08話 『撒き餌』



 魔物を誘い出すために、俺とエトレナは別行動を取ることにした。


 エトレナには、暗くなるまでに宿へ帰るように言ってある。


 エトレナを一人で行動させるのは心配だが……まあ、寝ている時でもなければ、エトレナが遅れを取ることはないだろう。


 心配せずとも、大丈夫なはずだ。


 大丈夫。


 大丈夫……かな?


 心配になってきた。


 気配を絶って、エトレナを見守ろうか?


 ――いや。


 一人で道を歩きながら、俺は首を振った。


 俺の気配が長時間消えたら、魔物に警戒されるかもしれない――というか、警戒されるだろう。


「……はあぁ」


 深いため息をついていると――


「あっ、昨日の!」


 誰かに声をかけられた。


 目を向けると、見覚えのある女性がいた。


 隣りには、若い男が立っている。


 俺は、笑顔を浮かべながら言った。


「昨日は、復活の祭壇まで案内してもらって、ありがとうございました!」


「いえいえ、大したことじゃないですよ……」


 女性の声は、尻すぼみに小さくなった。


 強張った笑顔を口元に浮かべたまま、冷たい瞳で俺を見る。


「神官様だったんですね。……案内なんて、しなければよかった」


「――テレサ。神官様に失礼だろ」


 テレサさんの隣に立っている幽霊が、白々しく言った。


 申し訳なさそうな顔を俺に向けてくる。


「すみません……テレサにも悪気があるわけじゃないんです」


「いえ、怒るのも当然ですよ。ところで、あなたはテレサさんの……旦那様ですか?」


 幽霊が答える前に――テレサさんが、俺に掴みかかってきた。


「神官様っ! お願いします! お願いしますから……」


「テレサっ!? 何を――」


 幽霊は、大慌てでテレサさんを引き剥がそうとする。


 それでも、指を真っ白にしながら、テレサさんは俺のコートを掴む。


「やっとなんです! やっと、一緒になれて……」


 そこまで言って、テレサさんはとうとう泣き崩れてしまった。


 幽霊は、テレサさんを心配そうに抱きしめている。


 その光景を見下ろしながら、俺は普段と変わらない口調で聞いた。


「新婚ですか?」


 顔を上げた幽霊は、泣き続けるテレサさんに一度目を向けてから……少し、照れくさそうに答えた。


「はい。……つい五日前に、司祭様に祝福していただきました」


 テレサさんを抱きしめたまま、心配そうに背中を撫でている。


「ごめんなさい、昨日からこんな感じなんです。神官様にとんだ失礼をしてしまって……あの、罰は僕が全て――」


「あなた自身は、どう思っていますか?」


 俺は、幽霊の言葉を途中で遮った。


 反吐へどが出そうなのを堪えながら、幽霊の顔を睨み付ける。


「僕、ですか?」


 俺の視線を受けた幽霊は、なおもすっとぼけようとする。


「――下手な演技は、そろそろ止めろ。何が目的だ? お前はどこにいる?」


「……えっと」


 幽霊は困惑した表情を浮かべると、ちらりとテレサさんを見た。


 それから、再び俺に目を向けた。


「ごめんなさい、その……神官様のご質問の意味が、よく分からなくて」



 ――



 カザンブルクの道を歩きながら、周囲に目を向ける。


 人間と幽霊が、楽しそうに歩いている。


 こうやって道を歩いている間に、住民に話しかけられることが何度かあった。


 どうやら、俺たちの正体は街全体に知れ渡っているらしい。


 一般人からしたら、神官様は雲の上の存在だ。俺自身が一般人だったから、よく分かる。


 俺に話しかけるだけでも怖いだろうに……多くの住民が勇気を振り絞って、俺に恨み言をぶつけてきた。


 俺は何も言わずに、それを受け止めた。


 包丁で斬りかかってきた女性もいた。


 怪我をしたらいけないので包丁は取り上げたが、殴りかかってくるのはそのままにした。


 その女性を止めたのは、父親の幽霊だった。


 ……そもそも、幽霊の目的は何なんだろう?


 人間たちの目を見れば分かる。


 俺は、ほとんどの住民からいとわれている。


 逆に言えば、幽霊がそれだけ愛されているということだ。


 ……この街の魔物は、本当に、単に人間を幸せにしようとしているだけなのか?


 そんなことを考えながら――俺は、街の西部にやってきていた。


 そこは広場だった。三方を石壁に囲まれている。


 石壁に白い的が描かれているのを見るに、かつては兵の修練場として使われてたんだろう。


 広場には、アナスタシア神官と、茶髪の少年がいた。


 修練中らしく、どちらも剣を持っている。


 俺の存在に先に気付いたのは、アナスタシア神官だった。


「アル様……昨日ぶりですね」


 目を左右に動かしながら、アナスタシア神官は気まずそうに言った。


「エトレナ聖官は……」


「今日は別行動をしています。……修練中にお邪魔してすみません」


「いえ」


「先ほど教会で別の神官に会ってきたのですが……そちらの方で、モスロ・ビンスク教会から来ている神官は全てですよね?」


 アナスタシア神官が頷くのを確認して、俺は茶髪の少年に目を向けた。


 すると、少し緊張した声が返ってきた。


「……ラッセンです」


 俺は二人の顔を順に見てから、口を開いた。


「ラッセン神官と少しお話したいのですが、構いませんか?」



 ――



「……ラッセン神官がどこまで聞いているのか分からないので、いちおう説明しておきますが、私は中央教会から派遣されてきた聖官です。アルと言います」


「聖官様が来てるってことは、アナさんから聞いてました」


 アナさんってのはたぶん、アナスタシア神官のことだろう。


 ちなみに、アナスタシア神官は、十メートルほど離れた場所にいる。


 魔素をスムーズに動かす訓練をしてるようだが……時折、チラチラと視線を向けてきている。こちらの会話が気になるらしい。


 ……たしか、昨日尋問した時、神官は三人とも魔物に協力してるって、アナスタシア神官は言ってたよな。


 それが嘘だと俺は知っているが、それを悟られるのは避けたい。


 十メートルくらいなら、魔素を耳に集めたら、こちらの会話が聞こえるはずだ。


 内容には、ちょっと注意する必要がある。


「そうですか……ところで、昨日アナスタシア神官から聞いたのですが、神官は三人とも、魔物に協力しているそうですね。

 アナスタシア神官がそうしている理由は聞けたのですが、ラッセン神官は、なぜ協力しているのですか?」


「協力……」


 呟いて、ラッセン神官は苦笑を浮かべた。


「積極的にそうしてるつもりはないんですけど、やっぱり、そうなっちゃいますか?」


「……詳しく聞いても?」


 少しの間、口を噤んだラッセン神官は、たどたどしい口調で言った。


「父さんも母さんもまだ生きてるし、幸いというか……恋人なんて人も、僕にはいません。

 だから、アナさんやマキシムさんと違って、僕には魔物に協力する義理なんてないんです。

 だけど……こう、二人の目が本気だから、逆らっちゃいけない気がして、大人しくこの街にいるだけっていうか」


「……ちなみに、ラッセン神官は、神官になって何年目ですか?」


「二年目です」


「ということは、教会に配属されて早々、こんなことに巻き込まれてしまったわけですね」


 俺が笑みを見せながら言うと、ラッセン神官の緊張が少し解れたようだった。


 それから、伺うような視線を向けながら、おずおずとした口調で言ってくる。


「それで、あの……聖官様。これってやっぱり、教会典範違反になっちゃいますか?」


「……アナスタシア神官とマキシム神官は、残念ながらそうなります。ラッセン神官は、強制されただけのようなので、問題ないですね」


 ラッセン神官は、複雑な表情を浮かべた。


 自分が罰せられないことを知って、ほっとする反面、先輩神官のことを思うと喜べない――おそらく、そんな感情だろう。


 俺はラッセン神官の目を覗き込みながら、意図的にゆっくりとした口調で言った。


「二人の感情は、私にも理解できます。なので、私の方から教会に、処分ができるだけ軽くなるように、口添えするつもりです」


「ほんとですか!」


「もちろんです……ただ」


 ラッセン神官の目に不安の色が生じるのを待って、俺は小さめの声で言った。


「あくまで、今のところです。……私たちは、この街の魔物を倒す予定です。その際、二人が何かをしたなら……分かりますよね?」


 ゴクリと、唾を飲む音が聞こえた。


 ラッセン神官の肩に手を置きながら、俺は真摯しんしな目を向けた。


「無理をする必要はありません。ですが……二人が何かをしてしまわないように、ラッセン神官には、気を配っていただきたいのです」



 ○○○

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