29話 赫眼②
ゼフィールの申し出を受け入れてもエクレアに良い未来がないことは断言できる。
なのに、ジオには拒否することができなかった。
自分の右腕が仲間を手にかけていく悪夢。
あの悪夢を二度と見たくないという恐怖が、ジオの全てを縛りつけ拒絶できなくしていたのである。
「……っ」
地面に平伏し完全に萎縮しているジオを見て、ゼフィールが満足そうに顔を綻ばせる。
「なに。心配せずともそう悪いようにはしまいさ。お前は大事な可能性なのだからな」
僕以外の仲間達はどうなんだよ。
ジオは怯えきり、聞き返すこともできなかった。
「うう」と隣で突っ伏しているシバが呻く。
「シバ、まさかまだ悪夢の中にいるのか……?」
「……ジオ……シバを無視しないで……シバを捨てないで……お願い……」
「何の夢見てんの!? やめてよ!」
悪夢が続き、シバを蝕んでいく。
「ひぐっ、ジオが目を覚さないっ……また守れなかったっ……シバが『不吉を呼ぶ犬』だからっ……シバには誰も救えないっ……ジオにも捨てられて当然なんだっ……あ、やだ、やだ、みんな、石投げないで、痛い、痛い、怖い、ごめんなさい、助けて、ジオ、ジオっ」
ジオはシバをきつく抱きしめた。
「目を覚ませ、馬鹿ぁぁ! 僕が君を捨てるわけがあるかよぉぉ!」
必死に声を掛けるも、シバの悪夢は終わらない。
小さい体がびくびくと跳ね上がり、限界が近いのか口からは泡が溢れてくる。
「シバ、目を覚ませシバァ! こんなのは嫌だ! ゼフィール、頼む! もうやめてやってくれ! シバが壊れてしまう! 王国の下に入る! 全部お前に従うから!」
「その言葉に二言はあるまいな」
ジオの必死の懇願に、ゼフィールが赫眼の光を収める。
ほっとしたのも束の間、腕からにゅるりとシバが抜け出し、ゼフィールへ再び対峙した。
「……見習いが、勝手に決めないで欲しいワン……」
「シバ!?」
「……ジオはもうエクレアの副団長じゃない……ただの見習い……エクレアの重要事項を決定する権限はジオにはない……エクレアの団長も副団長の座も今はシバのものだワン……」
シバの声は小さく震えており、体はフラフラで、虫の息であることは見た目通り明らかである。
なのに、シバは王言を未だに受け入れようとせず、朦朧とした口調で続ける。
「……わかってる。ジオはシバを捨てたりなんかしない。あの時だってそうだったワン。飼い主に不吉な犬として捨てられたシバを、ジオはエクレアにおいでと誘ってくれた。毎日通ってくれて、一緒にご飯を食べた。シバの変な待ても、ジオは見事な待てだねって喜んでくれた。ジオはシバにとても優しくしてくれた。なのに、シバは、ジオが昏倒する日、嫌な気配が近づいているのにジオに何も言わなかった……。また気持ちが悪いって言われて、捨てられるのが怖かったから……。あの日シバがジオの優しさを信じて伝えていれば、ジオが瘴気の領域でひとりで倒れることはなかったはずなのに……! ごめん、ごめん、ジオ……ジオの昏睡は本当はシバのせいなんだワン……」
「……」
ジオは苦しげに自身を責めるシバを、困惑しながら見つめていた。
どう言葉を掛ければ良いのだろう。
シバは深く後悔しながらも、自分の意識が戻らない一年以上もの間、自分が大切だと言っていたエクレアを守ってくれていたのだ。
なのに、ジオには昏睡状態となった周辺の記憶がない。
自分をここまで想ってくれているシバの記憶がないのだ。
なんて不誠実で、申し訳のないことをしているのだろう。
「シバは二度とあんな後悔をしたくない。拷問でも何でもすればいい。何をされてもシバの意志は変わらない。ゼフィールにエクレアは渡さないワン」
「シバ、ダメだって!」
頑なに拒絶の意志を崩さない犬に、ゼフィールが「良かろう」と笑みを溢した。
「廃人ならぬ廃犬になるのが望みということか」
赫眼に強い光が宿り始める。
赫眼の魔術『夢幻』が来る。
「シバ! もうやめよう! 僕が皆を守るから! ここは一旦受け入れよう!」
「だから! ジオが守るんじゃない! シバが守ると言っているワン! シバはジオが名付けてくれた『見事な待て』で、ジオとジオの大切なものを守り通すと決めたんだワン!」
シバは残る力を振り絞り、強張る顎を天井に向けた伏せのポーズ。
見事な待てをした。
(……何故ここでそれを)
赫眼をいっぱいに見開き絶句するゼフィール。
ジオもまた絶望の気持ちいっぱいでシバを見つめた。
「……何っだそれは……ふざけているのか……?」
案の定、王の声に怒気が宿る。
シバは微動だにせず、見事な待てを続けたままだ。
それがさらに気に食わないのだろう。これ以上上がらないと思っていたゼフィールの威圧感がさらに更新されていき、玉座の間にいる者全員がまともに息をすることができなくなった、その時。
「し、失礼します!」
扉が開き、護りの兵士が幽霊でも見たような形相で入ってきた。
兵士長バルハロクが「ぶはぁ!」と息を吹き返し、一拍置いて声を上げる。
「控えよ! ゼフィール陛下の栄典の最中であるぞ!」
「そうなのか。だが、俺の知ったことじゃないな」
「!? き、貴様は……!」
兵士に続き、誰の許可もなくずんずんと玉座の間に入ってきたのは、大きい木箱を肩の上に担いだ黒髪の青年。
アサヒであった。
「アサヒ!?」
実力領最強の剣士の帰還にバルハロクが驚愕の声を上げる。それを皮切りに、場内にいる人々に再びざわめきが広がっていった。
アサヒは尋常ではないシバの様子に眉を顰めると、不機嫌極まりないゼフィールへ臆することなく発言した。
「……これが功労者に贈る手向けか? 俺には望んでもいないことを強要しているように見えるが。そこにいるのはただの代理の犬だ。俺が戻った今、エクレアのどうこうについては俺に話をするように頼もう」
「アサヒ……!」
ゼフィールが忌々しげにその名を呼ぶ。
アサヒは、エクレアの二代目団長を務めていた青年、かつ、『実力領最強の剣士』の称号を持ち、国王ゼフィールと対等に話ができる権利を持つのであった。
シバは直感が鋭く、主に近づく不吉を気配として感じ取れる力を持つ。
ゼフィールとの対談中、シバは不吉な気配が時間と共に遠ざかっていくのを感じ取っていた。
そのため、シバは玉座の間にアサヒが到着するまで、ゼフィールとの話をあの手この手で引き延ばそうと試みていたのである。
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