第2話 【友人/なかま】

 放課後。私たちオカルト研究同好会のメンバー4人は街の外れにある廃墟ビルまでやって来た。時刻はおよそ20:00頃。蒸し暑さが薄れてきて快適に感じる。月は…あいにく何とも言いようがない欠け具合だ。満月とも取れず、三日月とも言えない。


「遅いよコノミ!あかの怪異に襲われても知らないよ〜?」

あかの怪異ってそんなお仕置きするタイプなのか!?」


 遅れたコノミをミルがからかう。約束の時間ぴったりに来るとは、日本人としての自覚が足りていないようだ。


【屋代コノミ/やしろこのみ】

①2005年生まれ。ミルの幼馴染みであるが、好意は無いと考えられる…


 辞書をライトで照らしながらページを捲る。今必要なのはこの廃墟の情報だ。


【稲川町南西の廃墟/いなかわちょうなんせいのはいきょ】

①旧タツヅレ建設ビルと同意義。②稲川町の南西に位置するビルの廃墟。内部は荒れているが脆い部分は無く、廃墟探索の初心者に向いている。


「よし、安全みたいだね。」

「典子?そうやってすぐ調べたらつまんなくないか?」

「そうかな?安全には気をつけていかないと…。」

「それがツマンナイだって!もっとガンガンいこうぜ!」


 そうコノミが叫んで私の背中を押しながら廃墟へ突撃する。相変わらずの突貫体質。まぁどうせ安全という情報はあるのだから問題は無いだろう。


「いざ!オカルト研究部しゅっぱ〜つ!」

「ゴーゴーゴー!」


 ここはオカルト研究同好会であって部活ではない。


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 廃墟内部。そこは灰色のコンクリートが剥き出しになり、金属製のデスクやパイプ椅子が埃を被った状態でいくつも放置されている。懐中電灯の光は舞い上がった埃を映し出す。


「………ゾクゾクするね〜!」

「あぁ〜…。コノミっち、平気か?」

「へへへへへへ、へーきだし!」

「つ、強がらなくても良いんだぞ?私が君の鞄を掴んでいてあげようか?」

「典子…お前も声震えてるぞ?」


 それは自分でも分かってる…。差し込む月光と懐中電灯の光だけが頼りの暗闇に支配された世界。それは想像以上に恐怖心を煽ってくる。しかも足元もゴチャゴチャしてるし、もし転んだりしたら結構大変そう…


「きゃぁあ!!?」

「ミルっちぃぃーー!!」


 …言ったそばからミルが派手にすっ転んだ。


「うおっ!ミルっち目が!?」

「え?大丈夫?」


 慌てて行列を崩してミルの元に向かう。そこには右目を抑えてうずくまっているミルと、心配しているハジメがいた。そして右目を抑えるミルの手から赤い液体が漏れている…!


「………すぐ病院に行こう。」

「うん…。」


 ミルを連れて4人で歩いて病院へ向かう。幸いなことに、ここから一番近くの病院まで5分とかからず移動できた。




「じゃあ行ってくるね…みんな。」


 お通夜ムードの中、ミルが診察室へと入っていく。傷は深くなさそうだが、もし失明でもしたら…。


「典子?今は信じて待とうぜ?」


 コノミが柔らかい口調で話しかけてくる。たしかに今、私たちにできることは待つことと祈ることだけだ。…せめて何かの役に立たないかな。そんな考えがよぎり、私の辞書を開く。


「あ、俺ちょっとコノミっちとジュース買ってくるわ〜。」

「ん。」


 辞書のページから目を離さず適当に返事する。今は集中したいから周りの声や雑音ができる限りシャットアウトする。


「………。」


 ページを捲る。


「………。」


 文を読む。


「………。」


 情報を噛みしめる。


___どれほど経っただろうか。数分か一時間か…。ハジメとコノミが帰って来てない所を見るとそれほど経ってないのかな。辞書を閉じ、顔を上げて時計を確認しようとすると見知った顔が目の前にいた。


「典子!すごい夢中だったね〜!」


 ミルが元気そうにそこに立っていた。その顔には包帯はおろか絆創膏すら貼られていない。


「怪我、大丈夫なの?」

「うん!ちょっと瞼とその上の方が傷ついてただけだってさ!」

「それなら良かった…。ハジメとコノミは…」

「あ、その二人ならもう先出てるよ!」


 え?もしかしてそんなに時間が立っていたのか?ミルの後ろの壁掛け時計を見ると時刻は9時前…。既に30分以上辞書を読みふけっていたのか…。


「すごく夢中で読んでたから邪魔したくなくて〜!さ、早く追いかけよ!」

「うん。まったく、女子を置いていくなんて男子の風上にも置けないね。」

「ほんとだよ〜!ガツンと文句言わなきゃ!」


 辞書を持ってミルと共に病院を出る。暗い街中の道を小走りで進んでいく。流石にそこまで離れてはいないだろうからすぐ追いつけるだろう。



「ねぇ、典子?」


 唐突にミルが私を追い越し、私に向き合って足を止める。


「どうしたの?」

「私たちって、友達だよね?」


 いつも通りの笑顔で聞いてくる。こんな時どうしたのだろうか?


「そりゃ友達さ。一体どうし

「えへへ。そっか。そうだよね!私たち友達トモダチだよね!」

 

 私の言葉を遮って嬉しそうにはしゃぐミル。…どこか様子がおかしくないか?


友達トモダチだもん!典子ノリコ友達トモダチ!」


 狂ったように連呼する。体をぴょんぴょん揺らしながらこちらへ近づいてくる。思わず後ずさりする。


友達トモダチならさ。」

「ミル?」

交換コウカンシヨ。」


 とたん、ミルの右目が真っ赤に染まったような気がした。そして私の視界そのものが真っ赤になった。私の右目も燃えるように熱く、痛く、喪失感を感じる。


「ううううぅぅぅ…!」

「アリガトォォォォォォォ!ノリコォォォォォォォ!ドウセナラ…ヒダリメモチョウダイ?」


 必死に右目を抑えながら左目を開けると、そこにはミルはいなかった。そこにいたのは真っ赤な怪異、トマトのような肉塊がいくつも膨れ上がり、かろうじて人型を保ってはいるが、その真っ赤な皮膚は月のクレーターのようにボコボコに変形している。そして、奴の右目だけが、私だ。私の右目が化け物の顔に張り付いている。

 そして化け物は…私の左目も欲しているようだ。

 ふと、持っていた辞書に目がいった。私の血で裏表紙が汚れてしまっている。裏表紙に拙い文体で書かれた『三上典子』の名前も、血で染まって殆ど見えない。


「こんな時に辞書の心配なんて…私らしい。」

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」

「死ぬ時も……一緒か……。」


 血で染まった辞書を抱きしめる。私の身体の血も相まって、もうグチョグチョだろう。だがもう関係ない。どうせすぐ死ぬ…。そう思った瞬間、真下から強い光が差し込んできた。いや、正確にはからだ。辞書が不思議な閃光を放っている。だが不思議と眩しく感じない。まるで私を包んで守ってくれているような安心感を感じる光だ。


「ウウウウウウウウウウウウウゥ!」

「…!」


 しかし化け物の方はそうではないらしい。光を受けて苦しんでいる。一体何が何だか分からない…。困惑の中、辞書の裏表紙から文字が浮かび上がってくる。


『三上典子』


 私の名前だ。私の名前を表す文字がゆっくりと浮遊し、私の胸へと吸い込まれていく。そして、文字が全て私へ入ってきたと同時に、辞書から放たれる光も止んだ。


「今のは…一体…?」


 辞書に付いていた血も全く無くなって綺麗になっている。死に際の幻覚だろうか?


「ソレェェェェェ!!友達トモダチナラヤメテヨォォォォ!!」


 化け物が絶叫しながら巨大な腕を振り上げる。しかし、それが振り下ろされる事はなく、肩のあたりの根元から斬り落とされた。切断面から血が溢れ、地面が更に赤く染まる。少し遅れて、雷が落ちたような爆音が耳を貫く。


「見つけたぞ…しろの辞書。そして、あかの怪異。」


 私の横から聞きなれない男の声が聞こえる。


「貴様からだ。あかの怪異、まずは貴様を斬り伏せる!」

「アアアアアァァァァァァァァァァァァァァ!!!」


 赭の怪異と呼ばれた化け物は怒ったように突っ込んでくる。しかしその身体に一瞬にして切り傷ができる。隣の男が剣を振ったと理解した頃には、第二撃が化け物を襲い、更なる傷を作る。


「イタイヨォォォォォォォォ!!ノリコォォォォ!友達トモダチナラタスケテヨォォォォォォ!!」

「喧しい。」


 冷徹な男の一言と共に男は化け物の皮膚を斬り刻む。全ての動きが殆ど見えず、ただただ剣が振るわれ空気が切られる音と、化け物の痛みの絶叫が響く。


「ウワァァァァァァァァァ!!」

「ふん、あかの怪異がこの体たらくとは笑わせる。とどめだ。」

「貴方…何者…うっ。」


 化け物が逃げようと離れたことで、私の心を縛っていた緊張感がようやく薄れる。やっと声を出せたと思ったら、すぐに意識が遠ざかっていく。緊張が解けたからだろうか。身体にも力が入らず血だまりへ身体を投げ出す。


「お、おい!死ぬな!」

「し、なな………」

「ちっ、連絡…。赭の………治療…そちらへ…。」


 眠気で意識にモヤがかかっていく。もう男の声も聞こえない。最後に辛うじて感じたのは、私が抱きかかえられる感覚だけだった。

  

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