8話 僕だけが瘴気の影響を受けない理由

 懺悔の丘の底は瘴気が充満した、石造りの広い密室となっていた。

 滑り落ちていった先でまず目についたのは、部屋の周囲に鎮座された、おびただしい数の瘴石しょうせきだった。


「これは瘴石!? 何でここに……」


 「小僧」と、バハムートが耳元で声を掛けてくる。


「ロギムが襲撃された時、瘴石の中にたくさんのグールが閉じ込められていたのだろう。信仰領はこのようにして、人間を溶かし、グールが生まれる瘴気を瘴石に貯蓄させていたのではなかろうか」

「そうか、やはりロギムの襲撃は信仰領の仕業だったんだな! ルーをあんなにしたのは、あいつらの仕業だったんだ……!」

「小僧、何度も言わせるな。落ち着くのだ。冷静を欠いては助かるものも助からなくなるぞ」

「……!」


 バハムートとしても相棒であったルーシーに、冒険者としての致命傷を与えた信仰領に対しては、怒髪天を衝く程の怒りを抱いているはずだ。

 そんな彼が努めて冷静でいてくれるのは、ここにいる自分達を助けるためなのだ。


「……すまない。また我を見失いそうになった」

「わかれば良いのだ。一応の礼は言っておこう。我が相棒のために、こんなにも怒ってくれてありがとうとな」


 二度深呼吸をして気持ちを落ち着けた後、ジオは脱出の糸口を見つけるべく、辺りを探索することにした。

 すぐに膝を抱いて座っている少年エイトを見つける。


「エイト、無事か?」

「足りないぃぃ……剣が……片方……ひぐっ……これじゃあ格好がつかないぃぃ……」

「よし、無事だね。瘴気を吸い込まないように、そのまま大人しくしてろよ」


 さて、と懺悔の丘を振り返る。滑りの良い巨大な急斜面は、両手両足を使ったとしても登れる確証はない。


「一か八か裸足で登ってみるか……ん?」


 懺悔の丘を見上げていると、石の扉が引かれていき、出口が閉ざされてしまった。

 光が失われ、辺りが真っ暗になる。


「くっそぉ、先手を打たれたか。あのムッツリ教主め」

「小僧、聞け。これだけの大掛かりな施設を信仰領が一から造れるとは思えん。それにこの瘴気の立ち込み様。瘴気のダンジョンに似ていると思わないか?」

「確かに。これがもしダンジョンを改悪した施設なら、どこかに通路が埋められている可能性があるということか」

「そういうことだ。壁一面を叩いてくれ。我が振動を感知し、通路を見つけ出してみせよう」

「了解した」


 ジオは部屋の壁をノックしていく。

 その間にうずくまるエイトから嫌な咳が聞こえ始める。腐食症状ステージ1が出現したようだ。

 対し、ジオにはやはり何の変化も現れない。


「本当に、僕だけが瘴気の影響を受けないんだな……」

「小僧、ここだ。この振動は土壁だ。何か中間にあるようだが、その先は空洞になっている。ここに通路があるようだ」

「バハムート、でかした!」


 土壁であれば脆いため、剣のつかで壊せる可能性がある。


「エイト、剣貸して」

「ゲホ、いいよ。何本でも、どうでも」


 失意の底にいるエイトから剣を借りる。

 ジオは剣の柄で殴るようにして土壁を掘った。

 土壁が崩れ出てきたのは、鉄の縦格子であった。


「ぐ……鉄格子か。これは流石に突破できん」

「いや、試しに全力で『ぶった斬り』を仕掛けてみる」

「小僧、剣で鉄は斬れん。そのガキの剣が折れるだけだ」


 エイトの双剣は剣身が短く厚い。比較的頑丈であるが、鉄を両断する程の威力はない。

 何よりエイトは手入れを疎かにする人間だ。切れ味が良くないというのは、昔から知れ渡っていることである。


「試してみないとわからないだろう。それに、僕はまだ全力で努力をしていない」


 全身の力と想いを込めて、剣を強く握る。

 この腐食の世界で、自分だけが瘴気の影響を受けないだけでは意味がないのだ。

 仲間を助けられなければ。


(頼む。僕が瘴気の影響受けないことに理由があるというのなら、せめて仲間を助けられるだけの力をくれ……!)


 応じるように、右腕に異様な力が宿る気配がする。狙いは中央3本の格子。それを叩き斬るつもりで、渾身の力を込め剣を振るった。


「ぶった斬れえええええ!!」

 


 ガン、ガンと、二度金属同士がぶつかり火花が散る。


 同時にトカゲが「ジオ」と驚愕の声で名を呼んだ。


 中央3本の鉄格子が斬り抜かれたのである。


「どえええ! ジオ先輩がパワーアップした!? すげー! すげー!」


 驚きのあまり回復するエイト。

 ジオも信じられない思いで立ち尽くす。

 剣も欠けているが、鉄格子の切れ目はまるで強力な力でちぎられたかのように曲がっていた。


「これは、火事場の馬鹿力ってやつかな?」

「すげー! すゲホゲホゲホゲホ」

「あ、興奮するな、エイト! 瘴気が回るぞ!」


 今は考える時間はない。

 エイトの顔色が悪い。喉からはヒューヒューと笛の音が鳴り始めている。呼吸障害が悪化してきているのは明白である。


「エイト、急ぐぞ! 脱出口を探そう!」

「ゲホ……おう」


 ジオ達は瘴気が漂うダンジョンへと足を踏み入れた。



「……火事場の馬鹿力、そんな大層なものではないわ」


 ジオの肩にて。深緑のトカゲ、バハムートは震えながら呟いた。


 人間には視界が悪くて気づけなかったようだが、バハムートのトカゲ目は暗がりでも色を見分けることができていた。

 剣を振るう前にジオの右腕に収束されたものがあった。


 瘴気である。


「瘴気で強化されるとは、ジオ、お前は一体何なのだ……」


 そのトカゲの小さな呟きは、人間の耳には聞こえなかった。

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