第4話 【実兄/かぞく】
私がたどり着いたのは二階建ての廃墟…ではなく私たち三上家が住むアパート。今にも崩れそうなほどボロボロで、間違って取り壊されそうなくらいだ。私が変えるべき場所は一階だからまだマシだけど、二階へ続く階段は錆だらけで絶対登りたくない。
そして一階の扉の前に立つ。102号室。この中には魔物がいる。私は意を決して扉を開いた。
「たd」
「典子ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
言い終わる前に巨大な身体がぶつかってきて抱き締められる。めちゃくちゃ苦しいし耳元で声が響いて頭がガンガンする。
「典子典子典子ぉぉぉぉ!!心配したんだぞぉぉぉぉ!!せめて連絡くらいしてくれよぉぉぉぉ!!我が最愛の妹が死んだじゃないかと思ったんだぞぉぉぉぉ!!交通事故!!誘拐!!暴漢!!不良!!補導!!ナンパ!!ゲリラ豪雨!!落雷!!外の世界には危険が一杯なんだぞぉぉぉぉ!!はっ!?よく見たら血だらけじゃないか典子ぉぉぉぉ!!!!????何があったんだ怪我してないか!!!???いや、言いたくないなら言わなくても良いんだぞ!!!!!お兄ちゃん絶対無理強いはしないからな!!!???でも髪の毛にも血がついてるじゃないか!!!???女の子の命じゃないのか!!!???凍えてもいるだろうし今すぐお風呂に入ろう!!!もう追い炊きしてあるからな!!!怪我が痛くて入れないならお兄ちゃんが洗ってやるからな!!!早速風呂場に行くぞ!!!痛くしないようお姫様だっこで連れてってやるからな典子ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
「良い加減にしろぉ!」
「ぐふぅ……。」
「しれっと一緒に風呂に入ろうとするなスケベ兄!」
玄関の扉を閉めてぶっ倒れた兄さんを見下す。辞書アタックの際にページが開いたのか、兄さんの項目が記されている。
【三上英軒/みかみひでのき】
①三上家の長男、三上典子の兄。稲張町に在住しており、仕事は市立図書館の館員。②三上典子に執着している重度のシスターコンプレックス。病院での治療は受けていない…
いつ見ても哀れで愚かな兄だ。気にかけてくれるのは嬉しいけど、いつからかシスコンレベルの物になってしまった…。本当にどうしてこうなってしまったんだろう。
「じゃ、私はお風呂入るから。」
「お兄ちゃんとか!!!???」
「一人でに決まってるでしょ。」
復活早いな。そんな兄さんをあしらいながら脱衣所に入って鍵を締める。こうすればさすがの兄さんも入ってはこない。諦めたようで居間へ向かう足音が聞こえる。
数時間振りにリラックスできる時が来た。服を脱いで改めて確認するとだいぶ真っ赤に染まってしまっている。ほとんどがミル…あの化け物の返り血だと考えるとゾッとした。スマホの検索結果によれば血の汚れはちゃんとした洗剤とお湯を使えば簡単に落とせるらしい。
「え〜と、酸素系酸素系…あった!」
酸素系?漂白剤と汚れた服を抱えて風呂場に入る。兄さんの言っていた通り浴槽には暖かいお湯が貼られておりうっすらとした湯気が身体を包み込む。…流石に寒い、まずはシャワーを浴びよう。というか兄さんには悪いけどシャワーを浴びながら綺麗にしてしまおうか。
普段は水道代がかかるからしないが、今日は普段じゃないということでシャワーを出しっ放しにして、暖かいお湯を背中に浴びながら服に洗剤をかけてゴシゴシと返り血を落としていく。………ミル。結局聞けなかったけど、あのミルはなんだったのだろうか。ハジメとコノミはあの事を知っているのだろうか。この疑問を尋ねられそうなのは彼ら本人たちと、
「エピソード管理社…。」
考えが口から漏れ出る。シャワーの音にかき消されそうなほど小さくか弱いが、はっきりと耳に残った。
私は、彼らの言う事を信じるべきなのだろうか?今のところ、彼らは信用できる。だがもしもあの話が全て嘘だったら?…ミルのように襲い掛かってきたら?…リスクがあまりにも大きすぎる。ふと、鏡に映る私の身体に目が止まる。運良く傷一つ無い綺麗な肌色に包まれた身体と、血に染まって赤黒くなった髪の毛。そして、右目を覆う真っ白な眼帯。付け心地が中々良くて視認するまで忘れてしまっていた。シャワーの熱湯を受けても眼帯は全く緩んでおらず、何か防水素材を使っているのだろうか。それでも、お風呂の時くらいは外した方が良さそうだ。そう思い眼帯に手をかけた瞬間、異様な感覚が指先に伝わった。
『これ以上踏み込んではいけない』
そんな言葉が脳裏によぎった。まるで危機を察知した時の虫の知らせのように。ドクンドクンと脈打つ心音が異様に大きく感じる。それに呼応するように眼帯の奥にも脈打っているかのような錯覚に陥る。私は慌てて眼帯から指先を離した。心臓の鼓動がゆっくりと落ち着いていく。
「…はぁ。本当なんなんだろ…。」
気持ちを切り替えてシャンプーで髪を洗う。血のせいでゴワゴワしてるが、洗剤を使うわけにもいかないからシャンプーでゴリ押していく。お湯で洗い流すと一緒に血も落ちていった。うっすらとした赤色が床を伝って排水溝に流れていく。身体も石鹸でよく洗って汗と汚れを洗い流す。シャワーから流れるお湯と一緒に今日の疲れも落とされていく。
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「ふぅ。スッキリしたぁ。」
寝巻きを着てホカホカの気分で脱衣所から出る。居間の方では兄さんがテレビを見ているようだ。
「兄さん、上がったよ。」
「おー!夜更かしは体に毒だから早く寝とけー?」
どうやらテンションが落ち着いたようなのか、割と普通な感じで返事をしてくれる。私も適当に返事をして布団に向かおうとすると、後ろから呼び止められる。
「典子。改めて聞くけど、どうして遅くなったんだ?」
「えっと……。」
何をどう説明したら良いのだろうか。私自身何がなんだか分からないのだから説明がとても難しい。
「どこから言えば良いか…。」
「取り敢えず、悪いことはしてないんだな?」
「う、うん…。」
兄さんはそれを聞くと満足したように大きく頷いた。そしてこちらへ振り向いてニカっとした、いつも通りの笑顔を見せてくれる。
「だったらヨシ!兄ちゃんは典子の事心配してるけど、典子のしたいようにするんだぞ!」
「…うん!」
「でも危ない事や悪い事はしないようにな。じゃ、おやすみ。」
「おやすみ、兄さん。」
寝室に詰まったように敷かれた布団の中に潜り込み、辞書を枕元に置いてまぶたを閉じる。疲れからかすぐに意識が沈んでいく。__今日はもう、疲れた。聞こえてくるのは、テレビから流れる音と、それを見ている兄さんの笑い声。平和で、いつも通りの、安心する日常だ。
そうだ。私はこの日常を守りたい。ずっと続くような。平和を。私は、ようやく決心できた。兄さんの信頼を、最高の形で返したい。だから…
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「私、その仕事手伝います!!」
翌日の夕方、学校帰りにそのままの足で管理社の駅まで行った。そして、私の決意も表した。
「………それがお前の答えか。三上典子。」
竜小さんはまだ私を確かめるような目でこちらを射抜くが、精一杯ひるまずに続ける。
「はい!私は、例え知らない人でも、日常が壊れるのを見過ごしたくない!」
「よ〜く言ったぜ典子ちゃん!!」
了さんがウキウキの様子でこちらへ近付いて肩を叩く。
「これで典子ちゃんも俺たちの仲間、エピソード管理社の一員だ!」
「え?そんな簡単に良いんですか?」
一応会社というのだから面接や入社試験などは必要ないのだろうか。
「良いの良いの!この場の最高責任者の俺が言うんだし!」
「時は一刻を争う。つべこべ言わずに受け入れろ。」
……まぁ当人たちが良いというのなら良いのだろう。と勝手に納得していると、了さんが咳払いし、声色を変えて話し始める。
「俺らエピソード管理社は現在、かつてない事態に見舞われている!それを解決する鍵は、三上典子ちゃん!お前が持つ…
「「はい!」」
こういうところを見ると、了さんも確かにリーダーらしい。そして了さんは掲げていた腕を私へ。いや、私が持つ
「それと!典子ちゃんはその
「名前?もう
「いや、それはあくまで魔術具の性質としての名前というか…例えるなら、刀にクサナギだとかムラマサだとか付けるようなものだ。」
隣の竜小さんが補足してくれる。辞書の名前…辞書の名前…本の名前を決めるって難しいな…。悩んでいると突然、
「な、なにっ!?」
【目視録/もくしろく】
それは名前の欄だけが記され、肝心の解説が余白になっている不思議な単語だった。それに、目視録?そんな言葉聞いた事がない。
「…もしかして、この名前が良いの?」
「良いじゃないの目視録!典子ちゃんがその目で視た事を記録し、滅ぶ世界を救う現代の黙示録!くぅ〜!痺れるねぇ!」
「…まるで意識を持っているようだな。」
長らくもう一人の私みたいに扱ってきたからか、辞書に意志が宿っているのだろうか?しかし、目視録のページを開いて以降動きはない。まぁ、他に候補も無いし、
「それじゃあ、目視録!貴方は目視録よ!」
さぁ、世界を巡る仕事の始まりだ。
________第2章 隣の世界に続く。
三上典子の目視録 メガファイナルモミジ/ @rty12
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