8話 水辺の戦い


 夜となり、変異した草花の光が色鮮やかに辺りを照らす頃。


 アサヒ達はようやく森に囲まれた小さな湖へ到着したのであった。




 湖のほとりに中型クリスタルが生えている場所があったため、そこへ向かう。

 到着すると、陰りつつあったクリスタルの首飾りが浄化され、輝きを取り戻した。


「ふぅ、良かった。間に合いましたね」

「今回は結構遠かったな」


 ディアが肩車から降り、安堵のため息を吐いた。

 前回の中型クリスタルがあった地点からここまで来るのに、だいぶ時間がかかったのである。


「中型クリスタルもあるし、湖の水位も安定しています。今晩はこのクリスタルのそばで休みましょうか」

「その前にやることがある。お前はそこで待っていろ」

「あ、はい」


 湖からポツポツと顔を出しているのは、人を丸呑みできる程の巨大なヒキガエル、瘴気の魔物『フロッグ』であった。



 フロッグ達は敵わないであろうその人間の男を襲うつもりなどなかった。


 その横にいる手軽そうな少女の方を狙うつもりでいた。


 故に、フロッグ達は湖の中央に集まり、にんまり顔で隙を伺っていたのであった。


 男がおもむろに上に身につけていた衣類を脱ぎ、半裸となる。


 刹那。


 バッシャァァァアアアアア!!!


--ゲコ!?


 男がいたところから噴出しているかのような水飛沫が上がり、フロッグ達のもとへ真っ直ぐに接近する。


 男が恐ろしい速さで水面を駆け抜けてきたのだ。


 先頭にいたフロッグへ振り下ろされたのは、剣でもナイフでもない。


 鈍器"ハンマー"であった。


 男はネイルハンマーでフロッグのカエル頭を次々に粉砕し、舌を掴んでは鞭のように本体を振り回して、多勢であるフロッグ達をひとりで圧倒した。


 水上であろうが関係ない。

 人間の男はフロッグの頭を踏み台にして、縦横無尽に飛び回り、一方的な強襲を続けた。


 ニンゲンとはかくも恐ろしい生物ナノカ。


 人間?に心的外傷を負わされたフロッグ達は少女を襲う気にはとてもなれず、速やかに森の奥へと消えていったのだった。



「よし。これで休憩できるな。ん?」


 陸へ戻ろうとしたところ、アサヒはクリスタルの首飾りに照らされ、湖の底に黒い長楕円形の影を見つける。


 潜って取ってみると、それはイボのあるぬめった生物であった。

 水から上げてものろのろと身を捩る程度で大人しい印象である。


「なんだこの珍妙な生物は。湖に住まう動物の生き残りか? 瘴気も出ていないようだな。これは食糧にできるかもしれん」



「わたし、ひょっとして浮かれ過ぎかな」


 陸では、ディアが小石を積みながら、自分の言動を振り返っているところであった。


「でも、つい楽しくなっちゃうんですよね。瘴気の森って興味深い植物いっぱいだし。魔物もこんなに間近で見れることなんてないし。それに……アサヒさんとこんなに一緒にいられるの久しぶりだし……あっ」


 心を表すかのように、積んだ石が一気に崩れてしまった。


「……もっと落ち着かないと。余計な感情は懸命な判断を鈍らせます」

「ディア! 食べれそうな生物を見つけた! そっちに投げるから受け取ってくれ!」

「あ、はーい、了解しましたー!」


 湖にいるアサヒから声を掛けられ、ディアは両手を適当に構えた。


 アサヒが上手くコントロールしてくれたようで、ソレは両手に収まる形で投げ渡される。


 びっちゃあああぁ〜〜〜〜。


「へぁあぁ!?」


 両手に広がるぬめった不快感に、不覚にも声が上擦った。


「な、なに、これ。黒いイボイボの生物? そ、そうだ。古い図鑑で見たことがあったような。確か、棘皮動物の……ナマコ? 海に生息しているはずのナマコがどうして内陸の湖に……?」


 飛翔する魔物に運ばれた説。

 竜巻によって運ばれた説。

 ディアはナマコを両手の上に置いたまま、色んな仮説を考えた。


 実はこのナマコ、瘴気の影響で普通のナマコが変異を果たしたものである。


 それが少女の手から逃れるべく、今、覚醒する。


 びちびちびちびちびちびちびちびちびち!


「ひゃあ!? す、すっごい跳ねて!? ナマコってこんなにイキのいいものなの!?」


 暴れ狂うナマコに尋常ではない不快感を抱くも、アサヒに託された貴重な食糧を逃すわけにはいかない。


 ディアはナマコを強く握りしめた。

 指が食い込み、ナマコからぶじゅるるると粘液が滲み出る。


「いやぁぁあ! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!」



「よく見たら湖の底にたくさんいるな。ディア、そっちに投げていくぞ」


 アサヒは黒い生物を捕まえては陸の方へと送り込んだ。



「もういや! いやーっ!」


 陸ではナマコパニックが起きていた。


 アサヒから続々と送り込まれるナマコを、ディアは全身に鳥肌を立てながら半泣きで湖の離れに運んでいたのである。


 びちびちびちびちびちびちびちびちびちびち!


 ナマコ達も諦めず、地面に降りては元気に跳び跳ねて湖へ戻ろうとする。


「やだよぅ、気持ち悪いよぅ。そ、そうだ。感情があるからつらいんだ。感情を殺そう。感じない……わたしは何も感じない……」


 飛び跳ねるナマコを無心で掴んだ時、ナマコの先端がぷくっと膨れ上がった。


「え、な、なに……?」


 ビュッ


「いやぁぁぁぁぁあああああッ!!」



「うおおおおおおおお!?」


 陸の惨状を見て、アサヒはいつになく驚愕していた。

 ディアが白い粘液塗れになりながら、黒い生物を運んでいたのである。


 ディアの掴んでいた黒い生物から白い粘液がびゅっと噴き出し、彼女の顔へかかる。

 それを目の当たりにし、アサヒは陸で何が起きていたのか理解した。


「ディア、たくさん投げて悪かった……。大丈夫か……?」

「わたしはなにもかんじない……わたしはなにもかんじない……」

「よ、よく頑張ったな。もう運ばなくていいぞ」


 強張る手から暴れる生物を奪い指に力を込めると、ソレはがくっと動かなくなった。


 ディアの虚な瞳と目が合う。


「アサヒさん……また……取り乱したことを言ってもいいでしょうか……?」

「な、なんだ? 遠慮なく言うといい」


 頬に垂れる粘液を手で拭ってやると、ディアはわっと泣き出した。


「わたしもうナマコ触りたくない! 体洗いたい! 服も洗いたい! うわああああああん!」

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