9話 教皇オーランドとは
その頃、信仰領ヴァルハラ。教皇オーランドの宮殿にて。
オーランドは司教ナタリを玉座に呼んでいた。
「……マディエスは来ぬのか?」
「はい。教主様は敵の矢で片腕と片足を打たれ、大聖堂の私室にて療養しております」
「あの軟弱者めが!」
オーランドは葡萄酒のグラスを強く机に打ち付けた。
「大勢の信者達を犠牲にしておいて敗走し、しかも、教主の責務も果たせぬと!? あれ以降ゼフィールからの報せはない! 不気味だと思わぬのか!? お主達の不義により余がどれだけ気を痛めているか、お主達は考えたこともないのだろうな!」
戦の準備も碌にできていない状況で、多大な犠牲を出しながらも、敵を領土の中に入れずに済ませた。
そんな教主マディエスの功績は一切労わない。
教皇オーランドとはそういう男である。
「我々が至らず申し訳ございません」
「謝罪など要らぬ。それで、お主達はこれからどうするのだ? まさか、考えが何もないわけではあるまいな?」
謝罪がなければなかったで「謝罪もないのか!?」と逆上する。
教皇オーランドとはそういう男である。
「考えはございます。わたくしが実力領へ行って参ります」
「ほう、お主が敵国に潜り込み、内情を探ろうというのだな」
「はい。それと、教主様から課せられた宿題がございます。敵の中に瘴気を克服し、圧倒的な力を持つ青年がおりました」
「なに? 瘴気を克服したと? それは誠に人間なのか?」
「まだわかりません。ですが、あの者はこの大陸の支配権を秘めております。教主様は倒れる寸前に、その者を手に入れろとわたくしに仰いました。なので--」
ナタリは腕を組み、恋でもしているような惚けた表情で舌舐めずりをした。
「わたくしがその者を懐柔してご覧に入れましょう」
腕を組んだことで、無地の修道服に胸がはちきれんばかりに強調される。
聖女がこのような罪深い体をしていて良いのだろうか、とオーランドは見つめながら疑問に思った。
「教主様もわたくしもしばらく不在となります故、扉の前に代理の者を控えさせております。信者達の統率についてはその者に何なりとご命令くださいませ。教皇様の意に決して背くことのないよう指示してございます」
「よろしい。その者を通せ。お主は行くが良い」
「ヴァルハラに神のご加護がありますように」
ナタリは両手を重ねて祈り、部屋を去った。
入れ代わりに処女臭漂う代理の女が、オドオドとした様子で入ってくる。
「オーランド様、失礼致します……」
「お主、幼い顔をしているな。齢はいくつだ?」
「……? 20でございますが……」
オーランドは深い深いため息を吐いて、窓の外に目をやった。
今日は風が強いせいか砂埃が上がっており、景色が黄ばんで見える。
「あの、教皇様、それで、その、信者達の間に不安が拡がっております……あれだけの犠牲があった後ですし……実力領がいつ攻め入ってくるのかと皆気が気でないのです……どのようにしたら良いか、私達を導いて頂けないでしょうか……?」
平屋が続く屋根の上を、小鳥が風に流されている。
その様子を眺めながら、オーランドは
「3千人の実力領王国軍を相手に、信者達3万人が犠牲になった。そして王国軍には100人程の死者が出たのであったな」
「は、はい。左様でございます……」
「つまりは、それを繰り返せば、いずれ王国軍を
「……」
たっぷりの間を置いて、 女が「は?」と素っ頓狂な声を上げた。
「神は仰せだ。信者達全員に日々の勤めに加え訓練を課すようにと。相打ちになってでも敵を討ち取るようにとな!」
どれだけの犠牲があろうと、自分さえ生き残れば良い。
教皇オーランドとはそういう男である。
◆
3日後、ナタリは馬を一頭引いて、国外へと向かっていた。
その道のりで信者の男2名がくたびれた様子で建物を背に座っていた。
「激務に加えて戦いの訓練まで……。流石に疲れたな……」
「いつ実力領が来るかわかんないのにな」
「馬鹿野郎。わからねぇから今からするんだろ。お前薬の規定量間違えてるんじゃねぇだろうな?」
「そうかもな」
「しっかりしろよ。ひょっとしたら俺もお前も明日徴兵されるかもしれないんだぞ?」
「そうかもな」
上の空に繰り返す友人に、男は「ダメだこりゃ」と頭を垂れた。
「不安だ……まるで沈みゆく泥舟に乗っているみたいだ」
「そうかもな」
「早く実力領に降伏してくれねぇかな。この恐怖が続くよりずっと良い。それに、実力領の国王は神聖術らしき魔術が使えるらしいぜ。案外あのお方が俺たちを救う神様だったりするのかもな……あ」
ナタリの姿が目に入り、「やべ、行くぞ!」と男達は慌てて持ち場に戻っていった。
「教主様、教皇様、お気づきでいらっしゃいますか? 薬に毒された信者達が望んでいるものは、信仰領の勝利でも神の力の顕示でもなく、圧倒的な存在による『
ナタリは馬と共に信仰領の外へと歩を進めた。
「〜♫」
あのオルゴールのメロディを口ずさみながら。
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