13話 アジュ③

 病院から去っていくジオの後ろ姿を、アジュは病室の窓から見つめ続けていた。


(ジオさんが私にこんなに話しかけてくれるなんて……)


 アジュはその背中を見ていることしかできなかった、6年前の当時のことを思い返した。



 10歳の頃、アジュは実力領南方の街の一つ、マルダンという貧困差の激しい街に住んでいた。

 父親はすでに瘴気で帰らぬ者となり、母親ガネットは灼熱の冒険者として2年前に大陸の外を目指し旅立っていった。

 アジュと3つ上の兄の元に残されたのは、家と父母が稼いだ多額の報酬だけであった。


 兄は賢く見識の広い人だった。母親ガネットの旅立ちに順応し、将来を見据え直ぐさま鍛治屋の手伝いの仕事に就いた。

 母親がいた頃から家事の全てをこなしていたこともあり、兄は何かと気が利いた。その良い働きぶりにさすが灼熱の冒険者の息子だと評判も上がっていた。


 一方、その妹アジュは一つのことに集中すると周囲が見えなくなる癖があり、効率が悪く柔軟性もないことから、周りに『出来損ない』と蔑まれれていたのだった。



 その日、アジュは道具屋の売り子の仕事を断られ、とぼとぼと一人帰路に着いていた。


(今日も雇ってもらえなかったな。私、弓以外何もできないもんね。こんな出来損ない、皆嫌だよね……)


 兄一人を働かせてばかりの何もできない自分が嫌になる。

 本当は冒険者である父母の姿を見て抱いていたとある夢があった。

 しかし、仕事を断られてばかりの自分にできるはずもない。今を生きるだけで精一杯だった。


「お前なんかが冒険者になれるわけがないだろう!」

「!?」


 自分に向けられた言葉かと思ったが、その罵声は近くの小路から聞こえたようだ。

 恐る恐る小路を進んでいくと、四人の少年グループが一人の少年に暴行を加えているところであった。


「何の才能もないくせに夢だけは一人前だよな。下民のジオ!」


 一際体格の良いガキ大将のような少年が、自分より小柄な少年ジオに容赦のない蹴りを放つ。ジオは咄嗟に狙われた懐を両手で守ろうとした。しかし、少年はその反応を見て回し蹴りに変え、ガラ空きだった顔を横から蹴り倒した。


「ぶあ!」

「あーあ、鼻血が出ちまったか。汚ね。もう触りたくないわぁ。また明日来いよ。お前に現実というものを教えてやるから。ははっ、はははは!」


 少年達は笑いながら去って行く。

 喧騒が聞こえていたであろう大人が止めにくる様子もない。

 それに対し、アジュが感じたのは怒りでも悲しみでもない、諦めだった。


 これが実力領フリューゲルの思想。

 実力がなく成果を上げられない弱者に救いはない。


 無力な少年が痛みに体を丸め起き上がれずにいる。アジュはせめて声をかけようと一歩踏み出した。


「イタタタ……ほんと、良い蹴りをするな。相手の反応を見て回し蹴りに変化させるのもいいか……」

(……? 何を言ってるの?)


 意味がわからず突っ立っていると、その少年はよたよたと自力で立ち上がり、その場を去っていった。


 

 その日から、ジオはその小路で少年達に立ち向かっては叩きのめされる毎日を送っていた。

 アジュは怖がりながらも影から見守ることしかできない。


(どうして、勝てないとわかってて毎日来るの?)


 少年達は諦めないジオを面白がり飽きることなくそこに現れた。一方的な喧嘩にジオの怪我が増えていく。


「……っ……よし、昨日よりあいつの蹴りに近づいたな。次はあいつの投げ技が課題だな」


 それでも、ジオは弱音を吐くことなく反省を繰り返し、少年達から何かを学んでいるようだった。



 それから一月後、ジオは4人の少年達に勝利した。


「何なんだよ、お前! 気味が悪いぞ!」

「君達が教えてくれる現実が僕に合わないだけさ。ほら、立ちなよ。一緒に今日の反省をしよう」

「反省……!? お前、何言ってんだよ! まだやる気だってんのかよ!」

「そっちこそ何言ってんだよ。これからでしょ。君らも負けっぱなしは嫌だろう。反省が嫌ならまぁいい。それじゃ、明日もここで待ち合わせにしようか」

「待ち合わせ!?」


 至極真面目な顔で言うジオに、少年達はひどく怯えたようだった。ジオは勝利を喜ぶ様子はなく、その瞳には未だに静かな闘気が伺えた。

 まるで少年達が自分が強くなるための過程であると言うように。


「こいつ、普通じゃねぇ……! もう二度とここには来ねぇよ!」

「そう。じゃ、次はアサヒに頼んでみるか。それじゃあね」


 ジオが怪我だらけの体でその場を去っていく。アジュはその背中をつぶさに見ていた。


(ジオさんが勝っちゃった。あの人数相手に、努力の力で!)


 その怪我はまるで宝石のように輝いて見えた。

 その平凡ながら努力し続ける背中はまるでどんな苦境にも立ち向かう英雄のものに見えた。

 その快進撃はまるで自分にも夢が叶う可能性があると教えてくれているようだった。


 夜、アジュは兄に夢中でジオの話をした。

 そして、自分の夢を語った。

 『母のような冒険者になりたい』と。

 兄が寝る間を惜しんで「妹をたぶらかしたクソ野郎をどうしてやろうか」と笑いながら包丁を研いでいたことは、その日熟睡したアジュには知る由もないことだった。

 

 以降、アジュは冒険者を目指しつつ、ジオを見かけると後を尾けるようになった。


(あ、ジオさんが買い物してる。そこが行きつけのお店なんだね)

(あ、ジオさんがお食事してる。お肉料理が好きなんだね)

(あ、ジオさんが喧嘩に巻き込まれてる。頑張って!)

(あ、ジオさんが男の子とお話してる。いいな、羨ましいなぁ)


 ジオはエクレアに所属するアサヒという少年に時折会い、剣術や体術の稽古をつけてもらっていた。

 その稽古は稽古と呼んでいいかと疑問に思う程に圧倒的なものであったが、めげずに立ち向かうジオを見ていると、自分にも勇気が湧いてくるようだった。


(私もジオさんとお話したいなぁ。でも、いきなり話しかけられたらジオさんびっくりしちゃうかな。じゃあ、ジオさんと目が合ったら私から話しかけるってことにしよう)


 次の日、ジオが女性に道を聞かれて慌てているのを、アジュは建物の影から見ていた。


(ジオさん、頑張って!)


 その次の日、ジオが突然の雷雨に遭いずぶ濡れになって落ち込んでいるのを、アジュは傘を差しながら見ていた。


(ジオさん、頑張って!)


 2年後、ジオは14になりエクレアへ入団するためこの街を去ることとなった。

 話しかけることはやはりできなかった。

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