07話 『幸福 中編』
――目を覚ました俺は、部屋に充満させておいた霧を回収しつつ、寝台から立ち上がった。
……結局、幽霊が部屋を訪ねてくることも、宿屋の娘が寝首を搔きにくることも無かったな。
少しばかりガッカリしつつ、黄色い
石造りの部屋が、暗く照らし出される。
俺は正面の壁を見つめながら、隣の部屋に意識を向けた。
壁は分厚い石製なので、向こうの様子はあまり分からないが……意識を集中すれば、気配を感じ取ることができる。
そのことは、昨日の晩に確かめておいた。
だから、エトレナの気配を感じ取れるはずなのに……。
――無い。
俺は慌てて部屋を飛び出し、隣の部屋の扉を叩いた。
「エトレナ! いますか!」
大声で、エトレナの名前を呼ぶ。
返事は無い。
「エトレナ!」
強く扉を叩く。
三度繰り返したところで、限界だった。
「入りますよ!」
腕を振りかぶって、木製の扉を破壊しようとした時だった。
「……朝から、何を騒いでるんですか?」
呆れたような声に目を向けると……エトレナが廊下に立っていた。
右手には、芋を握っている。
「……え、エトレナこそ、何を?」
「私は、お腹が空いたから食堂に行ってて……」
「……そうだったんですか」
振り上げていた拳を下ろす。
そんな俺の姿を見て、エトレナは意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「さっき、私の名前を呼んでましたよね? ひょっとして、心配してくれたんですか?」
「……そんなことより、昨晩、エトレナの部屋に幽霊は現れましたか?」
「話を逸らさないでくださいよぉ」
「はいはい、心配しました。エトレナが未熟なので、師匠としては気が休まらないんです」
ため息をつきながら言うと、エトレナはむすっとした顔をした。
芋をかじって、無言で俺を見つめてくる。
「……話を戻しますが、エトレナの方に幽霊は現れましたか? 私の方には、何も来ませんでしたが」
エトレナは喉を動かすと、不機嫌そうに言った。
「私の方にも、誰も来ませんでした」
○○○
今日の夕方に、カロルさんが街に到着する。
街の役人を名乗る女性が現れて、いつものように魔石で支払いをするはずだ。
カザンブルクの現状を知るまでは、その女性の正体が魔物だと睨んでいたが……おそらく、ただの幽霊である可能性が高いだろう。
それ以外に、今日の予定は決まっていない。
真っ白だ。
魔物に手が届きそうで、届かない。
――そういったことを話した上で、俺はエトレナに聞いてみた。
「夕方まで、どうしますか?」
俺とエトレナは、カザンブルク北部の廃墟、その屋根の上にいた。
ここなら幽霊や人間はいないし、カザンブルクを
「……魔物の気配が一番強いのは、教会ですよね。そこに行ってみる、とか?」
「行って、どうしますか?」
「んーと、どうしましょう?」
俺が冷たい目を向けると、エトレナは甘えるような笑顔を消した。
眉を寄せながら、真面目に考えはじめる。
その顔に、どこか見覚えのあるような気がして――
「あっ、思いつきました! ウラジーミルさんに聞いてみましょう!」
エトレナの声で、俺は我に返った。
「……ウラジーミル?」
誰だそいつ?
そう思っていたのが、顔に出ていたらしい。
エトレナは、白いため息をついた。
「アルさんって、人を覚えるのが苦手ですよね。……教会にいた、お爺さんの幽霊ですよ。司祭様って呼ばれてた」
「ああ、あの幽霊ですか。聞いてみるっていうのは、私の『能力』で読み取るってことですか?」
「はい」
「残念ながら、それはできません。私が考えを読み取れるのは、人間だけですから」
俺は、人間の脳内電流を読み取ることで、思考を読んでいる。
魔物にそんな物は無いので、当然思考を読み取ることもできない。
「――ですが、幽霊にこちらから働きかけてみるのは、私もいい考えだと思います」
言いながら、俺はカザンブルクの街を眺めていた。
雪の積もった道には、多くの幽霊が
その幽霊に囲まれて、人間が幸せそうに笑っている。
「例えば……幽霊を片っ端から倒して回るのはどうでしょうか。何かしら、魔物が行動を起こすかもしれません」
エトレナは、ドン引きしたような目で俺を見た。
俺は苦笑いを浮かべつつも、いたって真剣な口調で言った。
「もちろん、私だってやりたくないです。ですが……最後の手段として、考えておく必要があります」
……仮に。
仮に、最後の手段を使わずに済んでも、最終的な結果は同じだ。
俺たちが魔物を倒したら、幽霊は全て消えるだろう。
それはつまり――この街の人たちから、大切な存在を奪うということだ。
俺たちは、この街の『幸福』を、ぶち壊そうとしている。
手段がどうであれ、その事実は変わらないけど……。
――エトレナは、ちらりと街に目を向けた。
それから、真剣な表情で言った。
「最後の手段ってことは……他に、考えがあるってことですか?」
――
考えというほど、大そうな物ではない。
ひとまず数日間、向こうから仕掛けてくるのを待つ。
それで駄目だったら、こちらから仕掛ける。
今の俺たちにできるのは、向こうが仕掛けやすいように、多少の配慮をすることぐらいだ。
ひとまず、二人で教会に行った。
教会には、幽霊のお爺さんと、スキンヘッドの神官がいた。
魔物側に付いている、もう一人の神官だ。
お爺さんの態度は昨日と変わらなかったが、スキンヘッドはピリピリした気配を放っていた。
昨日と同じように
「さっきの神官が何かしてくるかもしれないので、気を付けてくださいね」
エトレナはコクリと頷くと、真面目な表情のまま言った。
「アルさん」
「はい」
「お金、貸してください」
「……はい?」
意味が分からず聞き返すと、エトレナはポケットに手を突っ込んだ。
差し出された手のひらには、聖金貨が乗っている。
「今、これしか持ってないんです」
聖金貨は、額面で金貨十枚の価値がある。
当然、普通のお店では、お釣りを用意できない。
「むしろ、どうしてそれだけ持ってるんですか?」
「何かあった時のために、いつも持ち歩いてるんです。教会で両替してもらえますし。
そもそも、カザンブルクは廃墟だって聞いてたから、お金がいるって思わないじゃないですか」
「……次からは気を付けてくださいね」
銀貨を一枚渡すと、エトレナは輝くような笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます! 中央教会に戻ったら、返しますね!」
「返さなくていいですよ。せっかくなので、楽しんできてください」
○○○
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます