第3話 【管理社/エピソード】

___誰かの話し声が聞こえる。どこか覚えのある青年の声と、聞き覚えのない男の声。何か揉めているようだ…。


「…〜。多少のアクシデントは目を瞑ろうぜ〜?」

「これは多少というレベルではない…の兄貴はもっと慎重に行動したほうが良い。」


 一体何を話しているのだろうか。そもそも、今の私はどういう状況なのだろうか。少し、頭を整理しなければ。


「ん、んん〜〜…。」

「ッ!起きたか三上典子。」


 私の名前を呼ばれ、少しずつ寝起きの頭が冴えてきた。確か…ミルが化け物になって、それをこの男が…


「そ、そうだミル!!うっ…。」

「落ち着け。俺らは敵じゃない。」


 ミルの事がフラッシュバックして飛び起きそうになるのを男に止められる。事実、彼らからは敵意や悪意のような物は感じない。口調は高圧的だが、私を心配してくれているようだ。


「右目を怪我している。そこに気をつけてゆっくり話せ。」


 ゆっくり指で右目のあたりを探ってみると、眼帯で覆われている感触がある。ヒンヤリとしていて、何か薬でも塗ってあるのだろうか。


「ミ、ミル…私の友達が…。それに…私の辞書も…そうだ!私の辞書は!?」


 自分の周りに辞書がない事に気付く。ずっと抱きしめていたはずだがいつの間にか消えてしまっている。


「ここにあるぜ〜!悪りぃが少し預かってる〜!」


 少し離れた所にいる別の男が真っ白な辞書を持っている。雪のように白く変色してしまっているが、正真正銘、私の辞書だと確信できた。


「返して!」

「おおっと!…全くおてんばな奴だぜ〜。」


 思いのままに叫ぶと、辞書は淡い光を纏って私の腕の中へ飛び込んでくる。男が投げた様子は無かった。不思議な事に、まるで辞書が勝手に動いたように…。


「え…?」

「三上典子、見ての通りそれは普通の辞書ではない。と呼ばれる魔術具の一種だ。その中でもそれはしろの辞書と呼ばれる物だな。」

…?魔術具…?分かるように説明してよ!」


 すると再び辞書に光が灯り、一人でページが開かれると空白の部分に文字が浮かび上がってくる。


【光の色彩/ひかりのしきさい】

①世界線を超えた超常の力を持つ魔術具の総称。どれほど世界線を超えたとしても、同じ光の色彩は1つしか存在しない。…


【魔術具/まじゅつぐ】

①知的生物の身体に蓄積する魔力を動力とした道具の総称。…


【皓の辞書/しろのじしょ】

①光の色彩の一つであり、白色の力を司る辞書。現在の契約者は三上典子。無限の内容量を持ち、契約者が望む情報を可能な限り記録する性質を持つ。…


 辞書が私の疑問を解するように単語の説明を書き出す。契約者が私って…


「私…契約なんて…。」

「したんだよ。」


 後ろに立っていた男がこちらに近づいてきて辞書の後ろ表紙を指差す。そこには表表紙と同じような真っ白な革と、黒く彫り込まれた私の名前。


「契約とは、真名を書き込んで己の血で染めること。偶然にもしちまったとは、運が良いのか悪いのかわからねぇな!」

「血で…。」


 説明を聞けば聞くほどわからない事が増えていく。まるで全然知らない世界に迷い込んだみたいだ。


「とにかく!これから長い付き合いになるんだ!自己紹介しとこうぜ!俺の名前は藤見ふじみりょう!そんでそっちは保高ほだか竜小りゅうしょう!よろしくな!」

「了さんに…竜小さん…。」


 私が呟くと再び辞書の空白のページに彼らの情報が浮き上がってくる。


【藤見了/ふじみりょう】

①魔法使いのような三角帽子をかぶり、ピンクと水色のスタジャンが印象的な成人男性。保高竜小の上司だと推測される。


【保高竜小/ほだかりゅうしょう】

①深緑色のナイロンパーカーを着た青年。三上典子との比較から、17~18歳と推測される。


 どうやら辞書の性質はあまり変わっていないらしい。あくまでこれは辞書であり、私が知らない情報…正確には私と辞書が知らない情報は記載されないようだ。まるで辞書に意思があるかのような性質だとは思っていたが、魔術具?というのならば不思議な事が起こる物だろうと割り切れた。


「って…長い付き合いってどういうこと?」

「へっへっへー!これを見てくれ!」


 了さんが私の視界から外れてずっと私が居た部屋の全貌を見せてくれる。…ごちゃごちゃになった駅のホームのようで、電気こそ付いているがまるで海外の治安の悪い地域のようになっている。よく見ると改札もあるし、本当に廃駅のホームを改造でもしているのだろうか?


「えっと…もしかして誘拐?」

「違うぜ!?ここは俺ら、平行世界の監視と管理を行う『エピソード管理社』のオフィスだ!お前には俺らの仕事を手伝って欲しいんだ!」


 オフィス…ここが?まだアジトとかと言われたほうが信頼性がある。


「仕事って…えっと…。」

「はぁ…兄貴は説明が下手すぎる。俺から説明しよう。」


 竜小さんがスマホを操作し、何かの図を画面に表示しながら話し始める。


「この沢山の長方形…これは世界線だ。普通ならば、均一に重なり、バランスを保っている。」


 しかし竜小さんが移した次の画面では一箇所だけ小さな長方形が密集して、おかしな形になっている。


「この集まっているのは?」

「…これが問題の箇所だ。お前が住む稲川町の範囲にだけ、新しい世界が生み出され続けている。」

「それってまずいの?よく平行世界は無限にあるというし、別に増えても良いんじゃ…。」

「増える事自体はな。問題は、小さな範囲に密集していることだ。明らかに不自然だし、他の世界に悪影響を及ぼす歪な世界が生まれる可能性もある。

 そこで、しろの辞書の出番だ。それの持つ無限の容量の中に世界をす事で、実質的に問題を解消できる。」

「そんなこと、この辞書にできるの?」


 確かにこの辞書には無限の容量があると書いてあったけど、世界を丸々写すだなんてたった一冊の本にできるとは思えない。


「お前が思っているよりそのの力は凄まじい。理論上は可能だ。」

「本来ならその辞書だけ借りて、典子ちゃんとはバイバイの予定だったんだけどよぉ、契約されたら契約者以外には使えなくなっちまう。だから典子ちゃん!俺らと一緒に歪な世界の整理と行こうぜ!」


 そ、そんなこと急に言われても…、困惑してしまってどう断ろうか迷っているうちに竜小さんが了さんを制して話し始める。


「…向かう世界が平和とは限らない。時には命がけの仕事になる。それをこんな一般人を同行させるわけには行かないだろう。」

「え…?」

「つってもよ〜!しろの辞書が無きゃ仕事ができないぜ?」

「だが、それでも何の決意もない奴を連れて行くのは反対だ。せめてコイツによく考えさせろ。」


 竜小さんは私を指差して説得してくれている。言い方は引っかかるが、言うと通り私はまだ全然状況を飲み込めていない。少し、考える時間が欲しい。


「私も、少しだけ考えさせてください。」

「ちぇ、善は急げって言うじゃんかよお。」

「急がば回れだ。三上典子。今日はもう帰れ。家族も心配しているだろう。」


 そう言われてようやく時間のことを思い出した。慌ててスマホの電源を入れて確認すると既に日付を回っており、何件も連絡が届いている。主に兄さんから…。


「や、ヤバい…!早く帰らないと!」

「出口まで案内しよう。こっちだ。」


 竜小さんが壁に取り付けられた非常口の方へ歩いていく。私も付いて行ってよく見ると、エレベーターの登場口のようだ


「じゃあ、明日また考えを聞かせてくれよなぁ〜!」

「はいー!眼帯ありがとうございましたー!」


 了さんは付いてこないようなので別れの挨拶をして、竜小さんと出口の扉を通る。


 扉の先は一見普通のエレベーターだが、回数表示がERRORとなり、ボタンは数字も文字も何も書かれていない。そしてなにより、周りは完全な暗闇によって隔絶されたかのようになっている。

 竜小さんは流石に慣れているからか平気な顔でボタンを押しているが、まるでホラー映画のような雰囲気で全く落ち着かない。少しの時間が経って、エレベーターが上昇を始める。体にかかる感覚だけが頼りで、ガラスの外は一切変化がない。


「…巻き込んですまない。」

「へ?」


 唐突に竜小さんが口を開いた。


「ど、どういうこと?」


 竜小さんがこちらから目線を外してガラスの外の暗闇を見つめる。彼はこの暗闇に何を見ているのだろうか?


「…辞書がない場合でも、俺らは歪な世界を正さなければならない。これがどうことか分かるか?」

「……?」

「歪な世界を…平行世界の稲川町を破壊するしかないんだ。」

「え!?」

「当然、人もたくさん死ぬ。埋葬される場所も壊される。存在そのものを否定されて消えていく…。それは、俺も嫌なんだ。だが、しなければ…ならない。」


 竜小さんの声は悲痛な思いが込められている。そんな声色だ。


「だから…頼む。その辞書の力で、人の命を救ってくれ…!俺らを…人殺しにさせないでくれ…!」

「………。私は…。」

[チーーーーン!!]


 ベルの音と共にエレベーターが止まり、ゆっくり扉が開く。深夜のため人はいないが、いつもの稲川駅のようだ。


「すまない…。酷な願いだとは分かっている。だが、どの道を進むかはお前の自由だ。例えどの道を選んだとしても、俺はお前を責めない。」

「竜小さん…。」


 竜小さんに背中を押されてエレベーターから降りる。竜小さんは降りず、全く別の方向を向いたまま話し続ける。


「逃げたいのならば逃げても良い。断る時も俺は反対しない。だがもしも、俺らに協力するというのならば、しっかりとしたお前の意思で来てくれ。」

[チーーーン!!]

「りゅ、竜小さん!」


 再びベルが鳴りエレベーターの扉が閉まる。そして竜小さんを乗せたエレベーターは下へと下がっていく。多分、声は届かなかっただろう。…今は帰ってゆっくり休んでゆっくり考えよう…。今日は色んな事が起きすぎた。

 駅のホームから出て夜空を見上げる、満月とも三日月とも言えない中途半端な月。凄い久しぶりに見たような気がする。実際には、ほんの数時間前に見たばかりだ。


「…帰ろう。」


 できるだけ明るい道を選んで帰路に着く。家に着くまで、誰とも会うことは無かった。

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