灯る日々に背を向けて

今日は生憎の空模様。

雲に覆われていてどんよりとしている。

2月も1週間が過ぎて

数日後には雪が降るなんて予報も出ていた。

寒さ真っ只中の日々、

家々からは光が漏れている。

周りが暗いこともあって

今日はそれが顕著にわかった。


昼下がり。

チビたちは今日も学校や塾。

兄はさっきまで部屋の隅の掃除を

1時間くらいしていたり、

自分の荷物や玄関の靴を

ひたすらに並べたりした後、

横になってテレビを見ていた。

前のめりになってじっと見ているあたり

集中しているのかななんて思う。


翔「…。」


愛咲「…。」


「それでは、次のニュースです。今日未明…」


翔「…。」


テレビの音だけが響く中、

わー、と外では子供の声。

2人ぐらいいるようで、

かけっこまがいなことをしながら

歩いているのだろう。

登校時間はとっくに過ぎているから、

多分幼稚園や、その辺りの

小さい子供なのだと想像がつく。

颯翔や翔也はつい最近のことだけど

うちからするとだいぶ昔のことのように思う。

うちもそんな時代があったな。

こけては泣き、お母さんの後ろに隠れる。

一人称は自分の名前で、

いやいや言って駄々を捏ねたっけ。


そういえば兄はそんな感じだったっだろうか。

思えば兄の子供の頃を

よく覚えていないような気がする。

いや、よく学校で

小さな問題を起こしていたり、

人間関係がうまくいって

いなかったりしたことは

ちゃんと覚えているんだけど、

兄が駄々を捏ねたり泣いたりすることが

一体何回あったのか覚えていない。

そもそもそんな姿を見た覚えもない。

うちの知らないところで泣いていたのか、

そもそも泣いてなかったのか。

兄はいつまでも未知数だった。

そんなうちの気も知らずに

彼はテレビにのめり込んでいた。


愛咲「………っしょ。」


重たい腰を上げる。

昨日走ったからか足を中心に

筋肉痛が広がっていた。

そうそう、この感じ。

1歩踏み出すたびにびりびりと

足が別の生き物になってうねる感じ。

懐かしい。

高校に入ってすぐの頃は

急なトレーニング量の増加で

時々筋肉痛になっていたっけ。


ふらりふらりとしながら

冷蔵庫の中を見ると、

昨日使い切ったのか卵がなかった。

卵はよく使うので今日のうちに

買い足しておきたいな。

ふとシンクを見ると信じられないくらい

ぴかぴかに光っていた。

お皿はもちろん洗い終わっていて

乾燥させるためか綺麗に並べられている。

むしろ使うのが億劫になるくらい。


愛咲「…やば。」


うちなら絶対ここまでしようと思わない。

彼自身、この自分の特徴に

何度苦しめられてきたんだろう。

うまくいかなくて、どうして自分なんかと

思うこともあったのかな。

それとも、あまりそう思わなかったのかな。

案外早期に受け入れてたりして。

うちにはわからないことだな。

別に話し合って知りたいわけでもない。

この何も会話の起きないくらいの

縮めようのない距離感でいいのだ。

これがいいんだ。


簡単に支度をして玄関に立つ。

エコバッグと、財布と鍵。

あとスマホくらいだろう。

兄は、玄関まで来ることはなかった。

うちの時は絶対にそんなことしなかった。


兄に対しては、まだ無視を続けていた。

とはいえ、ご飯を作ってあげないだとか

執拗に話しかけられても

いないように扱うだとか、

元からそんなことはしていない。

無視するというより、

無闇に干渉しないと言った方が

正しいかもしれない。

兄もうちも、距離を取り続けていた。

手紙をひと通り読んで以降も

うちから話しかけることはなかった。

話しかけなくていいと思ったから。

兄の事情を知ったとて

急に優しくするわけでもないし

沢山話しかけるわけでもない。

でも。


愛咲「いってきます。」


翔「いってらっしゃい。」


挨拶くらいは、しなきゃなって思った。

いつが最後になるかわからないから。

それはお母さんから

教えてもらったことだった。


お母さんはいつだって

うちのことを見守ってくれているし、

幾つになっても大切なことを

教え続けてくれるんだろうな。





***





家に帰ると、兄は玄関まで来て

そそくさとうちの持っていた袋を取って

早速冷蔵庫に入れ出した。

その間ひと言もなかったのが不気味だった。

これまで2週間の間に

同じように買い出しに

行ったことはあったのに、

玄関まで来て更に冷蔵庫に

ご飯を入れてくれるなんてことなかった。


愛咲「…ありがとう。」


とは言ってみるけれど、

怪しくて仕方がない。

お母さんの前に座りながら

どう思う?なんて小さい声で聞いたりする。

お母さんは笑い続けているだけで、

大したアドバイスもくれない。


ちらと兄の様子を伺おうと

体を翻したところ、

真後ろに彼がいたらしく

その足にぶつかってしまった。

ぎょっとして上を見る。

すると、感情のなさそうな目で

うちのことを見下ろす視線があった。


こんなこと不気味すぎて、

咄嗟に言葉が出なかった。

いつから後ろにいたのだろう。

口をぱくぱくとしていると、

兄は手に持っていたものを

こちらへと差し出してきた。

片手で、とても雑に。

投げることこそしなかったけれど、

まるで近場の雑草を拾ってきた

子供のようだった。


翔「これ。」


そう、ひと言。

その手には、見たことのある便箋があった。


愛咲「…っ!」


言わずもがな、お母さんが兄へと

手紙を送っていた時に使ったものと

全く同じだった。

うちが2人のこれまでの手紙を見たことに

怒っているのだろうか。

これが一体何だかわかるよなと

威圧しているのだろうか。


恐る恐る手にする。

うち、悪いことしたわけじゃないのに

どうしてこんなに怯えてるんだろう。


紙の感触がわからない。

ざらざらしてたっけ、つるつるしてたっけ。

どの手紙だろう。

お母さんから兄への手紙だと

体調を気遣うものと、

兄の特徴のことや、それに対しての謝罪。

どれだろう。

どれが、癇に障ったのだろう。

兄の顔を見れないまま手紙を見つめる。

表は「翔へ」だろう。

裏にはいつも通り「お母さんより」だった。

兄はじっとこちらのことを

見下ろしているのか、

目の前の足は動く様子がない。


封を開くとぺり、と音がする。

あれ。

…?

今思えば、この手紙は

封が切られていなかった。

その中の文字は、相変わらずお母さんの字。

兄との手紙を見るまで、

あまりお母さんの字を

見てこなかったななんて思ったんだっけ。


そこには、「愛咲へ」と記されていた。

慌てて手紙を閉じ、便箋を見る。

手紙の入っていた封の表には、

しっかり「愛咲へ」と

刻まれているのだった。


愛咲「…これ、なんで…。」


翔「お母さんから。」


愛咲「………。」


そんなの、みりゃあ分かるよ。

そう怒る気にはなれなかった。


静かに視線を落とす。

あ。

今、鳥が鳴いた気がした。


『愛咲へ

元気にしてますか。

今は夏かな、冬かな。

体調には気をつけてね。


この手紙があなたの元に届いてるってことは

お母さんはもういないのかしら。

何だか実感が湧きません。

少し最近のことを書くね。

お母さん、癌だったみたい。

倒れたり入院したりして

たくさんの心配をかけたよね。

ごめんなさい。

今後、治療はしてみるけれど

あまり良くならないかもしれないんだって。


愛咲がお母さんのことを

これでもかってくらい

気遣って大切にしてくれているのが

いつも伝わってきたよ。

小さい頃から愛咲には

たくさんたくさん迷惑をかけちゃったね。

咲蘭や翔也や颯翔の面倒を見てもらったり

家事を手伝ってもらったり。

その反面翔は何もしてなかったから

ものすごくもやもやしたんじゃないかな。

最後まで翔のことを話せずごめんなさい。

家族だから話せばよかったのに、

これ以上家族の仲が悪くなるのは嫌だったの。

あの時はお父さんと別れて

まだ少しした頃で、

不安定なことが多かったのを覚えてる?

自分勝手な決断でこの年まで

愛咲も翔も苦しめてしまってごめんね。


今後の生活のことは、

おばさんやおじさん、それから翔に

手伝って欲しいと伝えてあります。

何か辛いことがあったら

親族でもいい、友達でもいい、

お母さんでもいい。

1人で抱えずに誰かに頼ってね。

お母さんはいつでも話を聞くよ。


愛咲。

1人じゃないよ。


世界で1番大切な娘へ。

いつまでも愛してます。

ありがとう。


お母さんより』


多分、もっともっと

書きたいことはあったんだろうなと思う。

話すことが好きだったお母さんにしては

随分と文量が少ないなって。

それくらい、いっぱいいっぱいだったのかな。

お母さんのことだから、

咲蘭や他のみんなにも

手紙を書き残してあるに違いない。

それからその全ての最後には

世界で1番大切なあなたへと

綴っていることだろう。


こういうところが、

お母さんっぽい。

うちの大好きなお母さんっぽい。


翔「俺が不出来だったから、無理に「お姉ちゃん」させる時が多かったと思う。頼りなくて悪かった。」


兄は、反省しているのか

わからない声色でそういった。

心の底から思っているのか

やはり掴みづらいけれど、

あの兄から謝罪の言葉が

流れたことに対して驚きを隠せなかった。

声が喉につっかえ、

力なく首を振ることしかできない。


ふと封筒を見ると、

したにまだ何かが入っている。

手紙ではなさそうで、

何やらビニールのようだった。

てらてらと光を反射している。

手を受け皿にして

封をひっくり返した。


からり、と音をたてて

転がり落ちてきたのは、

小さな小さな布1枚だけが入った袋だった。


愛咲「…っ。」


刹那、それをぎゅっと抱きしめた。

世の中でこんなことをするのは

うちくらいだろう。

それでいい。

それがいい。

これはうちの、うちだけの

大切な思い出の品なのだから。


そこには、自分がいつ死ぬか

わからなかったからか

「7/31、誕生日おめでとう」の文字と

近くの100均に売ってるような

星のワッペンが入っていた。





星のワッペン 終

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