15話 懺悔の丘

 

 信仰領ヴァルハラ。それはヴァルハラ教という国教を重んじる国であった。


 ヴァルハラ教の教えとは、『ヴァルハラのマザークリスタルは国を守る神であり、ヴァルハラの民は神を信仰することで、身分関係なく魂の救済を得ることができる』というものである。


 ヴァルハラ教の教主の男マディエスは、北西に位置するベルゼール大聖堂にて『審判の儀』を取り行うところであった。


 大聖堂の中央には本日の主役、戒律を破りし50人の無法者が手足を縛られた状態で収容所から連れてこられている。

 その周囲には万人の信者がおり、全ての者が跪き、両手を組み神への祈りを捧げていた。


(はいはい、本日も信仰熱心なことで素晴らしいですね)


 教主は内心鼻白みながら、儀式を始めることにした。


「えー、ベルゼール大聖堂へようこそ。神の忠実なる僕達よ、日々の勤めご苦労であります。悲しきことに、戒律を破り神を冒涜せし無法者がこの度も我が国から現れてしまいました……」


 マディエスは何十回目かという決まり文句を、新約聖書を見ながらできるだけ感情を込めて朗読する。

 ヴァルハラ教の戒律とは、多重信仰の禁止、娯楽の禁止、不浄な行為の禁止、殺人行為の禁止などの生活規約を定めたものである。

 50名の収容所から連れてこられた人々は、それらを違反した者達なのであった。


「よってヴァルハラの神の名の下に、これより審判の儀を執り行うこととします。『懺悔の丘』を開帳なされよ」


 大聖堂の中心には巨大な扉が二つ地面に造られている。信者達がその石の扉を引き、懺悔の丘を解放した。


 そこに懺悔の丘と呼ばれる巨大な傾斜面が姿を現した。

 マディエスは心の内ではそれを『地獄の滑り台』と名付けていた。


 滑りの良い斜面の先は真っ暗な瘴気溢れる地下の部屋へと続いている。国の地下にあった瘴気のダンジョンの一角を、通路を塞ぎ密室に改良したものである。


 拘束された人々は愕然としていた。気づいたのだろう。自分達がこれから瘴気が充満している空間に突き落とされるということを。


「この懺悔の丘を突破した者だけが、再びヴァルハラの民としてこの地で生きることを許されるのです。自分の罪と向き合い、神へ懺悔しながらこの丘を登りなさい。さすれば、あなた方の懺悔の心が届き、神はあなた方をお救いくださるでしょう」

「待て! 俺達は腕と足を縛られているんだぞ! 懺悔もへったくれもねぇ! こんなの登れずに死ぬに決まってんだろ! 殺人は禁止してんじゃないのかよ!」

「何を言っているのです? 戒律を破ったあなた方はすでにヴァルハラの人間ではありません。不浄なブタです。私は不浄なものを浄化しているだけなのですよ。それに聖書の中に一説があるでしょう。何でしたっけねぇ。あったあった。えー、『民が信仰の心を一つとする時、神は民を悪しき瘴気の闇から救い、真なる楽園へとお連れくださるだろう』。要は気持ちの問題です。成せば成る。成らない時はまぁ……」


 教主は聖書を閉じ、親指を下に向けた。



「あなた方の信仰心が足らないってことですかね」



 マディエスの合図を皮切りに、信者達が拘束された人々を地獄の滑り台から突き落としていく。

 落ちないように全身で踏ん張ろうとする者もいたが、45度の滑りの良い斜面で留まることは不可能であった。


 逃げ場のない瘴気の密室に突き落とされた人々はパニックを起こし、すぐさま腐食症状ステージ1の呼吸障害に苦しむこととなる。


 マディエスはそれをせせら笑い、儀式を見守る信者達に向かって声をかけた。


「ほら、何をしてるんですか? 不浄なブタといえど、かつては志を共にした同胞ですよ。神へ懺悔が届くよう、ささやかながら声援を送って差し上げましょうよ」

「ガンバレー」

「アキラメルナ、ナントカナルー」

「キアイガタリンゾー」


 ささやかな声援が信者達から飛び交う。

 拘束された人々は苦しげに息をしながら、目の前の希望『懺悔の丘』を必死に登ろうとする。しかし、腕と足が縛られている状態では登ることなど不可能であった。


 30分後、個人差はあるがほぼ全員に腐食症状ステージ2の『全身の激痛』が現れ始める。全身を内から燃やされる激痛に、絶叫しながらもんどりうつ者もいれば、中にはあまりの激痛に意識を失う者もいた。


 さらに30分後、腐食症状ステージ3『末梢から始まる感覚の麻痺』により、人々の動きが悪くなる。

 その内、ステージ4の『末梢から始まる肉体の壊死』へと進行し、皮膚の黒色化と共にその動きは完全に止まってしまった。

 後はステージ5へと進行し、瘴気に溶けるだけである。


「残念です。この度も神の許しを得られる者はいませんでしたね。来世での良い信仰に期待します。さぁ、皆さん、祈りを捧げましょう」


 信者達は瘴気に溶けた人々の冥福を祈る。

 来世ではもっとガンバレヨと。

 こうして、儀式は終わりであった。


 信者達が大聖堂を去る中、人々が瘴気に溶ける様子を眺めていたマディエスに近寄り平伏す者がいた。副官の女ナタリである。


「教主様、審判の儀、お疲れ様でございました」

「君も日々のお勤めご苦労様です、ナタリ」


 ナタリがにこりと柔く笑う。

 後ろに緩くまとめられている上品な紫の髪。

 膝丈の清潔感のある修道服。

 そして、この誠実で謙虚な性格。

 まさに清楚な聖女そのものであった。


「ナタリ、君の身を粉にして働く姿には神も一目置いています。やがて私の役目を継いでもらいたいと思っているのですが、いかがでしょうか」

「わたくし如きには恐れ多いことですわ。しかし、神が私を選んでくださるのであらば、このナタリ、全身全霊でそのご期待に添えるよう尽くす所存でございます」

「ふふ、相変わらず君の信仰心は素晴らしいですね」


 予想通りの返答に満足げに笑う。


「それにしても素敵でしたわ……瘴気に侵される人々……なんとも苦しそうでしたわね……羨ましいですわっ……」

「……ナタリ?」


 ナタリが艶かしい顔でなんか言っている。


 二人で人々が瘴気に溶けた空間を眺める。

 人々が瘴気に溶けた場合、通常であればその瘴気からグールという人型の魔物が生まれる。

 しかし、その空間にはグールが生まれる様子はない。

 空間の隅に転がる瘴石しょうせきが人々の溶けた瘴気を吸収してくれているのだ。


「ちゃんと機能しているようですね」

「教主様、実に素晴らしい発見ですわ。瘴石は魔物が生まれる瘴気を優先して貯蓄するのですね」

「偶々ですよ。君がヒントをくれたおかげです」

「そんな、わたくしはただ瘴気を私室に持ち込みたかっただけですわ」

「……ナタリ?」


 ナタリが清楚な顔でなんか言っている。


「それで、教主様はどうして人々の溶けた瘴気を集めていらっしゃるのですか?」

「教皇様に、今はこれをできるだけ量産するようにと言われているのです」

「まぁ、オーランド教皇様に」

「我々信仰領には実力領や学術領のような力はありません。教皇様はきっとこの国を守る方策をお考えなのでしょう」


 マディエスはヴァルハラの中央に位置するマザークリスタルを見つめた。




 

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