年上のお姉さんが好きです。そのお姉さんの正体がグロテスクな化物だとさらに好きです。

kiki

年上のお姉さんが好きです。そのお姉さんの正体がグロテスクな化物だとさらに好きです。

 



 昔から、刺激的な恋がしたいと思っていた。


 だから初恋は年上のお姉さんだったし、妄想の中でお姉さんがグロテスクなクリーチャーになる姿を妄想して興奮したりしてた。


 寄生虫でもウイルス感染でもいい。


 改造手術でも宇宙生命体の襲撃でもいい。


 決して異常じゃない。


 年頃の娘ならよくあることだと思う。


 もちろん現実世界にそれを持ち込むつもりはない。


 現実に望むのは、年上のお姉さんと刺激的な恋がしたい――という部分までだし、クリーチャーを楽しむのは創作物の中でだけ。


 そう決めていた。


 だから、ネットでそれ・・を見かけたとき、私はいつになくテンションが上がってしまったのだ。




『光乃宮市って場所にいるんだけど、なんかゾンビみたいな化物がいる。近づいたらヤバいかな?』




 そんな文言と共に貼り付けられたのは、赤い肉の塊に寄生された人間の姿。


 耳から出てきたその塊は、まるで人の頭みたいな形をしていて、人間の体の方はぐったりと力を失い、引きずるようにして歩いている。


 クリーチャーだ。


 亜種だけど、王道なゾンビとかじゃないけど、紛れもなくこれはクリーチャーだ。


 呼吸が荒くなるのを感じる。


 見たい。


 触れたい。


 嗅ぎたい。


 そんな想いが強くなり、今すぐにでも光乃宮市に向かいたくなった。


 けれど――どうやらその土地で起きていた事件は、割と早いうちに終息したらしく。


 化物の目撃情報もそれきり。


 テレビでは、海外のある都市が巨大な化物に襲われ壊滅しただとか、日本にも化物が現れただとか、ヤバいカルト教団と繋がってた有名人が一瞬にして消し飛んだだとか、興味深いニュースが報じられてはいたけど、あまり興味は無い。


 あくまで人間がクリーチャーになった姿が好きなだけだから。


 大丈夫、分別は付いてる。


 加えて、そんな報道も時間が経つにつれて徐々に忘れられていき――そもそも無関係な我らが故郷には一切、何の変化をもたらすこともなく――私は今日も変わらず、高校生としての一日を過ごしていた。




 ◇◇◇




 そんな私の生活に変化が生じたのは、光乃宮市で事件が発生した数日後のことだった。


 学校を終えて家に変えると、お隣さんの前に荷物を載せた軽トラックが到着していた。


 隣に住んでいるのは明治さん一家で、二人の子供が独り立ちしたから、今は夫婦で暮らしてるはずだった。


 誰か居候人でも引っ越してきたのかな。それともどっちかが帰ってきた?


 そう思って見ていると、一人の女性が助手席から降りてくる。


 私はその顔を見るなり、思わず胸を押さえた。


 めちゃくちゃ……タイプ……!


 誰なの、あの私に惚れられるために生まれてきたような美人お姉さんは!


 女性は私の方を見ると、何かに気づいたのか、力なく笑い手を振った。


 ……知り合いを見た時みたいな反応な気がする。


 いや、でも私の記憶にある羊子ちゃんと比べると、色々と……パワーアップしすぎているような。




「久しぶりぃ、小春ちゃん」




 その声やっぱり、もしかして――!




「羊子ちゃんなの!?」


「……気づいてなかったのねぇ」


「だって、だってだって、こんなに美人さんになってるなんて聞いてなかったんだもんっ!」




 私は羊子ちゃんに駆け寄ると、その胸に飛び込み抱きついた。


 そう、彼女こそが私の初恋の相手――隣の家に住んでいた年上のお姉さん、明治羊子その人だった。


 大学入学と同時に一人暮らしを始めたから、再会するのはかれこれ8年ぶりぐらいだろうか。


 つまり私が最後に会ったのは8歳の頃ということで――




「逆によく私のことわかったね」




 そっちの方がすごいことかもしれない。


 それとも私、子供の頃から変わってない?




「家族から写真は見せてもらってたのよぉ」




 あ、そういうことか。


 ちょっと安心。


 でも何で帰ってきたんだろ。


 大学卒業と共に地元を離れた彼女は、今はどこかで保健室の先生をやっていたはず。


 こんなセクシーでキュートで色々大きい保健室の先生なんて、禁断の恋が捗っちゃうなあと羨ましがってたんだけど――ああ、そういえば光乃宮市の高校で働いてるって話だったっけ。


 ん、光乃宮市? そういえばあそこで、学校がまるまる一個消滅って話があったよね。




「もしかして羊子ちゃんもあの事件に巻き込まれてたの?」


「巻き込まれたというかぁ……」


「まさにあの消えた学校の中にいたのよ」




 羊子ちゃんの母親が話に入ってくる。


 彼女は目に涙を浮かべながら、事情を話しはじめた。




「かなり最後の方に見つかった生存者だから、ニュースでもあまり報じられなかったのよね」


「そっか、大変だったんだね」


「生き残れただけで十分恵まれてるわぁ」


「体は大丈夫? 怪我とかしなかった?」


「ええ、まぁ……見ての通り、平気よぉ」




 相変わらずねっとり――というかゆったりした話し方をする羊子ちゃん。


 そのあたりは変わってなくてほっとする。


 けれど表情がずっと暗いというか、私に笑顔を向けるときも、何か拭いきれない影みたいなものがある気がする。


 不謹慎かもしれないけど、その影が羊子ちゃんにミステリアスな魅力を付加して、さらに色っぽく見せているように思えた。




「じゃあ今日からここに住むってこと?」


「そのつもりよぉ。またよろしくねぇ、小春ちゃん」




 憧れの羊子ちゃんが隣に戻ってくる。


 私は確信した。


 これはまたとない、口説くチャンスだと。




 ◇◇◇




「よろしくとは言ったけどぉ……当日から泊まりに来るとは思わなかったわぁ」




 その夜、私は羊子ちゃんの部屋にいた。


 同じベッドで横になり、ぎゅーっと抱きつき思う存分懐かしい温もりと、大人なボディの感触を堪能している。


 越してきたばかりで部屋はダンボールまみれだけれど、ベッドは高校時代のまま残されていたようで、問題なく今日からここで眠ることができたのである。




「前はよくこうやってお泊りしてたよ?」




 目の前に羊子ちゃんの顔がある。


 あっちも私のことを見つめてるけど、私が感じてるほどドキドキはしてないんだろうな。




「そうだったわねぇ。でもあの頃はまだ小学生だったからぁ……」


「成長してセクシーになった?」


「ベッドが狭くなったのとぉ」


「そこ言う……?」


「ふふ、前よりかわいくなったわぁ」




 そう言って、羊子ちゃんは私の頭を撫でた。


 ロングヘアは彼女の真似をしてはじめたものだ。


 大人っぽい印象になるかなと思って伸ばしてみたけれど、こうして“本物の大人”を前にすると、私なんてまだまだ子供なんだと思い知らされる。




「羊子ちゃんは……すっごく美人になったね」


「そうかしらぁ」


「その色気で保健室の先生ってことは、みんな放っておかなかったんじゃない?」


「そんなことないわぁ。わたし、案外薄情なのよぉ。だから言い寄られることはあってもぉ、先に向こうが諦めて離れていくっていうかぁ」


「言い寄られることはあったんだ」


「ふふっ、どうして小春ちゃんが不機嫌になるのかしらぁ」


「だってほら、私と羊子ちゃんは小さい頃に結婚の約束したでしょ?」


「……ああ、そんなこともあったわねぇ」




 幼少期、すでに言質は取ってあるのだ。


 もちろん羊子ちゃんの中では、子供の遊びのつもりだったのかもしれないが――その“武器”をむざむざと捨てる私ではない。




「私は今も待ってるよ。羊子ちゃんが私のことをお嫁さんにしてくれるって」


「女の子同士は結婚できないのよぉ」


「心を通じ合わせることはできる」


「本当に……わたしのことが好きなのぉ?」


「好きだよ」


「あの頃からずっとぉ?」


「私は自他ともに認めるお姉さん好きだけど、あれから8年経っても羊子ちゃんを超えるお姉さんは現れなかったって断言できる」


「お姉さん好き、ねぇ……」




 羊子ちゃん、どうやらあまり乗り気ではないらしい。


 でもそれは予測済みだ。


 久しぶりに会った女子高生に突如として求愛されても、そう簡単に受け入れることはできないだろう。


 慌てることはない。


 今日からずっと羊子ちゃんは隣にいるのだから。


 持久戦で行こう。




「わたしぃ……そんなに尊敬できる人間じゃないわよぉ?」


「別に尊敬してるから好きになったわけじゃないし。だいたい、私が知ってる羊子ちゃんは高校生までなんだよ」


「だったら、今のわたしは好きじゃないかもしれないわねぇ」


「そんなことはない。羊子ちゃんは私に愛されることが宿命であるかのように、前よりもパワーアップして帰ってきたからね」


「ふふっ、大げさねぇ。でも褒められて嬉しいわぁ」




 ……軽く流された気がする。


 でもこういうのは、何度も口に出して言うのが大事だと思う。


 好きって何度も言えば、相手も『もしかしたらこの子のことが好きかも……キュン☆』ってなっちゃうものだ。


 今回が初挑戦だから本当かどうかは知らないけど。




「でもねぇ、本当にわたしはそんな素敵な人間なんかじゃないのよぉ。だからこうやって、先生をやめて戻ってきたんだからぁ」


「学校が消えちゃったんでしょ、仕方ないって」


「それもあるんだけどぉ……」


「中で何かあったの?」


「んー……あったわよぉ、色々。戒世教って知ってるでしょぉ?」


「ああ、あのいっぱい人を殺したとかいうカルト教団の」




 光乃宮市で起きた事件とかは、だいたいそいつらが原因だって聞いてる。




「その犠牲者がいっぱいいてねぇ、わたしが面倒見てた生徒も死んじゃったのよぉ……」


「でもそれって羊子ちゃんは悪くないよね」


「そうかしらぁ……何かできることがあったんじゃないかって」


「無いよ」


「……」


「大勢を殺すようなヤバい集団に、一般人ができることなんて無いって。こうして生きてるだけで偉いよ、羊子ちゃんは」




 よしよし、って羊子ちゃんの頭を撫でてみたりして。


 だって羊子ちゃん、めちゃくちゃ落ち込んでるんだもん。


 もしかして生徒が死んだのがトラウマになったから、傷ついて帰ってきたのかな。


 だとしたら私が全力で慰めないと!




「先生って職業についたからって、無理して立派な人間になろうとしなくていいんじゃない。私の中にいる羊子ちゃんは、おっとりしてて、マイペースで、めんどくさがりやで。そんな人間だよ」




 だから先生になったって聞いたときはびっくりした。


 立派だなあって感心すると同時に、大丈夫かなって心配にもなった。


 今の様子を見ていると、私の心配は的中したみたいだ。


 使命感とか、義務感とか、そういうものを背負って生きてくタイプの人じゃないのに。




「そんなわたしなら、尊敬……できそうにないわねぇ」


「そうだよ。でもそんな羊子ちゃんが私は好きだから」




 尊敬するとか、立派だとか、そんなの関係ない。


 何なら怠け者のダメ人間だって私はかまわないんだから。




「帰ってきてからずっと暗い顔してるなと思ったら、そんなこと考えてたんだね」


「小春ちゃんは……すごいわねぇ」


「そう? 軽薄な人間だねってよく言われるけど」


「……それを言う人もすごいわねぇ」


「でも気にしてないよ。興味あること意外は雑に流しちゃえるのが、私のいいことだと思うから。無責任に思えるかもしれないけど」


「いいところよぉ、わたしすっごく救われたものぉ」


「じゃあ好きになった?」


「それとこれとは別ねぇ」




 そう言いながらも、羊子ちゃんは私の体を抱き寄せる。


 まあ、慌てないでいい。


 羊子ちゃんの心が傷ついているなら、それを癒やすのにも時間がかかるだろうし。


 ゆっくり傷も距離も埋めていこう。


 そんなことを考えながら、私は甘い香りと心地よい温もりの中で、眠りに落ちた。




 ◇◇◇




 それから私は、毎日のように羊子ちゃんにラブを伝え続けた。


 好きだよ。


 大好き。


 結婚するなら羊子ちゃんしかいない。


 添い遂げたい。


 羊子ちゃん以上に美人な人を知らない。


 羊子ちゃんは世界一かわいい。


 優しい、あったかい、おっとりしてるところも好き、一緒にいてゆっくりできるところが好き。


 何もかもを愛してる。


 そうやって熱烈に――本当に我ながら熱烈に、懲りずに愛の言葉を繰り返したのである。


 私が思うに、これは一種の催眠だと思う。


 私に全肯定されることで、羊子ちゃんの自己肯定感を高める効果もあると思うし、好き好きと言っているうちに、相手も徐々に私のことを意識するようになる。


 一石二鳥だ。


 実際、最初は『はいはい、わかってるわよぉ』と軽く流していた羊子ちゃんも、一ヶ月ぐらい経つと様子が変わってきた。


 好き! って言うと、『もう、昨日も聞いたわぁ』、『小春ちゃんはそういうの恥ずかしくないのぉ?』とちょっと恥じらいだして。


 さらに一ヶ月ぐらい経った頃には、『わたしじゃなくて、他の人を探した方がいいわよぉ』、『わたしなんて、小春ちゃんが思うような女じゃないんだからぁ』とついに私の気持ちを否定しなくなった。


 ――行ける。


 あとひと押しで落とせるッッ!


 確かな手応えに、私のやる気はさらに激しく燃え上がり、もう授業内容なんて全然頭に入ってきてなかった。




 ◇◇◇




 そうして迎えたとある金曜日。


 今日も羊子ちゃんの部屋に泊まることになっている。


 土日もお泊りして、二人で遊びにいく約束もして――もはやこれはデートと言ってもいいんじゃないかな。


 理想的な展開としては、土日のデートで告白、そのままホテルへ向かう流れ。


 羊子ちゃんは大人だし、それぐらい大胆でもいいはずだ。


 でも場合によっては、今日のお泊りで告白してしまうのもありだと思う。


 そして恋人として初デートを迎え、そのままホテルへ。


 これもいい。


 ありだと思う。


 いや、というかどちらにせよ、羊子ちゃんが彼女になったらハッピー極まりないので、とにかくこの週末のうちに押し切りたい。


 私はそんな覚悟を胸に秘め、学校から帰ってきたあと、すぐさま準備しておいた荷物を持って羊子ちゃんの部屋へ向かった。




「本当に飽きないのねぇ、わたしの部屋なんて何も無いのにぃ」




 部屋に入ってテーブル越しに向かい合うと、羊子ちゃんは微笑みながらそう言った。


 苦笑いではなく、割と嬉しそうに。


 何だかんだで、羊子ちゃんも私と過ごす時間を楽しんでくれてるのが伝わってくる。




「私は大好きな羊子ちゃんさえいれば十分だよ」




 羊子ちゃんは光乃宮市の部屋からあまり荷物を持ってこなかったようで、部屋に置かれている家具は、元からあるベッドと机ぐらいしかない。


 他はクローゼットに押し込んであるのか、確かに寂しい空間ではあった。


 前は小説や漫画とか、色んな本を読んでたけど、最近はそんな気分にもなれないらしい。


 なのでここに存在する装飾は、二人で遊びにいったとき、UFOキャッチャーで取ったぬいぐるみぐらいのものだった。


 もちろん遊ぶものもないので、もっぱら私たちは雑談ばっかりしている。


 映画を見ることはあるけど、それもたまにだ。


 さすがに、実際にそういう現場に遭遇した羊子ちゃんに、スプラッタホラーばっかり見せるわけにもいかないし。




「またそういうこと言うのねぇ……」


「何度だって言うよ。だって本気でそう思ってるんだもん」




 羊子ちゃんは髪の毛をいじりながら頬をほんのり赤く染め、わずかに目を逸らした。


 その仕草に、私の胸はきゅんとしてしまう。


 なんてかわいいんだ。


 これで羊子ちゃんがゾンビだったら本当に好みど真ん中なんだけど、それを差し引いたって羊子ちゃん以上の理想のお姉さんはこの世に存在しないだろう。


 うん、断言できる。




「わたしを褒めても何も出ないわよぉ?」


「笑顔は出るよね」


「わたしが笑っても価値なんてあるかしらぁ」


「私にとってはどんな大金よりも価値がるけどな」


「大げさねぇ」


「それぐらい好きなの。もしかしてまだ疑ってるとか?」


「もうさすがに信じたわぁ。ここまで情熱的に口説かれたら、嫌でもわかるものぉ」


「私の気持ちが伝わったみたいでよかった」


「だからって、何度言われたって付き合うつもりはないわよぉ? 以前も言ったけどぉ」


「自分より素敵な人なんていくらでもいるから、そっちを探しなさぁい……でしょ?」




 先回りして、羊子ちゃんの決め台詞を封じてみる。


 そして私は四つん這いで彼女に近づくと、背後に周り、背中から抱きついた。


 耳元に口を寄せ、優しくささやく。




「羊子ちゃんより素敵な人なんてこの世に存在しないよ」


「ん……だからそれやめてよぉ。耳元で言われたって、くすぐったいだけなんだからぁ」


「ふふふ、羊子ちゃんの顔真っ赤ー」


「誰だってそうなるわぁ。まったく、小さい頃はあんなに可愛かったのに悪い子に育っちゃったのねぇ」




 そう言いながらも、羊子ちゃんは私を振り払ったりはしない。


 行けるぞ、押せ、押すんだ小春!


 私は抱きつく両腕に力を込めて、体を密着させる。


 ごくりと、羊子ちゃんが喉を鳴らす。


 私の高鳴る心音を押し付けて、この感情の高ぶりを言葉に乗せて。




「だから悪い子に育った責任取ってよ。私は本気で羊子ちゃんと恋人になりたいって思ってるよ」


「小春ちゃん……」




 ドッ、ドッ、ドッ、と心臓は痛いほどに脈打つ。


 羊子ちゃんも同じなんだろうか。


 心なしか、体温が上がっている気がする。


 すると羊子ちゃんは、前に回された私の手に、指先で触れた。


 そのまま握ってほしい。


 指を絡めてほしい。


 そうすれば、言葉で伝えるまでもなく、“答え”だってわかるから。




「っ……ダメよ、そんなの」




 けれどギリギリのところでヘタれてしまったらしく、手は離れていってしまった。




「小春ちゃん、まだ高校生でしょう?」


「何歳でも関係ないよ」


「わたしが犯罪者になっちゃうわぁ」


「隠せばいい」


「その……時間を空けましょうよぉ。せめて高校卒業まで……」


「私ははっきり羊子ちゃんのことが好きなのに、2年も待つ必要ある? その2年の間にできることはたくさんあるよ」


「わたし、これでも元教師なのよぉ?」


「教師と生徒の恋愛なんて珍しくないよ」


「珍しいわよぉ。もう、本当に悪い子なんだからぁ……」


「それで、答えは?」




 逃さない。


 あとひと押しで落とせる。


 そんな確信があった。




「……そのぉ、小春ちゃんの本気は伝わってるわぁ」


「うん」


「待てないって気持ちも、理解したからぁ」


「それなら――」


「でもっ、すぐに結論を出すなんて無理よぉ……わたし、まだ小春ちゃんに言えてないこともあるしぃ……」


「言えてないことって何? ここで聞きたいな」


「少し……心の準備をする時間を貰えないかしらぁ。わたしの話を聞いた上で、小春ちゃんに判断してほしいわぁ。本当に、わたしでいいのかって」




 それって、実質告白を受け入れたということでは?


 そう思ったけど、どうやら羊子ちゃんにはどうしても譲れないことがあるようなので、仕方なしにここは引くことにした。




「仕方ないなあ。でも私、せっかちだからあんまり待てないかもよ」


「必ず近いうちに話すわぁ」


「待ってる」


「ん……」




 私がやれることはやった。


 つまり、あとは羊子ちゃん待ちということで。


 焦れったいったらありゃしないけど、やれることはやった。


 あとは羊子ちゃんが歩み寄ってくれるのを待つとしよう。


 待てるかな。


 待てない気もする……まあ頑張ろう。




 ◇◇◇




 その日の夜、私は変な夢を見た。


 羊子ちゃんと同じベッドで寝るのはいつものことで、口では言えないような夢を見るのもいつものこと。


 けれどその日の夢はあまりに生々しくて。


 温度や、痛みまで伴っているような――リアルなものだった。




「小春ちゃん」




 羊子ちゃんが私に馬乗りになっている。


 暗い部屋の中で、頬を紅潮させ、呼吸を荒くしながら私を見下ろしている。


 まるで私に興奮してくれてるみたいで、嬉しかった。




「だからダメだって、言ったのにぃ……小春ちゃん、小春ちゃぁん……」




 羊子ちゃんは息苦しそうに胸元に手をやり、ボタンをいくつか外した。


 彼女の瞳が、暗闇の中で血のように赤く光る。


 そして口を開いたかと思えば――ぐちゃぁと唇の端から頬まで裂け、大きく口が開いた。


 中に並ぶのは血みたいに真っ赤な粘膜と、鋭く尖った歯、そして触手のように蠢く長い舌。




「はぁ……はぁ……ダメよぉ、これ以上は……わたしは、人間なんだからぁ……壊疽なんかじゃ、ないんだからぁ……」




 自らを突き動かす欲望を抑え込むように、頬に手を当てる羊子ちゃん。


 けれどその手も、皮が剥がれて、肉がむき出しになったような姿をしていて。


 あらわになった筋肉の筋は、一本一本が脈打っていた。




「でも……少しだけならぁ……はぁ……ああぁ……許して、くれる、わよね……?」




 羊子ちゃんが私の首筋に顔を近づける。


 そして鋭い歯で、私の皮膚を突き破って――




 ◇◇◇




 次の瞬間、私が目を覚ますと、外はすっかり明るくなっていた。


 ちゅんちゅん、と朝のお手本のようにスズメが外で鳴いている。


 ここは、羊子ちゃんの部屋だ。


 そのベッドの上に私はいて、隣には――羊子ちゃんの姿は無い。




「羊子ちゃーん?」




 試しに呼んでみたけれど、返事はなかった。


 他にも違和感はたくさんある。


 なぜかベッドシーツが変わっていたり。


 なぜか……私のパジャマがぶかぶかになっていたり。


 試しに匂いを嗅いでみる。




「すんすん……これ羊子ちゃんのやつだ」




 つまり、着替えさせられたってこと? 羊子ちゃんに?


 一体何が起きたっていうんだろう。


 ひとまず彼女を探すべく、私はベッドから抜け出して、立ち上がろうとしたところで――脚にうまく力が入らず、崩れ落ちる。




「あ、あれぇ……? 寝起きだからかなぁ」




 別に低血圧とか無いんどな。


 頭がくらくらして、貧血になったときみたいな感じがする。


 ベッドに腰を掛け、呼吸を整えていると、次第に体調も回復してくる。


 まあ、たぶん寝覚めが悪かっただけなんだろう。


 昨日は夢も見ていたし、興奮のあまり眠りが浅くなっていたのかもしれない。




「そういや夢……羊子ちゃんが出てきた気がするけどなあ」




 しかし夢というのは薄情なもので、起きるとどんどん記憶から消えていってしまう。


 何とか思い出せないか――と考え込みながら、私はリビングに足を踏み入れる。


 そこで朝食を作っていた羊子ちゃんの母親に声をかけた。




「おはよーございます」


「あらおはよう、今起きたのね」


「ええ……羊子ちゃんはいないんですね」


「あの子なら朝早くに出かけていったわよ。何も聞いてないの?」


「ええ、まあ……」




 今日、デートの予定だったはずなのに、どこに行ったんだろう。


 ふと、私は手に持っていたスマホに目を向けた。




「あ、羊子ちゃんから連絡来てる」




 羊子ちゃんから送られてきたメッセージ。


 そこには、




『ごめんなさい、今日と明日のお出かけは中止で』




 とだけ書かれていた。


 それから一ヶ月、羊子ちゃんが私の前に姿を現すことは無かった。




 ◆◆◆




「羊子、夕ご飯はいいの?」


「……小春ちゃんはいるぅ?」


「今日はもう帰ったわ」




 それを聞いて、羊子は部屋から出た。


 暗い娘の表情を見て、母は心配そうに尋ねる。




「どうしちゃったのよ、あんなに小春ちゃんと仲良かったのに」




 最後のお泊まり会から一ヶ月――羊子は、小春と一切顔を合わせようとはしなかった。


 小春はそれでも羊子の家にやってきて、入れない部屋の前で、返事も無いのに語りかける。




『好きだよ』


『羊子ちゃんが何を考えて私のことを遠ざけたのか知らないけど、これぐらいで諦めると思った?』


『百年でも待つから。死んでも幽霊になって粘る』


『それぐらい羊子ちゃんのことが好き』




 もはや羊子の母にも筒抜けだった。


 おそらく、小春の両親も、彼女が羊子に想いを寄せていることは知っているのだろう。


 あまりにまっすぐで。


 綺麗で。


 血で汚すには忍びない。




「小春ちゃんは高校生でしょぉ? これから人生で色んな人と出会うのにぃ、わたしなんかに時間を使わせるのはもっていないと思ったのよぉ」


「だったら追い返せばいいでしょうに」


「……」




 母からの正論に黙り込む羊子。




「もしかして、体の具合が悪いの?」


「……それは」


「だから小春ちゃんを遠ざけようとしたのね」


「正直……どうしたらいいのかわからないわぁ」




 母の目に涙が浮かぶ。


 光乃宮市を中心に起きた、大量の死者を出した事件。


 それに巻き込まれた羊子は、化物に襲われ一度は命を落とした。


 その後、色々あって蘇ったわけだが――その代償として、彼女は人間の肉体を失った。


 今の羊子の体を構成しているのは、“壊疽”と呼ばれる人喰いの怪物。


 普段は人間としての理性を保って生活しているものの、時折、体の奥底から『人間を喰らいたい』という欲求が湧き上がってくる。


 それは、小春が熱心に羊子に想いを伝えるたびに強くなっていき――ついに一ヶ月前の夜、我慢ができなくなってしまったのだ。




『小春ちゃん、ああ、小春ちゃん。おいしい……小春ちゃんのお肉、おいしい……』




 気づいたときには、口の中は小春の血肉で満たされていた。


 咀嚼するたび、嚥下するたび、乾いていた体が潤っていくように感じられた。


 だが欲望が満たされるにつれ、羊子は正気を取り戻す。




『小春ちゃん……い、いやっ、小春ちゃあぁぁんっ!』




 目の前にあったのは、首筋から大量に血を流し、死にかけている小春の姿だった。


 不思議と幸せそうな顔をしていたが、それは間違いなく気の所為だろう。


 幸い、今の羊子には傷を治癒する力があったため一命をとりとめたものの――部屋は血まみれ、口や胃袋にも人肉の感触が残り、そしてそれを美味だと感じる自分自身への強烈な嫌悪感は消えない。


 もちろん罪の意識も。


 こんな自分に、小春を愛する資格なんてないのだと――羊子は、そう確信したのであった。




 ◆◆◆




 しかし、一人で抱え込んでいるだけでは何も解決しない。


 今日も小春は羊子の部屋の前に来て、愛の言葉を伝えてくるのだ。


 顔すら見えない、声も聞けないというのに、変わらぬ熱量で。


 怖いぐらいに真っ直ぐな愛情を、羊子に向けてくる。


 時間が経てば気持ちも冷める――そんな考えは甘かったのだ。


 降り注ぐ熱の籠もった愛情を感じ、羊子自身も、以前よりさらに強く小春に惹かれるようになっている。


 そして、彼女を求める“食欲”もまた――




 一番いいのは、この地を離れることだ。


 誰も知らない場所で、新たな人生をやり直す。


 しかしそれにはいくつもの問題があって、金銭面だったり、仕事だったり、未だ不安定な肉体のことだったり。


 何より、光乃宮市で事件に巻き込まれた羊子が生死不明だった間、家族は彼女のことを強く心配していた。


 再会できたときはお互いに涙をボロボロと流した。


 その影響か、今でも家族は羊子に対して過保護で――おそらく一人暮らしは猛反対を受けるだろう。


 家族を悲しませたくない。


 小春を悲しませたくない。


 なら、自分はどうしたらいいのか。


 情けないことに自分で解決できないことはわかっていたので、頼る相手は離れた場所に住む知人。


 完全な化物になっていた自分を、人間の姿で生きていけるようにした人物――倉金依里花という少女だった。




『もしもーし、どうしたの先生』


「急にごめんなさい、忙しかったかしらぁ」


『別にそんなことないけど。わざわざ通話かけてきたってことは、体のことで何か問題でも発生した?』




 依里花は、かつて羊子が養護教諭をしていた高校の生徒だった。


 つまり光乃宮市での化物騒動に巻き込まれた一人であり、そしてそれを解決に導いた立役者でもある。




「人を……食べちゃったのよぉ」


『ありゃー』




 依里花の反応はとても軽かった。


 以前はかなり陰気な少女だったが、周囲の人々の影響で良い方に変わっているのだろう。




『その人は生きてるの?』


「魔法をを使ってなんとか治療したわぁ。でも……まさか好きになった相手を、食べたくなるとは思ってなかったのよぉ」


『ああ、そういう話なんだ。ちなみにだけど、その子に感染ったりしてない?』


「それは大丈夫みたいよぉ」


『ならよかった。で、今はどうしてるの?』


「距離を置いてるわぁ」


『じゃあ良くない?』


「でもぜんぜん諦めてくれなくてぇ」


『なるほど、先生愛されてるんだ。ちなみに、先生が食べたこと相手は知ってるの?』


「知ってたらそんなことにならないわよぉ」


『じゃあ伝えるしかないんじゃない?』




 他人事だからなのか、はたまた本気でそう思っているのか。


 あっけらかんと、依里花はそんなアドバイスをした。




「わたしが化物だってことも話すのぉ?」


『他人に言いふらすようなタイプ?』


「それは無いわぁ」


『ならいいじゃん。事情を知らずに距離を置かれると、辛いよ?』




 実感の籠もった言葉だった。


 確かに、今の小春は辛い立場なはずだ。


 それでも途切れずに羊子への想いを持ち続けている。




「そうねぇ、何も知らずにいるよりはぁ、すべてを知って諦めてもらった方がいいわよねぇ」


『諦められる前提なんだ』


「だって、相手が人を食べる化物って知って喜ぶ人間なんていないわぁ」


『そりゃそうだけど、それでも好きって言われたら?』


「それは……どうしようかしらぁ」




 頬に手を当て、困り顔をする羊子。


 そのパターンは考えていなかったが、確かに今の小春を見ているとあり得ないことではない。




『ていうか話を聞く限り、先生もその人のことかなり好きなんだよね』


「そう、ねぇ……最初はそうでもなかったはずなんだけどぉ、好きって言われていくうちに、どんどん気になっていったというかぁ……」


『じゃあ付き合っちゃっていいんじゃないかな』


「また食べたくならったら、そのときはぁ……」


『その相手を食べたいって衝動、好きになったら湧いてきたんだよね』


「そうなるわねぇ」


『要するに別の欲望とごちゃまぜになっちゃってるんじゃないの?』


「別の、欲望? そ、それってぇ……」




 羊子の顔がぼっと赤く染まる。


 依里花はその顔が見えているわけではないが、照れていることには何となく気づいていた。




『そっちを満たしちゃえば、食欲も消えるんじゃないかな』


「そんなこと、あるのかしらぁ……」


『別に日常生活の中で人を食べたくなるってわけでもないみたいだし。試す価値はあると思うよ?』


「ん……でも相手は高校生だしぃ……」


『もう一回食べてるんだから、そんなモラルなんて意味ないって』


「うぅ……」




 再び正論で殴られる羊子。


 確かに、すでに彼女は小春を傷物にしてしまっている。


 その責任を取る必要もあるのだ。




『それにさ、先生は今の自分の体にすごくネガティブなイメージを持ってるでしょ?』


「それは……当たり前よぉ」


『誰かに愛されたら、そういうのも変わってくるんじゃないかな。私がそうらしいし』


「……恋人さんとうまくやってるのねぇ」


『上出来過ぎるぐらいにね』




 向こうから『ねえまだー?』という声が聞こえてきた。


 どうやら依里花は誰かを待たせているらしい。




「ありがとねぇ、相談に乗ってくれてぇ」


『参考になったなら何よりだよ。あと、どうしても体の調子が悪いと思ったら相談してね、こっちで何とかできないか探って見るから』


「重ね重ね助かるわぁ」


『生かした張本人だから責任は果たすよ。それじゃ、また』


「またねぇ」




 通話が切れる。


 ベッドに座っている羊子は、天井を見上げて「ふぅ」と息を吐き出す。


 そして自分の手のひらをライトにかざすと、ぐにゃりとその腕を変形させた。


 腕はまるでむき出しの内臓のような、グロテスクな姿に変わる。




「これを見ても、小春ちゃんがわたしを好きって言ってくれるならぁ……」




 付き合ってもいい、と言おうとして――彼女は首を振った。


 いや、違う。


 好きでいてほしいのだ。


 祈るのは羊子の方だ。


 だってとっくに、彼女は小春に心奪われてしまっているのだから。




 ◆◆◆




 羊子ちゃんからメッセージが送られてきたのは、ちょうど下校時間の頃だった。


 一ヶ月ぶりだったから飛び跳ねるぐらい嬉しくて――っていうか実際にその場で飛び跳ねちゃって、周囲から変なやつだと思われたりしたと思う。


 でも周囲の目なんて気にならない。


 私は全力疾走で家に帰り、そして着替えもせずに制服のまま羊子ちゃんの家を訪問した。


 部屋の前に立つ。


 ドアノブを握ると、今日は――鍵がかかってなかった。


 向こうから呼び出してきたんだし、入っていいって言ってたから……このまま入って、いいんだよね。


 前は当たり前みたいにこの部屋で泊まってたのに、何だか妙に緊張してきちゃった。




「入るね」




 そう声をかけると、




「どうぞ」




 と返事が返ってくる。


 それだけで、涙が出るぐらい嬉しかった。


 というか泣いてた。


 どんだけ羊子ちゃんのことが好きなんだ私。


 部屋に入ると、そこには1ヶ月前とほとんど変わらない彼女がいて――




「よ……よ……羊子ちゃぁぁああんっ!」




 私は我慢できずに、彼女の胸に飛び込んだ。




「うわっ、小春ちゃん!?」




 驚きながらも私を受け止めた羊子ちゃん。


 そのまま彼女はよろめいて、そしてベッドに倒れ込んだ。


 胸に顔を埋めて、私は頬ずりをする。




「羊子ちゃぁん、会いたかったよぉおお……!」


「小春ちゃん……ごめんねぇ、ひどいことしちゃったねぇ……」




 羊子ちゃんも涙声になりながら、私の頭を撫でる。


 そっか、羊子ちゃんも辛かったんだね。


 理由は知らないけど、もう許した。


 完全に許した。愛で許した!




「今日からは、元通りに会えるんだよね?」




 そう問いかけると、羊子ちゃんの表情が曇る。




「また会えなくなるの?」


「小春ちゃんが……会いたくなくなるかもしれないわぁ」


「そんなのありえないよ!」




 食い気味に私は声を荒らげた。


 思ったよりも大きな声がでて、自分で驚く。


 羊子ちゃんも軽く目を見開いて驚いてた。ごめん。




「ふふ……本当に小春ちゃんの気持ちは嬉しいわぁ。けどね、きっとこれを聞いたら、わたしのこと嫌いになるからぁ……」


「ぜっっったいにならないから、聞かせて」




 正直、怖かった。


 だって羊子ちゃんは、私がどれだけ羊子ちゃんのことが好きかもうとっくに知ってるはずで。


 それを知った上で、“嫌いになる”と断言しているのだ。


 とんでもない隠し事なんだろう。


 それこそ、実は羊子ちゃんが羊子ちゃんじゃなかった――ってぐらいに。


 すると彼女は一旦私と距離を取った。


 お互いにベッドの端と端あたりに正座で座って、向かい合う。




「わたしねぇ、実はぁ……」




 羊子ちゃんの腕の皮膚が、どろどろに溶けていく。


 筋肉がむき出しになって、その繊維が触手のようにうねうねと動き出した。


 顔にも変化があった。


 瞳が赤く染まり、口が大きく裂けて、まるで刃物のような鋭い牙が並ぶ人外の姿へと変わったのだ。




「人間じゃないのよぉ。“壊疽”っていう、人間を食べる化物になっちゃったのぉ」




 私は――声を出せなかった。


 そんな反応を見て、羊子ちゃんはとても悲しそうな顔をした。




「そうよねぇ、気持ち悪いわよねぇ」




 ――しまった、見惚れてる場合じゃない。




「わたしぃ、近いうちにこの家を出ていくわぁ。やっぱり小春ちゃんの近くにいるべきじゃ――」




 私は素早く膝で羊子ちゃんに近づくと、その変異した腕をがっしりと両手で掴んだ。


 うわ、ぬめってした。


 手のひらに生ぬるい血みたいなのがへばりついて……うへへへ。


 って味わってる場合じゃない。


 私は羊子ちゃんの目をしっかりと見て、言葉で伝える。




「気持ち悪くなんてない!」


「小春ちゃん……無理しないでもぉ」


「むしろ私は嬉しい!」


「……ん?」


「羊子ちゃんみたいな綺麗なお姉さんは大好きだけど、綺麗なお姉さんが人外の体になるのはもっと大好きだから超嬉しい!」


「え? あの、小春ちゃん……?」


「羊子ちゃん!」


「は、はい……」


「私ね、実を言うと今日まで何回も妄想してきたの。羊子ちゃんの体が化物になって、私に襲いかかるところを! ああ、でもそういう意思疎通できなくなるパターンもいいんだけどぉ、こうして人間の意識を保ったまま人間じゃない体になるのもいいよね! だから今の状況もすっごくあり。私としては大ありで、この肉むき出しィッ! って感じの手とかすっごく大好物なんだけどぉ!」


「あ、そ、そう、なのぉ?」


「でもこれって、なかなか人に言える趣味じゃなくって!」


「そうでしょうねぇ」


「誰にも言えなくて……今までずっと、家で映画とか見たり、イラスト集めたりして一人で楽しむことしかできなくて……きっと一生、私は自分の胸の中に想いを封じ込めて生きていくんだと思ってた」


「たぶん、それがいいと思うわよぉ」


「だけどッ! 羊子ちゃんはこうして私の願望を叶えてくれた!」


「えぇ……」




 引いてる?


 でもそうはいかないよ、だって自分から見せてきたのは羊子ちゃんの方なんだから。




「羊子ちゃん!」


「こ、今度は何ぃ……?」


「たぶんだけど、ここまで羊子ちゃんのことを愛せる人間、この世に私しかいないと思うよ」




 不意打ち気味に、パンチを繰り出してみる。


 その言葉はノーガードだった羊子ちゃんの顔面にクリーンヒットしたらしい。


 引きつってた頬がぽっと赤く染まって、わかりやすく狼狽えている。




「ま、待って小春ちゃん……わたしぃ、頭が混乱してきちゃったわぁ……」


「本来それって私の方じゃない?」


「そうなんだけどぉ! 小春ちゃんの返事をぉ、何パターンか想定してきたのにぃ……それとは全然違う答えが返ってきてぇ……」


「完全に拒絶されるとか、愛してるから受け入れるとか、そういうやつ?」


「そう、なのよぉ。まさか、完全に受け入れられるとはぁ……それどころか喜ばれるとは、ぜんぜん想像してなかったのよぉ……ほ、本当なのよねぇ?」


「もちろん! ゾンビに噛まれるために薬学の道に進もうと思ってたぐらいだから!」


「筋金入りだわぁ……」




 今度は呆れられてしまった。


 結果的にシリアス空気を破壊することに成功したので、私の作戦通りと言えよう。


 作戦なんて立ててないけど。




「でもぉ……さすがに殺されるには嫌でしょう?」


「羊子ちゃんの中に理性では押さえられない本能が眠ってるの!?」


「何でまた嬉しそうなのぉ……」


「お約束だよ! 王道だよ! 化物に変わってしまった人間が、怪物の本能に抗えずに人を襲ってしまう! 正気に戻ったあとに後悔するけど、すでに手遅れで――」


「そう、襲っちゃったのよぉ。わたしぃ、小春ちゃんのことを食べたのぉ……!」


「へ?」




 羊子ちゃんもおかしなことを言う。


 本当にそんなことがあったら――




「私、ピンピンしてるけど」




 そう、とっくに私も化物になってるか、死んでるかの二択だからだ。




「治療したから気づかなかっただけ」


「治療」


「色々あってね、わたしは傷を癒やす魔法が使えるのよぉ」


「魔法!? ファンタジー路線も混ざってるの!?」


「路線って言われても困るんだけどぉ……その、一ヶ月前、小春ちゃんが泊まったあの日に、わたしは我慢ができなくてぇ……」




 一ヶ月前というと、私があの不思議な夢を見た日のことか。




「気づいたら、目の前には死にかけの小春ちゃんがいてぇ……血まみれでぇ、口の中には小春ちゃんの一部があってぇ……あんなの、あんなことしておいて、こんなわたしが、小春ちゃんの近くにいる資格なんてないのよぉ……!」




 羊子ちゃんの声が震えている。


 両手で顔を覆い、涙を浮かべるその姿から、私は強烈な後悔を感じた。




「そっか、食べられちゃったんだ」




 変な話だよね。


 食べた側がこんなに悔やんでて、食べられた方がむしろ忘れてることを悔やんでるなんて。




「別に私、羊子ちゃんになら食べられてもいいよ?」


「わたしが嫌なのよぉ!」




 そりゃそうだ。


 人間なんて食べたくないもんねえ。




「わたしは、小春ちゃんと……もっと、いっしょにいたいのにぃ……」




 あ、そっちか。


 ん? そっちなの?


 それってつまり――




「羊子ちゃん、私のこと好きになってくれたの?」


「あんなに好きって言われたら、誰だってそうなるわぁ!」




 あっさり認めちゃった。


 そっか、そうなんだぁ。


 羊子ちゃん、私のことそんなに好きなんだぁ!




「じゃあ私の執念勝ちだ」




 思わずニカっと笑ってしまう。


 でも羊子ちゃんはまだ泣いたまま。




「なんでよぉ……どうして、わたしみたいな人間をぉ……誰かを守れないだけじゃない、傷つけることしかできない人間をぉ……!」


「羊子ちゃんは、自分の体が嫌いなの?」


「好きになれるわけないわぁ!」


「まあ……それもそっか。でも自分のことずっと嫌ったまま生きていくの、辛くない?」


「だから……わたしは、別に生きてくのを望んだわけじゃ……」




 羊子ちゃんはうつむき、垂れる前髪で表情が見えなくなった。


 けれど滴る雫だけで、十分にその感情は伝わってくる。




「なら羊子ちゃんが愛せない分、私が愛さないとね。大丈夫、人の倍以上羊子ちゃんを愛せる自信はあるからどーんと任せてよ!」




 胸を叩いて、堂々と宣言する。


 私だってわかってるよ、ここは真面目な話をする場面だって。


 でもさ、私は羊子ちゃんがクリーチャーだったって知って嬉しいわけで。


 それはもう、演技で嘘をつくことが出来ないぐらいときめいちゃってるわけで。


 だったら明るく、羊子ちゃんの落ち込んだ気持ちを引っ張り上げることしかできないじゃん?


 すると羊子ちゃんはゆっくりと顔をあげて、すがるように私を見つめた。




「どれだけの、重荷を背負うことになるわかってるのぉ?」




 拒絶のためではなく、私の覚悟を問うために。




「それって私のこと、重めに愛してくれるってことだよね」


「バカ……本当にバカ……あと変態よぉ!」


「否定できないかも……」




 あのでろんでろんになった手にめっちゃ興奮してるし、裂けた口とか舐めたいと思ってるし。


 変態なのは認めるしかない。


 なので開き直って、私は羊子ちゃんの頬に手を当てた。


 手のひらの下で、裂け目がもぞもぞと動く。


 赤く開いた唇の向こうにずらりと並んだ禍々しい牙が愛おしくてたまらない。


 その愛おしさを純度そのまま、言葉にしてお伝えする。




「羊子ちゃん」


「ん……」


「好きだよ」




 変に飾らず、ありのままの姿で。


 今日までたくさん好きだって伝えてきたから、逆に今日はこれでいい。


 だってほら、羊子ちゃんもさっきとは違う意味で目を潤ませて、私の方を見てくれてるし。




「……わたしも、小春ちゃんのことが好きよぉ」




 そして羊子ちゃんも飾りっ気のない言葉で私に答えてくれて。


 そのまま引き寄せられるように、私たちは唇を重ねた。




 ◆◆◆




 それから数週間後が経った。


 羊子は小春が学校に行っている間、自分の部屋に引きこもりがちである。


 その日も例に漏れず部屋に転がり、スマホに保存された、小春と二人で撮った動画を見ながらニヤニヤして一日を過ごす。


 表情を見てもわかるように、恋人としての二人の関係性は非常に良好なようだ。


 すると画面に倉金依里花の名前が表示される。


 今度は向こうから連絡をしてきたようだ。




「もしもし、倉金さん?」


『ああ先生、今は大丈夫?』


「ええ、暇してたわぁ。倉金さんは学校の時間じゃないのぉ?


『今日は早く終わったから。ちょっと聞きたいことがあるんだけど……結局、この前の相談の件ってどうなったの?』




 どうやら依里花も小春との顛末が気になっていたらしい。


 羊子はすっかり小春と過ごす毎日に夢中で、彼女に結果を伝えるのを忘れてしまっていた。




「うまくいったわぁ」


『それはよかった。先生の体を受け入れてくれたんだ』


「受け入れたというかぁ……」


『というか?』


「喜ばれちゃったのよねぇ」


『何それ……』




 呆れ顔の依里花。


 誰だってそういう反応を見せて当たり前だ。


 羊子は数週間前の自分も同じような顔をしてたんだろうな――なんて思いつつ、小春の趣味について話す。




「ゾンビとか、エイリアンとかぁ、そういうのが好きだったみたいでぇ。むしろ、壊疽の姿でいてほしいってお願いされるのよぉ?」


『変わり者ね……要は人間以外の方が好きってことでしょ』


「そうでもないのよぉ。わたしみたいな年上のお姉さんがぁ、そういう化物になってるのが好きみたいでぇ」


『ますます変わってるじゃん』


「わたしにぴったりの相手よぉ」




 のろける羊子。


 その表情は、養護教諭だった頃に見せていた、憂いを感じさせるものとは明らかに違う。




『先生が幸せそうでよかった』


「倉金さんのおかげよぉ、ありがとぉ」


『どういたしまして。じゃあ例の食欲の方も解決したんだ』


「ああ、あれなんだけどぉ……確かに倉金さんのアドバイス通りにしたら解決はしたんだけどねぇ」


『含みが有る言い方』


「小春ちゃん、わたしに食べられるのが好きみたいでぇ」


『は?』




 依里花の表情がひきつる。


 一方、それを語る羊子の頬は紅潮しており、どうやら惚気の延長線上のつもりらしい。




「死なない程度に食べてってお願いされちゃったのよぉ。ほらぁ、魔法を使えば傷だって治せるでしょぉ?」


『……それ、本気で言ってるの?』


「本気よぉ? ふふっ、小春ちゃんのふくらはぎねぇ、ぷにぷにで可愛くてとっても美味しいんだからぁ」


『相手、一般人だよね。痛いんじゃないの?』


「それも含めて好きだって言ってたわよぉ」


『変わってるなんてもんじゃないよ……』




 ついに依里花は頭を抱えてしまった。


 対する羊子は、能天気にくすくすと笑っていたが。




『まあ、愛の形は人それぞれだからいいんだけどさ……前も聞いたけど、その子に感染ってたりしない?』




 それは二度目の問いだった。


 羊子の肉体を変質させた“壊疽”は、他者にも感染ることがある。


 もっとも彼女の場合、人間としての姿や意思を保っているため、必ずしも感染能力を持っているとは限らないのだが――




「ふふふ……」




 羊子は、妖艶な笑みで答えた。


 再度、依里花の頬がひきつる。




『せ、先生?』


「そこは大丈夫よぉ。わたしだって小春ちゃんのことが大好きなんだものぉ、お互いに想い合って初めて恋人同士なんだからぁ、意識が無くなったりしたら台無しじゃなぁい」




 感染自体は否定しない羊子に、依里花は大きくため息をついた。




『はぁ……犠牲者が増えないなら別に止めやしないけど。何かあったら私が直接行くから気をつけてね』


「倉金さんが来たら一方的にやられちゃうわねぇ。でも安心してぇ、愛情のしるしは二人だけのもの。誰かに渡したりなんてしないわぁ」




 うっとりした表情で彼女は語る。


 依里花は何を言っても無駄だと悟り、同時にその羊子の危うさは限りなく閉じた・・・――俗っぽく言うと“二人の世界”に対してのみ向けられていると確信し、ひとまずそれ以上の追求はやめておいた。


 仮に何らかの過ちが起きても、制圧できるだけの力もある。




「羊子ちゃーん!」




 玄関の方から、元気な小春の声が聞こえてきた。




「あら、小春ちゃんが帰ってきたみたい。そろそろ切るわぁ」




 羊子はそう告げると、依里花との通話を終える。


 そして恋人を迎えるべく、急いで部屋を出た。




 ◆◆◆




「たっだいまーっ!」


「おかえりぃ、小春ちゃん」




 羊子ちゃんに駆け寄り、思いっきり胸に飛び込む。


 私は制服姿のままで、家にも帰らず真っ先に羊子ちゃんに会いに来ていた。




「んふふーっ」




 羊子ちゃんの胸に顔を埋め、頬ずりをする。


 ついでに匂いでもこすりつけておこうか、私のものだってわかるように。


 すると羊子ちゃんは私の頭を抱きかかえて、愛おしそうに撫でてくれた。




「ふふ、学校が終わっても元気ねぇ」


「だって羊子ちゃんと一緒にいられるんだもーんっ」




 私たちはそうやってじゃれあいながら、愛の巣へと向かう。


 そしてベッドになだれ込むと、至近距離で見つめ合って微笑みあった。


 自然と顔が近づく。


 脚を絡めて、体を押し付けあって、そしてキスを交わす。


 軽く触れ合う程度に、唇に、鼻先に、頬、額、耳、首筋、そしてまた唇へと。


 交わす言葉は無く、ただくすぐったさと幸福感に喉を鳴らし、笑いあう。


 個々の行為に大した意味なんてない。


 ただ“あなたがほしい”という欲求を満たすためだけの時間。


 それが少し落ち着くと、私は羊子ちゃんの口元に人差し指を差し出した。


 すぐに意図を察した彼女は、艶やかな唇ではむっとその指をくわえる。


 そしてコリコリと骨の感触を味わうように、歯を押し付け、こすりつけた。


 指先に感じるのは、流れる吐息、付着する唾液、軽い痛み。


 刻みつけられる牙の痕が、口の隙間から見える。


 他者に所有権を譲渡する愉楽に、私は頬が緩むのを感じた。


 羊子ちゃん曰く、こういうときの私の表情はとても色っぽいらしい。


 彼女の方がよっぽど妖艶だと思うけど、きっとお互いに無意識ってことなんだろうな。


 そして私は羊子ちゃんに指を与えながら、問いかける。




「昨日の私の腕、おいしかった?」




 彼女は「んあ」と口を開いて指を解放すると、その手に自らの手を合わせ、指を絡めながら答えた。




「もちろんおいしかったわよぉ。お肉だけじゃなくて、骨の食感も悪くないわねぇ」


「よかった。また食べたくなったら言ってね。ううん、むしろ今すぐ食べる? もちろん最初は普通にやって、そのあとに……ああ、でも――」




 想像していると、自然と私の口の端は裂けていった。


 ぐちゃあ、と粘液の音がして、歯のあたりがぞわぞわとくすぐったくなる。


 歯の形状が、先端の尖った肉食獣のものへと変わっているんだ。


 さらには絡め合う指も溶けるように姿を変えて、羊子ちゃんの手に、むき出しになった肉の触手を絡めた。


 肌と肌を触れ合わせるよりも、されにダイレクトに相手の感触を味わえる。


 そして変わり果てた口から「はあぁぁ」と熱い吐息を漏らしながら、羊子ちゃんに笑いかけた。




「そろそろ、私も羊子ちゃんのことと食べたいなーなんて思ってるんだけど」




 すると羊子ちゃんもそれに反応してくれて、手を変異させる。


 私たちの異形の指は、人間でも絶対に不可能なぐらい、複雑に絡み合っている。


 そして当たり前のように裂けた口で笑いながら、長く紅い舌をちろりと覗かせ、羊子ちゃんは言う。




「奇遇ねぇ、わたしも食べてほしいって言おうと思ってたのよぉ。わたしたち、相思相愛ねぇ」




 正直に言うと、私までこうなるのは想定外だった。


 もっぱら自分は化物に食べられる側で、自分が化物になったあとなんて、なかなか想像しなかったから。


 ましてや、クリーチャー同士で愛し合うシチュエーションなんて想定外も想定外で。


 私もまだまだ甘かったってことか。


 でもそれが悪いってわけじゃない。


 むしろ新しい扉を開いて――より素晴らしい世界を知った。


 いいよね。ありだよ、人外同士の純愛!


 親には言えないし、将来的にはどうするのって問題とかもあるけど、でもまあ、そんなの些細なことで。


 こんなに刺激的な恋は他にない。


 こんなに喜びに満ち溢れた日々は、きっと普通の人間じゃ味わえない。


 それに羊子ちゃんだって、自分の体に自信を持って、悪いものじゃないって思えるようになったみたいだから。


 少なくとも私たちにとっては、この結果こそが最高であり最善だった。




「まずはここから……小春ちゃんのこと、刻みつけてほしいわぁ」




 羊子ちゃんはシャツをめくると、柔らかそうなお腹を見せた。




「うんっ!」




 我ながら良い返事だったと思う。


 きっと今の私は、まさに満面の笑みと呼ぶべき顔をしているに違いない。


 そして羊子ちゃんのすべすべの肌に唇を寄せる。


 まずは優しくキスをして、そして異形の口をぐぱぁっと大きく開いた。


 羊子ちゃんの体に牙を沈め、溢れ出す血を啜り、肉の感触を楽しむ。


 五感全てで彼女を感じながら、私はその幸福を噛みしめた。



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年上のお姉さんが好きです。そのお姉さんの正体がグロテスクな化物だとさらに好きです。 kiki @gunslily

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