2章 ジオ編 信仰領ヴァルハラ

1話 神の祝福 ※閲覧注意

 ヴァルハラは信仰の元に平等主義を謳っており、民の最低限の生活は教会が支援している。それぞれの土地は教会が管理しており、貴族や奴隷といった概念もない。

 平屋の多いヴァルハラの街並の中に聳え立つベルゼール大聖堂は、建築も装飾もとてつもなく壮大な建物であり、石造りのそれは大聖堂というより要塞に見えた。


 ジオは案内人の男に連れられ、大聖堂の奥の個室の前に到着した。案内人が軽くドアをノックする。


「ナタリ様、よろしいでしょうか。実力領から教会勤めを希望している者を連れてきました」

「珍しいですわね。どうぞ」


 部屋の中は本棚に囲まれ、暖炉の火も穏やかに燃え、暖かな雰囲気であった。ドアの横には補佐なのかもう一人の男が立っており、中央の机には書類に真剣な表情で向かい合う女性がいた。


 綺麗な人だ、というのが第一印象だった。

 細いシルエットの白色のワンピース。

 鼻筋の通りよく整った顔つき。

 耳から落ちた紫の髪をかけ直す仕草もなんとも女性的だった。

 

 手紙を受け取り一読した後、その女性から華やかな笑顔を向けられる。


「まぁ、あなたは素晴らしい信仰心をお持ちなのですわね。今日巡り会えたことはきっと神の導きによるもの、心から歓迎致しますわ。わたくしは教主様の副官をしております、司教のナタリでございます」


 美人からの笑顔に戸惑い視線を下げた時、ジオは細いシルエットに似合わない巨乳凶悪な膨らみを発見した。


「僕はジオ。どうぞよろしく」


 一瞬で平静に戻り、ナタリと握手を交わす。


「教会勤めをご希望ということですわね。教会は礼拝をしながら、聖書の教えに従い民の生活を支える役割を担っております。ご希望の地域はございますか?」

「そうだな。長年の願望がようやく叶ったんだ。差し出がましいようだが、大聖堂の近辺だと有難い」

「それならこの大聖堂で勤めることを特別に許可して差し上げてもよろしいですわよ。あなたは格別な信仰心をお持ちですもの。聖書を暗記するなんて、恥ずかしながらわたくしでもまだできていませんわ」

「本当に? 是非ともお願いしたい」


 ヴァルハラの中枢を担う拠点に潜り込めるというなら是非もない。ジオは飛びつくように願い出た。


「同胞が増えるなんてわたくしも嬉しいですわ。ところであなたは『穢れた豚』というお伽話を知っていらっしゃいますか?」


 会話の流れに一転した話題を振られ、首を傾げる。


「穢れた豚? 知らないな。どんな話?」

「その穢れた豚は人々の生活を荒らし回るような振る舞いをしていたのですが、ある日から自分の行いを恥じ、人々への贖罪を強く望むようになるのです。その豚の祈りに心を打たれた神は豚の前に降り立ち、その額に祝福の接吻をなさったの。すると、その豚は美しい神の眷属へと姿を変え、その後の毎日を人々のために尽くすようになったのです」

「成程、そういう語なんだ。綺麗な話だね」

「はい、わたくしの大好きな物語ですの」


 ナタリが「ふふふふ」と無邪気に笑う。20代の大人らしい印象であったが意外に子供らしいところがあるんだなと、ジオは漠然と思った。


「ふふふ、それではあなたにも神の祝福を受けていただきましょう」


 ナタリが微笑を浮かべたまま暖炉の元へゆっくりと向かう。暖炉から取り出したのは鉄の棒。



 焼きごてだった。



「ちょっと待て」


 後ろに下がろうとしたところ、二人の男に両腕を拘束される。


「待て、待ってくれ! まさかその焼きごてを僕に押し付けるつもりじゃないよね!?」

「ふふふ、これが我らが神の祝福、穢れを祓う聖なる接吻なのですわ。これを受けることで、不浄な豚であるあなたが、この神聖なる大聖堂で仕えることを許されるのです」


 焼きごての先は拳ひとつ分の大きさで六角形の刻印となっており、長時間暖炉の炎にくべられていたのだろう、金色の熱を発していた。


「本当はわたくしが変わって差し上げたいですわ。喜んで、ね。でも非常に残念なことに、これは神が与え給うたあなたへの試練なのです」

「うわあああ、やめろ、離してくれ!」

「ああ、動かないでくださいませ。ぶれてしまってはもう一度やらなければいけなくなりますわ。それともひょっとしてあなたもそれを望んでいるのですか?」

「ふざけるな! 冗談じゃない!」

「あら、それではおやめになりますか? あなたはここで働くに相応しい信仰心は持っていないということで」

「!」

「地域の教会でよろしければこれよりもっと小さいサイズのものがございますわ。そちらに致しましょうか」

「……待て」


 ナタリが焼きごてを取り替えようとしたところを制止する。バハムートが耳元で焦りながら声を発した。


「小僧、こんなのは神の祝福でも何でもない、悪魔の所業だ。今お前がこの場でこいつらに忠誠心を示す必要はないだろう。教会はやめて別の手を考えよう」

「……いや、だめだ」


 ジオはかぶりを振りながら小声で答える。頭に浮かんでいたのは病室で自分を待つと嬉しそうに言った、少女の笑顔だった。


「それじゃあ、退院に間に合わない……」

「小僧、よせ!」

「ナタリ、やはりベルゼール大聖堂の刻印で頼みたい」


 ナタリが微笑を浮かべた。


「……よろしいのですか? 刻印をつける際にもさることながら、その後もとてつもなく痛むと思いますわ。しばらく日常生活に支障が出るかもしれません。それでも?」

「構わないよ。これが崇高なる神の祝福だというのなら、こんなの、こんなの、ただのご褒美だ……!」

「え……!?」


 言い切った後に屈辱に歪む顔をうまく隠せたか不安になった。


 ナタリは驚愕の声を上げた後、身悶えしながらうっとりと微笑む。


「はぁっ……なんという素晴らしい信仰心でしょうっ……わたくし感動致しましてよっ……」


 男達に後ろを向かせられ服が捲られる。

 背中に暖かな空気が触れる。

 ジオはこれから訪れる熱に備え、口をきつく結び、歯を食いしばった。

 せめて声を上げてやるものかと。

 どんな屈辱にも痛みにも屈服してなるものかと。


「それでは参りましょうか」


 舌舐めずりをしながらとろけた顔で焼きごてを近づける女を、バハムートだけが見ていた。


「こいつは……悪魔か……!?」


 その言葉は小さすぎて、ジオの耳には入らなかった。

 背中に強い熱の気配を感じる。


「目一杯の祝福があなたにありますように♡」


 じゅうううという肉が焼ける音、臭い、熱に、青年は堪えることもできず絶叫した。

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