3話 信仰領での一日
8:00 仕事開始
朝の礼拝と朝食を終えた後、ジオは割り振られた仕事に出ることとなる。
元々実力領にいたこともあり、体力に自信があることを申し出たところ、野外での布教活動を手伝うように言われたのである。
18人のグループで2人の男と共に荷車を引きながら、ヴァルハラの街並みを観察する。
簡素な造りの平家が立ち並び、行き交う人々は全員無地の修道服を身につけている。
ジオの髪に潜む相棒、バハムートは「なるほど」と合点がいったように声を発した。
「これがヴァルハラの平等主義か。階級なく衣食住を同じ生活水準に揃えることで、暮らしの差異から生じる
「へぇ、揉め事がないのはいいね。平和じゃん」
「だが、生活水準を揃えるだけでは平和は保てぬ。人間の欲というものはいつの時代も度し難く、どこまでも果てしないものなのだ」
「……」
お前、何者だよ、という言葉はなんとか飲み込んだ。
10:00〜12:00 大衆広場にて礼拝実施
礼拝を終えた後、住民から寄付を受け取る。
寄付の内容は金銭であるものもあれば、重量のある純金の置物の場合もあった。
ジオはそれらを荷車に積み入れる役割を買って出た。背中の焼印が力を入れる度に痛んだが、今は信用を買うために率先して行動する必要がある。
寄付をした住民に対し、別の担当が紙で包装された瓶を贈与している。『
「恩寵って何だろう」
「小瓶に入れるとなれば、聖水か何かの可能性があるな」
何にせよ、均等の生活の中で絞り出した富をはたいてでも得たいものなのだ。恩寵とはとてつもなく有難いものであるのだろう。
12:30 昼休憩
大衆食堂にて、パンと水を無償で頂く。
ほとんど立ちっぱなしだったので、ここでよく足を休める。
13:00〜16:00 移動、町の会館にて礼拝実施
16:00 帰路に就く
寄付の金品が積み重なりかなり重くなった荷車を、全員で押しながら大聖堂への道を行く。
荷車を後ろから押しながら、ジオは汗を拭った。
「はぁ、なかなかな重労働だね。これを毎日か。良い鍛錬になりそうだ」
「努力馬鹿なお前なら耐えられるだろうが、並の平民には厳しいものがあるぞ。娯楽も禁止されている暮らしで、どのようにしてモチベーションを保っているのだろうな」
「うーん、何だろう」
バハムートとしばらく考えてみたが、結局その場ではわからなかった。
しかし、その答えは直ぐに知ることとなる。
18:00 ベルゼール大聖堂到着 整理清掃
19:00 夕食
ジオの視線はパンやスープの斜め上に置かれた小皿に釘付けとなっていた。
小皿の上にはカプセルが一つ置かれている。
「……薬?」
薬を手に取り観察する。中身は白い粉が入っていた。
「人々の苦痛や不安を取り除く、我らが神の恵み、『恩寵』というものですわ」
食事のトレーを持って対面に座ったのは、ジオの背中に焼印を入れた張本人、ナタリであった。
「とは言っても、中身は栄養剤のようなものでございますけど」
「……やぁ、ナタリ……」
「ご機嫌よう、ジオ。今日は率先して仕事をされていたと担当から聞きましてよ。誠実で素晴らしい信仰心ですわね。背中の刻印はまだ痛みますか?」
「まぁまぁ……かな」
「左様でございますか。そういえば、昨日は夕食を断ってしまったようで。今日はどうぞ飲んでくださいませ」
ナタリがにっこりと微笑みながら促してくる。
「小僧、このままよく聞け」
「……」
耳元で喋るバハムートに、無言で続きを促す。
「周りの連中を観察していた。食事よりもこのカプセルに飛びつく者が多いようだ。それも水なしで、噛み砕くように早急に、だ。その後、そいつらは恍惚の表情で昇天している。この薬は栄養剤などではない。多幸感を与え、思考を蝕む薬だ。しかも、強い依存性がある。これを飲んだらお前の人生は終わりだ。つまり絶対に飲むな!」
「……ッ!」
やばい薬と知り、頭に冷水を浴びせられたような心地で息を呑む。
「あら、飲まないのですか? あなたが崇拝している神からのお恵みなのですけれども……。ひょっとして神を疑っていらっしゃるのでしょうか」
「あ、いや、食後に飲もうと思っただけさ」
「左様でございますか。それでは、一緒に食事を楽しみましょう」
ナタリと向かい合わせに食事をする。
空腹のはずなのに、パンもスープも何一つ味がしない。ただただ、この怪しい薬をいかにしてかわすか忙しなく考えていた。
ナタリは食事をしながらこちらを監視するような目を向けてくる。
こんなに至近距離で見張られてはバハムートに相談することもできない。
信仰領での一日の中で、この夕食の時間が最も長く、最も苦痛に感じられた。
食事を食べ終え、ついに残されたのが薬だけとなってしまった。
「飲まないのですか?」
「ど、どうやって飲もうかと思って」
「うふふ、そうでしたか。初めてであれば、お水で飲むことをおすすめ致しますわ」
ナタリに薬を手渡される。
食事を終えてしまったジオは、「ありがとう」とそれを受け取るしかない。時間稼ぎもいよいよ限界だ。
(どうする!? どうする!? とりあえず口に含んで後でトイレに吐き出すか!? でも、その前に口の中で溶けたりでもしたらまずい!)
「小僧、一瞬でいい。あの女の目を逸らせ」
成す術もなく固まっているとバハムートから声をかけられる。
ジオは言われた通り、コップの水を指を滑らせたように見せかけテーブルにまいた。
「あ、すまない」
「あら、気をつけてくださいませ」
ナタリが布巾に手を伸ばした瞬間、深緑の相棒は動いていた。
薬にしゅぱんと舌を伸ばし、一瞬で手から奪ったのである。
ジオはそのまま口元に手を持っていき、あたかも薬を含んだように見せかけた。
「はい、どうぞ、お水ですわ」
「ありがとう」
水を含み飲み込む瞬間まで、ナタリは聖女のように微笑みながら見ていた。
「それではわたくしは行きますわ。明日からもつつがなくお願いしますね。ジオ」
「あ、ああ、こちらこそ」
ナタリが去っていった後に続き、ジオも口元を覆いながら食堂を退出した。
夕食後は自由時間となる。
角を曲がり、誰もいないことを確認した後、「ぶはー!」といっきに息を吐き出した。
「なにあの薬! こわ! こっっわ! やばいって! やばいってこの国!」
「小僧、気持ちはわかるが、念の為もう少し声を抑えるのだ」
「頭おかしいんじゃない!? 何であんな薬飲ませようとしてくんの!? てか、住民にも配ってたよね!? あれが神の恵みだって!? 廃人行きのキップの間違いでしょ!」
「ここは神の信仰を重んじる国だ。瘴気にいつ食われるかわからない不安に耐えきれず、信仰に縋る者も多いのだろう。そこにうまく漬け込んで、薬により国民の統制を図っているのだろうな。一時の気休めのつもりが、これを手放せなくなった者も多いことだろう」
バハムートが汚物でも見るような目で両手に持っている薬を見ている。
「その薬、どうするの?」
「こんな不気味なもの、後で土に埋めてくれる。しかし、憂鬱よな。我々はこれからもあの女の監視の目を掻い潜り、この薬を避けなければならんのだから」
「夕食の度あの駆け引きするのか……寿命が縮まるな……」
仕事以上に夕食の時間を苦痛に感じながら、ジオは地下の大部屋へと向かったのだった。
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