急車を呼ばんのだ!今からでも行くべきだ!なにがあったんだ?」


救急車は困る、せっかくここまで来たんだから……

そうかぶりを振ると、胸から激痛がした。

正直、セレウス何をしていてもつらかった。


「ガ……ガス爆発ですよ。ほら、少し前に中継してたでしょ?町はずれの倉庫街で……ちょうど外回りだった時でそれに巻き込まれたんですよ」


「‥‥…爆発事件、ねぇ……」


本日推定午後7時頃。

町はずれの倉庫街で大規模な火災が発生した。

近隣からは爆発音なども聞こえており、倉庫に保管された何かが原因らしいのだが、鎮火作業に非常に難航しており、現在も云々…。


「外回りって、キミはなんの仕事をしているんだ?」


「……保険屋ですよ。世にも珍しい、屋根も直せる保険屋です」


「…………そうか。珍しいタイプの保険屋なんだな」


セレウスはその後目を伏せたまま何も言わなかった。

対する、この医者もこれ以上何も聞かず、ただできうる限りの治療を施していた。

しばらくすると、医務室の扉が開いてノエルが入ってきた。

両手にスーツ一式が下げらている。


「どうですか、マクロプス先生。セレウスの様子は」


「ああ、うん。そうだな……」


ちらっとセレウスと目が合う。

ジョン・マクロプスは、一瞬ためらってしまった。


「先生?どうしたんですか?」


「あ、ああ……いや、だよ。ただ、こんな治療だけじゃよくない。絶対だ。今後も考えて、病院には行った方がいい」


「そうですか!ほんと、心配したんだから!あなた血だらけのずぶ濡れでくるんだもん。何かあったのかと……」


ノエルの目端に光るものがあった。

声もどこか詰まっている感じだった。


「……なにも心配いらないよ。何もね。‥‥…ねぇ、それは?」


セレウスはそういいながらそっと彼女の髪を撫でた。

鼻をすすって、笑顔を取り戻したノエルが手にしたスーツをセレウスに渡す。


「あ、ああこれ!衣装のスペア。ネクタイはないけど、裸よりはいいでしょ?あなたいつもスーツだから‥‥…」


包帯やらガーゼやらで、もう裸とも言えなかったが、セレウスは改めて自分が何も着ていないことを気づいた。


「そういえば……ああ、ありがとう。……あいたっ……はは、さすがにちょっとね………ッッッ……ね、ネクタイが無くて逆によかったかも、なんて……」


痛みを必死に取り繕う、セレウスの顔はどこか白くて、汗に濡れている。

マクロプス医師も、いっそう渋い表情で、スーツをなんとか着ていくセレウスを見守っていた。


「ねぇ……あなた、本当に大丈夫?やっぱり何か……」


「‥‥…こんな姿じゃ信じられないかもしれないけど、おれは今とっても気分がいいんだ。ここに来れたのもそうだけど、やっと決心したんだ」


セレウスは力なく、しかし本当にさっぱりとした笑顔をノエルに送った。

あまりにも、気味の悪いくらいさっぱりとして、ノエルに別の不安が襲い掛かってくる。


「な……なんのこと?」


「おれ、転職することにしたよ」


「て、転職!?えっ‥‥…どういう流れ!?!?」


不安は襲ったが、それよりも強い驚きが塗りつぶして、結局ノエルはなんともマヌケな顔をしてしまう。


「やっぱり、保険屋なんて向いてなかったんだよ。やりたいことを見つけて、やってみて‥‥…迷惑かけるかもだけど、もう決めたんだ。……最近実は、後輩が亡くなってね。それが一段落したら、おれは転職する」


「め、迷惑なんてそんな‥‥…あなたがそう決めたなら私に、何かを言う資格はないもの。どんなあなただって……これは前に言ったけ?」


ノエルが今日初めて、本当に温かい笑みを見せた。

土気色で、心配しきった……セレウスがこの劇場にやってきてからは、そんな暗い顔ばかりだったが、今の彼女のそれは、頬を赤らめた健康的で尊い笑顔だった。


「それにしても、後輩が亡くなったって……まだお若いんじゃないの?」


「……ああ。まだ子どもみたいなやつだったよ」


ノエルに案内されて、セレウスは医務室を後にした。

病院には付き添ってあげるから、早めにいきましょうね。

ノエルのどこか無邪気な笑顔が、治癒能力を高めているような気がする。

セレウスはそう思いながら、ズキズキとした痛みを感じていた。

病院には本音をいうと行きたくなかった。

注射など、常識的に考えて、あんなものありえない。


セレウスは結局、2時間近く遅刻していた。

当然、見学どころか稽古も準備も終わっていて、大半は既に帰っていた。

ノエルが半泣きになりながら頼み込んだので、座長と例の脚本家と、もう何人かは残ってくれていた。

半泣きの‥……のくだりはもちろんセレウスは知らないことであった。


大ホールにやってきた。

明日ここで舞台が公演される。

多くの客席に、神聖な照明。澄んだ空気。

張り詰めた空間が、美そのものを演出しているようだった。


前の方の席で、数人が話合っている。

ノエルは筋肉質で……それでいて妙に威厳ある顔つきの男の方へ挨拶をしに行った。

少しして、ノエルが上で待っているセレウスに向けて手を振った。

階段なんかをゆっくり下りながら、セレウスは席の間を縫って、舞台の方へ向かっていく。


男は静かに右手を差しだしていた。


「君がセレウス君か。初めましてだな、私は座長を務めているゲイブ・ゲムズボック。そしてノエルの保護者でもある。よく話は聞いているよ。……まぁ、そんな体で来るとは聞いてなかったがね」


どこかストルグに似ていると思った。

厳格そうな鋼の外装で、この世でもっとも柔らかくて、和やかなものを隠しているような。

セレウスは、いい人だと手放しで直感した。


「そこまでして来るなんて!よっぽどだね、キミ!そんなに私に会いたかったの?」


ゲイブの影で見えなかったが、女性が、いや、少女がやたらよく透る声でセレウスの顔を見上げていた。


「……え、えーーと、このは……親戚の子、あ、いや、もしかしてこの子も娘さんですか?」


セレウスはそう言いながら、ゲイブとノエルを交互に見た。

するとノエルや、他の数人までもが……厳密にはゲイブ以外が必死に笑うのをこらえている。


「し、失礼な!誰が娘だ、誰が!私の名はミシェル・バオバブ。『エリック・バオバブ』と言えば分かるかな?」


「‥‥…そんな、まさか!」


銃撃戦だの、なんだのはさして驚かない。

だが、この事実にはさすがにびっくりした。

有名脚本家、エリック・バオバブは実はその繊細なアプローチから女性説が流れていたことはセレウスも知っていたが、さらにそれがこんな少女のような容姿だったとは……


「あ、あう……その‥‥…」


「分かるよ、うんうん。カチンときたが、まぁ、仕方ないしそれが普通の反応だね」


「あ、いや‥‥…作品全部観てます!『クイックサンド』、『砂城の誕生会』『ものすごくさらさらしていて、見違えるほどきれい』とか……全部観てます!」


「へぇ、結構昔のまで見てくれてるんだね‥……ありがとう」


褒められるのが好きなのか、嬉しそうな顔も、なんだか少女のようだった。

聞きたかったが、怖かったので、結局彼女の年齢を尋ねることは出来なかった。

しばらく談笑していると、ミシェルがふと話すのをやめて、急にセレウスの周りをくるくると回り始める。


「セレウス‥‥だったね。ねぇ、ちょっと舞台に上がってみない?」


「……はい?」


周りの人間は慣れているのか、ほう‥‥っと一息ついただけで格別驚いている様子もなかった。

助けを求めるようにノエルの方を見てみると、目を輝かせてしきりに首を縦に振っている。

上がれということか。


流されるままセレウスはおずおずと舞台の上に上がっていった。

単純にそこが高いからだけではない。

世界そのものが、まるっと違っていた。


「あなた、演技経験はあるの?」


「これっぽっちも……」


「そう…」


短い問答を繰り返しながら、あっちで立たされたり、こっちでしゃがまされたり、飛んだりしてみてと、セレウスの体はまるで度外視されて、いろいろ注文をつけられていく。

体は痛かったが、なぜかミシェルの真剣なまなざしに思考が吸い込まれる。


「よし……そこの君、SG持ってきてくんない?」


「分かりました。すぐに!」


声をかけられた青年が裏に引っ込んだかと思うと、すぐに何かを持って戻ってきた。

そして、ミシェルはそれをセレウスに渡そうとしたが、セレウスはなぜか手が伸びない。


「そ‥‥…それは……」


「ん?ああ、本物みたいだろ?演出偽銃ステージフェイクガンだよ。弾はでないが、火花や煙が出たりして、いかにも撃っているように見せることができる。昨今はCG技術もすごいが……これは私が注文した特別製でね。かなり忠実だよ。まぁ、君みたいな男は、本物に触れたこともないだろうけど。……ほら、どうした?」


「あ、ああ……はい…」


持って、見て分かった。そして素直にその技術に感激した。

大きさ、重さ、色合い、質感、匂い、手に収まる感覚……どれをとっても本物みたいだった。


「よし、じゃぁ


「‥‥……え??すいません……今なんて……」


「だからぁ、私に向かって撃つカッコしてみてってこと!なになにぃ~もしかして怖がっちゃってる?あははっ‥‥大丈夫だよ、ニセモノなんだから!実は今考えてる話の主人公のイメージ、君にぴったりなんだよね。だから、この目で確かめさせてほしいの。まぁ、私の直観は外れないんだけどね」


値踏みするような、測るような‥‥…それでいてやっぱり確信的な強い瞳。

そのセンスが、必ず当てはまるからこそ、夜の闇も濃くなってきているこんな時間の、唐突な奇行を‥‥…セレウス意外の全員が何も言わないで見守っているのだろう。


「ほら、もう遅いんだし、一発で決めてね。大丈夫。ほんとに偽物だから。ちゃんと引き金も引いて……とにかくビシっと決めて!」


「‥‥……」


怪我のせいか、舞台のせいか鼓動がとてつもなく速くなった。

ノエルを咄嗟に見た。

暗くても彼女の顔ははっきり分かった。

軽蔑だとか嫌悪だとかとはほど遠い。

普段セレウスが、彼女を見ている時のような……

熱に浮かされた熱い視線。


「すぅ――――……」


乾いた銃声。響く薬莢やっきょうの落下音。夜の街。酒の名前。女の魔力。怒り。頭痛。鮮血。緊張。絶叫。土くれの人形。請求書。ダイナー。ガム。嫉妬。光。屋根。カタナ。拳銃。舞台。水の楽園。


閉じた目をすっと開けて、様々な思いを偽銃に乗せた。


後のスクリーンヒーローは、この時初めて、人に銃を向けてその引き金をしっかり引いたのである。


















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砂漠のスクリーンヒーロー ミナトマチ @kwt

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