4話 食堂にて

 それから数日、ジオは焼印を背負った体で身を粉にして働いた。

 怪しい薬については、ナタリが夕食時に毎度対面に座るため、席に着く前に薬を撤去するか、食事中に一瞬の隙をつくり、袖に潜むバハムートに薬を撤去してもらうかなどして、連日なんとか掻い潜ることができていた。


 しかし、飲んだら一発で終わる薬の存在や、敵の中枢にひとり潜入し続けるプレッシャーは相当なもので、ジオは徐々に消耗していった。

 

 ヴァルハラに潜入して10日が経った頃、ジオの夕食へ向かう足が止まった。

 髪に潜むバハムートから心配そうに声をかけられる。


「小僧、どうした?」

「いや、今日は食欲が出なくてさ……夕食断ろうかと思って……」

「だめだ。薬に依存している姿勢を見せなくては。奴らに気づかれるぞ」

「はは……そうだよね……すまない……ちょっと言ってみただけさ……」


 咄嗟に弱音が溢れてしまい紛らわそうとするも、鉛のように重たい体は動かない。


「良いのだ。幾らでも吐け。我がいつでも聞いてやろう。だが、今は踏ん張るのだ。無事任務を終え、あの娘を迎えに行くのだろう」

「そうだ、アジュ……」


 病床で笑うアジュの姿を思い出す。

 今考えると、悪いことをしたと思う。

 アジュが灼熱の冒険者ガネットの子供であると知り、調子に乗っていろんな話をしてしまった。

 アジュはそんな自分に嬉しそうに付き合ってくれた。

 瘴気に蝕まれた体で、本当は具合が悪いはずなのに。


「アジュにはかっこ悪いところを見せてばかりだな。迎えにいく時くらいは、ちゃんと決めないとね」

「元気が出たようで何よりだ」

「ああ。ありがとね、バハムート。君には助けられてばかりだ」

「ふん。貴様が頼りなさ過ぎるのだ」


 そう言い捨てながらもバハムートは離れずに弱音に付き合ってくれる。

 このトカゲがいなければ、自分はすでに屈服し、今頃は信仰領の薬漬けの犬となっていたことだろう。


「しかし、小僧、不自然に思わないか? この国を知れば知るほどに、自国の治安維持に力を入れてばかりの保守派に見える。実力領を襲撃した話題も一切ない。あのロギムの襲撃は本当にヴァルハラの仕業だったのだろうか」

「確かに僕をこうして受け入れている辺りも違和感があるよね。アジュの退院の日までに確証を得られればいいんだけど……うあ!?」


 バハムートと小声でやり取りをしながら歩いていると、ジオは弾力のある二つの膨らみに衝突し、ばいーん!と弾き飛ばされた。

 見上げると、目の前には聖女のような微笑を浮かべる女、ナタリが立っていた。


「ご機嫌よう、ジオ。よそ見しながら歩いていては危険ですわよ」

「……ナタリ、ぶつかってしまってすまない」

「良いのです。ところで、今日も夕食をご一緒してもよろしいですか?」

「……勿論」


 今日は始めから同席か。深くため息を吐きたくなったが、それを抑えて立ち上がった。



 ナタリと対面で夕食を共にする。


「最近の調子はいかがでございますか?」

「おかげさまで絶好調だよ」

「それは何よりでございます」


 他愛のない会話が続く。

 ナタリは料理ばかりを見ており、特に監視している様子がない。

 言うならば隙だらけで、薬をいつでも隠せてしまえそうだ。


(何だ? 今日はどうしたと言うんだ?)


「ねぇ、ジオ」

「な、なに?」


 今日の夕食を食べ始めてから、ナタリと初めて目が合った。


「わたくし、あなたのことを気に入りましてよ」


 それは巨乳が苦手なジオであっても、しばらく惚けてしまう程の満面な笑顔だった。

 「小僧」と耳元でバハムートに呼ばれ、はっと我に帰る。


「そ、それは何よりだ。同じ大聖堂で働く君とは仲良くしたいと思っていたんだ」

「あなたに謝罪致しますわ。実はわたくし、実力領から来たあなたを疑っておりましたの。ヴァルハラを陥れようとしてここにいるのではないかと思いまして……。でも懸命に神に尽くすあなたを見ていたら、勘違いであると気づいたのです。わたくしを許してくださいませんか?」


 ナタリが素直に頭を下げる。食堂で司教が頭を下げるのはどうも目立つため、ジオは慌てて止めた。


「謝らなくていい。国外から来たなら当然の対応だと思う。焼きごては、だいぶきつかったけど……」

「ジオ……ありがとうございます。あなたはお優しい方だったのですね」


 ナタリが席に座り直し、美しい微笑を浮かべ、続ける。


「3日後の正午、教主マディエス様による『審判の儀』がここベルゼール大聖堂でございます。あなたの出席を許しましょう。その日は仕事に出ず、大聖堂に残るようにしてくださいませ」

「え、そんな大事な儀式、ここに来たばかりの僕が出席していいの?」

「構いません。わたくしもあなたの誠意に誠意で返すべきと思ってのことですわ。あなたはいずれヴァルハラの未来を担う者となることでしょう。今はいろんな経験を積んで頂きたいのです」

「承知した。期待に応えられるように頑張るよ」


 ジオも笑顔で頷いた。今だけね、と内心で付け足すのを忘れずに。


「わたくしは審判の儀の準備で多忙になるため、しばらくはこの時間に食事ができません。短い間でしたが、あなたとの食事は楽しいひと時でしたわ」


 「あなたに神のご加護がありますように」と、ナタリは両手を重ねて祈り、トレーを片付けた後、食堂を去って行った。

 夕食を開始し終えるまで、ジオの小皿に置かれている薬には一瞥もしなかった。


「……これは信用を得られたと思っていいのかな」

「油断はするべきではないが、監視の目が外れたのは有難いことだ。3日後の正午と言うと、あの娘の退院の前日か。ヴァルハラからカタラーナの病院まで移動に1日かかる。間に合うだろうか」


 ジオは薬を強く握りしめた。


「審判の儀とやらを見届けたら、直ぐにヴァルハラを出よう。病院は夜には鍵がかかる。それまでにアジュを迎えに行けばいい。間に合うさ。いや、間に合わせる!」

 



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