3章 アサヒ編 瘴気の森

プロローグ 新星


 20年前。実力領フリューゲル西部、小さな農村にて。


「残念ながら、母体はすでに息を引き取っております。お腹の子も助からないでしょう……」

「そんな……」


 産婆から妻の死亡宣告を受け、男は膝から崩れ落ちた。


 男は30代後半の農夫であった。

 この実力主義の国では、実力のない農民や商人は強者に形だけでも媚びへつらうようにしてしたたかに生きていかなければならない。

 男にそれができなかったのは、プライドが高かった訳でも正義感が強かった訳でもない。要領が悪かった故であった。

 

 結果、農夫は実力者達から相手にされず、小さな農業を営みながら細々とした暮らしをすることとなった。


 それでも幸せだったのは、傍に若妻がいてくれたからである。

 妻は虚弱であれども、弱音を吐いたことがない気丈な人だった。

 妊娠がわかった時も、体力も筋力もないのに「自分はどうなっても良いから子供は産んでやりたい」と強く決心した。


 重いつわりを乗り越え、パンパンに膨らんだ腹に膝と腰を痛めながら、なんとか臨月まで行き着いたのであったが。

 虚弱な体が陣痛の痛みに耐えられなかったのだろう。

 破水を確認し、農夫が産婆を呼び戻ってきた時には、妻はすでに帰らぬ者となっていた。


 妻が将来の話をしながら縫っていた子の服も。

 子のためにと用意していた小さな布団も。

 人肌に炊いといた湯も。

 全てが無駄なものとなり、農夫は泣きに泣いた。



「ああああああああああああ!?」



 突然産婆が悲鳴をあげて卒倒する。


「ど、どうしただ?」


 慌てて抱き起こすも、産婆は蒼白な顔で亡くなった妻を指差すだけだった。



 ミシ…ミシミシ……



 動かないはずの妻の方向から不気味な音が鳴る。

 農夫はゆっくりと視線を向け、絶句した。



 妻の股を内側からこじ開ける小さな手。



 助からないと思われた赤子が自力で出てきたのである。



「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」


「あああああああああああ!?」


 自力で産まれ出た息子の雷鳴の如し大絶叫に、程なく父親も絶叫した。


「ホギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!! ホギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 その後も、産まれたばかりの赤子は農村中に響き渡る元気な産声をあげ、空腹を叫び続けた。


 虚弱な母親と不器用な父親から誕生したのは、人智を超えた体力と筋力、そして天性の器用さを持つ人間。


 後に実力領最強の剣士と呼ばれる男、アサヒであった。

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