三、名桜奇桜

 いずれの帝の御代みよからか、これほど洛都において桜が誉めそやされる樹木となったのは。今となっては大内裏だいだいり図書寮ずしょりょうの蔵の奥、あるいは高貴な血筋の公家たちの忘れられたひつに朽ちる、いにしえの巻物のみがそれを知るのだろう。

 貴人や武将や出家人に、歌に詠まれるごと名を高めた都の桜は、種類を増やし、いよいよ爛漫に、多くは俗人に閉ざされた庭園の内に咲き誇っている。もの珍しい、風変わりな桜花はなを咲かせる樹が現れれば、たちどころに高位貴族や神官、寺僧が人を遣わして奪い去るという。

 彼らは桜を崇拝する。その傲慢な愛執ゆえに、洛外へ持ち出すのを許したためしはない。

「昔、桜を欲しがった東国武士と戦さえ起こしたのは知っているか?」

 夜盗に鼻で笑われては、その戦に足をすくわれ滅んだ〈八狛はちこまの里〉も浮かばれまい。

「だが俺ならば館の主のまばたき一つの間に、お望みの桜の一枝を手に入れてご覧にいれよう。ただし当然、難しい桜もあるだろうな。夜っぴて宴会している太巴おおとも氏の〈霖泪花りんるいか〉とか、紫宸殿ししんでんの前庭に咲く金色花こんじきばなの〈太郎櫻たろうざくら〉とか」

 ありがたい話、春爛漫のこの時節だけは、高慢ちきな貴人も僧侶もその顕示欲を開放的にあらわす気まぐれを起こす。七嗣ななしの案内で、見物客に広く門を開いた屋敷や寺社の桜を値踏みに行った。

 いやはや、音に聞こえた洛都の桜のいかに美事であったことか!

 私も藩の御用植木商として美麗な花樹から奇妙な草木、知りうるかぎりを知り、実際に会っては見定め、あつめ、豊葦原の四州諸島に我より優れた植木商はなしと心では自負していた。洛都の桜の珍奇さについては、かねてより数々の風聞を耳に挟んではいたが、人々の古都への憧憬と、貴族の誇張によるものだろうと話半分に思っていた。

 けれども、どうだ――上様よりのご要望に、内心で苦笑を漏らしていた己はまさしく井の中の蛙にすぎなかったのだ。

 洛都の至宝は、代々の帝や名の知れた歌人に讃えられたとおり。この世のものとは信じられぬばかりの美しさ、華やかさ、たおやかさを春に誇っていた。

 たとえば樹幹も葉も磨きぬいた黒檀色で、花のみ白亜の〈枝垂しだ磨墨するすみ〉。淡翠色の清楚な花が、夜闇を迎えて燐光をはなつ神秘的な〈月蛾桜げつがおう〉。黄櫨こうろ色の華麗な花弁がだんだんに淡く白く重なる八重大輪の〈禁色襲きんじきがさね〉。花実が同時に見られる〈鈴鳴り桜〉は微風にカラコロ音を奏でて愛らしく、対照的に〈六条御髪ろくじょうおぐし〉は恐ろしくも妖艶であった。この枝垂れ桜は花弁が漆黒、しかも女の髪のように細く長く裂けており、風にざわめく凄艶な姿こそ、かつて嫉妬に身を焦がし、生き霊と化した皇后の名を冠された所以ゆえんと容易に知れた。

 七嗣と計画を吟味しながら、花見を楽しむこと数日。我が藩侯の嗜好や趣味、巡回の衛士の人数やその時間、祭客の流れなど、多くを考慮して盗み奪ってもらう桜を二種に絞った。

 波打つ水色の上品な、ぼったりした花の繚乱と咲く〈八重青海やえせいがい〉。

 梔子くちなし色の小花が密集し、甘い酒香を匂い立たせる雅やかな〈かすみ〉。

用の枝というのは、どれほどの長さを折ればいい?」

 尋ねる七嗣へ熱心に、私はその知識と技術を教授した。桜を折る位置、枝の太さや長さ、手折ったあと切り口を湿らせて枝を生かし続けるための諸道具について。

「勘違いしてもらっては困るのは、俺の仕事がどこまでかという点だ。俺は枝を盗み出す。それをあんたに受け渡す。後金はそのときに耳を揃えていただくぞ。そして洛都から一歩でも外に出れば、その先に起きたことは俺の知るところじゃない」

 ニヤリと笑んだ七嗣の念入りな確認を、至高の花樹を目にした感激に浸りきっていた私が気にとめることはなかった。

 だが、もし聞き咎めたところで、彼が示唆していたものを事前に知るのは不可能であったろう。

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