第2話『何百年ぶりのお出かけ』

「これで、よし、たぶん」


 明くる日の朝、魔女は黒いローブに身を包み、真っ白な髪の上に黒い魔女の帽子を乗せて、木の杖をベルトケースに入れたのを確認すると姿見の前で呟いた。

 黒真珠のような瞳が、こちらを見つめている。

 何千年何万年と変わらない少女の姿。


「お似合いですよ」


 梟はどこか嬉しそうにそう言った、魔女は照れくさそうに頬を搔いて目線を下に向けた。

 視線の先では窓から零れる日差しが、ガラス瓶に詰められた鮮やかな液体に透き通って部屋を染めている。


「ありがとう、梟はお留守番ね」

「にゃにゃ!お前だけお留守番にゃ!ぷぷっー!」


 吊るされた籠が揺れたかと思うと、黒猫が愉快に笑いながら現れた。

 そのままテーブルに着地すると、黒猫はちょいちょいと前足で兎の木彫りを弄り始めた。


「まあ、どこぞの猫は留守番をさせるには信用がならんから仕方がない」

「にゃんだと?僕が信用ならないなんてそんなわけないにゃ」


 今にも飛びかからんと梟を睨みつける黒猫を、魔女は優しく抱き上げてしっかりと捕まえた。

 それを確認した梟は、乗っていた回る宝石の様に輝く天球儀を降りて、山積みになっている本の上にそっと降りた。


「信用ならないっていうか、猫さんはお留守番すると色々とつまみ食いするし、家具は引っ掻くし、めちゃくちゃに散らかすし……」

「そんなことした覚えは……ない、にゃ?」

「私にかれても困るわよ」


 そして可笑おかしく思って思わず少し笑いあったあと、キノコが残っていないかや窓の戸締りを確認して。

 最後に、扉の鍵をかけたかをきちんと確かめた。


「では、留守番は任されました、お気を付けて」

「うん!行ってきます!」

「部屋を散らかしちゃダメにゃよー」

「私は、散らかしません」


 そうして梟が見送る中、ふたりは森に続く道を歩んで行った。

 森を進んでいくうちに、景色は少しずつ暗闇を帯びていった。


 見えていた青空は深い緑の葉に多い隠されて、申し訳程度に舗装されていた道も、草花が咲き放題。木々は奇妙な形になって、枝の上を鳥の足が生えた木の実がぶらさがっている。


「足元、気をつけるにゃよ」

「うん、大丈夫」


 森を進んでいくと、様々な生き物に出会う。

 魚の顔をした大鹿の前では音を立てないようにそうっと木々の裏を通って。

 顔のない大きな兎を、遠くから少し眺めた。


 さらに進むと、しゃがれた顔の着いた大木に出会って挨拶をした、テクテクとあとを着いてくる細い枯れ木に擬態している虫達を可愛らしく思ったりして。


 大きな木の根を降りたところにいた、冬眠中のタケノコの生えた猪に謝って。

 とにかくふたりは、慣れた森の中を歩んだ。


「きっと、私みたいな魔法使いが、沢山いるのよね」


 魔女は落ちている小枝を鳴らしながら、誰に向けられてもいない言葉を吐いた。

 黒猫は少し早く走ると、足元に頭を擦り付けた。


「友達、できるかな?」

「そこはお嬢次第にゃ」


 魔女は察して黒猫を抱き上げると、そのまま歩き始める。


「まだ怖いにゃ?」

「ちょっとね、ちょっとだけ不安、けど大丈夫よ」


 魔女は黒猫を少し強く抱き締めた、黒猫は余計な言葉はいらないと分かっていた。だからただそっと抱きしめられていた。


「きっと、村の人達も魔法使いのこと、ちょっとは寛容に見てくれるはずよ」


 魔女は小川にかかった、苔まみれの木の棒で雑に作られた橋を渡る。


 少し嫌な音が鳴っていたが、魔女はそれよりも大きな不安でそれを気にしている余裕はなかったらしい。ヒヤヒヤしていたのは濡れることな嫌いな黒猫だけだった。


「集会なんて開けるんだから、あの頃よりちょっとはマシになってるに決まってるわ」

「そうにゃねぇ」


 魔女の足音が固い音を立て始めて、ふたりは道が石畳に整備されていることに気づいた。

 もう少しで目的地に着くとわかった途端、気力が湧き出てきて魔女は小走りになった。


「久しぶりに見たわ……」


 到着したその場所は、少し日の差し込む開けた場所、真ん中には石造りの少し大きなアーチが鎮座している。

 動物たちが残したであろう食べ残しがそばに落ちていて、石の裏側はすっかり苔むしていた。


「えっと、たしかこれよね」


 アーチに付けられたすっかり色の削れた石版に、兎の形をした小さな木彫りを嵌め込んだ。

 すると、アーチの向こうが鬱蒼とした森の中から、明るい空と高い柵の見える景色へと変化した。


 魔女は一度、高鳴る心臓を手に押えながら、深呼吸をして。

 アーチを、少し足早に潜った。


「ようやく着いた……と思ったら柵が邪魔ね」

「ぶっ壊せにゃ」

「普通に扉を探しましょう……か」


 もう一度前を向いて、魔女はさくの向こうに広がる世界に一瞬理解が追いつかなかった。

 そして黒猫が心配に思って声をかけるまでの間、魔女はただ景色を瞳に写して固まってしまっていた。


「お嬢?」

「はわぅああぁぁぁ!!!!」


 咄嗟に柵に張り付いた魔女の目の前に広がっていたのは、魔女が憶えていた朧気おぼろげな薄霧にかかった街からは想像もつかないような景色だった。


「これが……村!?」

「どちらかと言うと、街にゃ」


 色鮮やかで様々形の屋根に黄金や真っ白な壁の建物、黒い煙を上げて走るカラクリや、天高く何重にも積み上げられた建物群、それらを繋ぐ真っ黒な橋や階段。


 積み上げられた建物群を見上げると、頭上に青空が覗いているのが見えた。


 太陽の光が十分に届いていないにもかかわらず街はとても明るく、屋根に鮮やかな大きなテントが貼られたお店らしきものやガラス張りの雑貨屋に森の木々よりも大きな木が建物の屋上などに植えられているようだった。


「しばらく見ないうちになんだか、すごくなったのねぇ」

「しばらくって言っても、何万年単位かの話にゃよ……」


 胸の叩く音が強く、黒猫の声も耳に届かないほどに高揚していた魔女は年齢を思い出させる黒猫の話など耳に入らなかった様子。


「さ!行きましょう!」

「無視するなにゃ」


 魔女は扉を探すため、柵に沿って走っていった。

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