こんな時代に絵を描き、曲を作り、物を書く、ということについて

きつね月

こんな時代に絵を描き、曲を作り、物を語る、ということについて


 

 噂によるとどうやら最近は、AIの技術が人間のそれを凌駕しているという。

 このままいけばきっと、AIの考えた話をAIが描き、AIの作った音楽に乗せて作った作品をAIが評価することもできるようになるだろう。技術の進歩は目覚ましい。


 いやしかしそれにしても、まあ、それはすごいことですね、と思いながら、人間の絵描き、歌うたい、物書き、というものは滅びることはない、と確信している。

 なんでか。

 それは「生きる」ということは他の誰にも(もちろんAIにも)任せられないことだからだ。そして絵描きとは生きるために絵を描く生き物で、歌うたいとは生きるために歌を歌う生き物で、物書きというのは生きるために物を書く生き物だ。

 生きている以上やらざるを得ない。

 だからなくならない。単純なこと。


 そしてそれを見る方も生きている。

 それも人任せに(もちろんAI任せにも)出来ない。人間というものはコミュニケーションな生き物だ。

 描く方から見る方へ、見る方から描く方へ。創作というものはそういうコミュニケーションであり、言語であり、互いに送り合う信号テレパシーなのだ。


 例えばじゃあ、一枚の絵の話をするとして、その描かれた絵の主が人間でないなら、人智を越えてしまった何かである、というのなら、それは例えば星空とか夕焼けとかそういうものと同じで、綺麗で技巧で繊細な景色に驚嘆することはあっても、描いた相手に共感するとか、自分もなにかを伝えてみたいと共鳴することはない。それとこれとは話が違い、それぞれ役割が違う。綺麗な景色と、それを人間がその命というレンズを通して見て描いた絵は別物なのだ。

 絵を描く、ということ。

 それは大本まで辿れば技術とは関係ないものになる。無邪気な子供が教えてもいないのに落書きをし始めるのと同じ。例えそれを叱られても止めたりしないのと同じ。

 人間の描いた絵には作り手の人生が滲んでいる。

 

 そしてそれを鑑賞する方にも人生がある。

 

 ふたりの人生は互いに複雑に作用し合って、その時限りの感情を産み出す。だから時には下手くそな絵に心を動かされることもあるし、誰かの絵を見て、その人がかけた時間や努力の跡に感動したり嫉妬したり夢を諦めたり応援しようと思ったり、することもある。

 例えば子供が描いた絵を眺める母親のように―――

 例えば死にたい人が死にたいの絵を描いて、それを見た死にたいの人が少しだけ長生きしてみたり―――

 苦しい世界。厳しい人生。死ぬまで生きなきゃいけないということ。そしてどれだけ頑張って真面目にやっても必ず死ぬということ。そんな中でお互いにお互いが生きるためにもがいた軌跡の交信。命と命のコミュニケーション。

 絵とは、創作とは、まあ、そういうことなのだ。


 例えば、ただ寂しいだけのなんでもない夜のこと。

 死んだ目でスマホの画面を見つめながら、ふと、誰かの命に触れてしまったとき、そんなものに出会ってしまったとき、世間一般でいう絵画的、音楽的、文学的な価値とか、お金になるとかならないとか、そういうものにはなんの価値もなくなる。

 他の誰かの方が凄いものが作れるって言うなら、それはそれで別にいいだろう。AIでもなんでも好きにすればよろしい。

 ただ、こっちは生きるのに必死なんだから、その邪魔はするなよ。

 って気持ちになる。

 

 『人生は芸術の支援装置ではない、その逆である』


 こんな言葉がある。アメリカの有名な小説家が自らの創作論の中で語った台詞だ。

 例えば、仮に芸術のために人生がある、というのであれば、自分よりそれがうまくできる存在(例えばAIとか)が現れた時点でその人生は詰んでいる、ということになる。

 しかし実際はその逆で、人生のために芸術が存在する。

 人生、という限りある時間をより良いものにするために、自分が幸せになるために、創作がある。人間は創作の奴隷ではなく、創作の楽しみは他の何者にも奪われたりしない。目の前の空白に命が描かれていく瞬間、生きていることを歌にして声に出して叫ぶことができた瞬間、頭のなかにいただけの妄想なはずの人物に文字を通じて出会うことができた瞬間――絵を描き、歌を歌い、物を書く、という行為が、生きていくための原動力になる。

 楽しいなあ、って思える瞬間。それだけがあればいい。

 続ける理由なんて、それだけで充分だ。


 と、だからさ、まあそんな暗い顔してないでさ。

 こんな時代にそんな行為に喜びを見いだすことができたのだから。生きている限り、自分で手放さない限り、その喜びは一生続く。一生続けられる。そのお陰で笑って死ねる。創作とは最期に笑って死ぬためにある。AIは死ぬことも笑うこともない。他人も君の代わりにそれをやってくれない。だから、違うんだよ――人間とは、君とは。


 こんな時代にでも、絵を描き、曲を作り、物を語ることができる。

 そんな喜びは他の何者にも奪うことはできない。安心して、その人生を創作したらいいのだ。

 

 


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