06話 『幸福 前編』



 店を出た後、俺は隣を歩いているエトレナに言った。


「どうやら、アナスタシア神官は、兄の幽霊から指示を受けているようですね。

 私たちがこの街に来ていることも、この後すぐに、魔物側に伝わってしまうと考えた方がいいでしょう」


 エトレナはマジマジと俺の顔を見つめながら、困惑した表情で言った。


「……どうして、そんなことが分かるんですか?」


「私の『能力』です。相手の考えていることが、ぼんやりと分かります」


「えっ……」


 目を見開いたエトレナは、眉を寄せながら、俺から少し距離を取った。


「……いつでも分かるわけではありませんよ。少なくとも、相手の身体に触れている必要があります。

 心配せずとも、エトレナが考えていることは分かりません」


「そ、そうですか……」


 ほっとした顔で、息をついたエトレナは――ふと、表情を固くした。


「でも、それってマズくないですか? 魔物に私たちの存在がバレたら、警戒されちゃいますよね?」


「それはそうですが、仕方ありません。あそこでアナスタシア神官を消したとしても、魔物に警戒されていたでしょうし……まあ、運が悪かったですね」


 何気なくそう言うと、エトレナは微妙な表情を俺に向けてきた。


「どうしました?」


「いえ、何でもありません。――他にも、何か分かったことはありましたか?」


「本体の居場所を知らないというのは、事実みたいです。

 それと、残り二人の神官のうち、一人は魔物に協力していて、もう一人は軟禁されているようです」


「軟禁?」


 疑問の声を上げたイーナに、俺は一度頷いた。


「はい。監禁ではなく軟禁です。

 今のところ、酷い扱いは受けていないようです。カザンブルクから出ることだけは禁じられていますが、街の中は自由に行動させてるそうですよ。

 接触してみてもいいですが……おそらく、何も知らないでしょう」


 俺の話を聞いたエトレナは、難しい顔をしながら言った。


「神官二人が魔物の味方で、魔物には私たちの存在がバレている。けれど、私たちは敵の居場所を知らない……そういう状況ってことですよね?」


「そうなりますね」


 エトレナは、周囲へと目を向けた。


 街には、多くの幽霊が闊歩かっぽしている。


 不安げな瞳を向けて……エトレナは、俺に聞いてきた。


「これから、どうしますか?」


「とりあえず、宿を探しましょう」


「宿?」


 エトレナは、虚を突かれたように言った。


「でも、危ないんじゃ……」


「たしかに危ないですが――」


 そこまで言って、俺は口を噤んだ。


「いえ、そうですね……では、宿を取らないなら、エトレナはどうするべきだと思いますか?」


 エトレナの中に、既に答えは用意されているはずだ。俺の弟子は、頭の回転が早いからな。


 けれど、俺の話し方が否定的なのを嗅ぎ取ったらしく、少しの間を置いて、あまり自信が無さそうに答えた。


「……たとえば、昨日泊まった廃村に泊まればいいかなって」


「なるほど。たしかに、それも一つの手だと思います。ただ――魔物の目線に立って、考えてみてください。

 自分を討伐しに来た人間たちが突然消えたら……どう思いますか?」


「……どこかに隠れた?」


「それもありますが……私だったら、仲間を呼びに行った、と思いますね」


 ここまで説明すると、エトレナは納得したような声を出した。


「つまり、魔物が逃げちゃうかもしれない、ってことですか?」


「そういうことです。まあ、この街を作るのに、かなりの手間をかけているようなので、逃げ出さないかもしれませんが……可能性は潰しておきたいです」



 ――



 街門から一番近い宿を訪ねると、受付に小さな幽霊が座っていた。


「あっ、いらっしゃいませ!」


 笑顔を向けてくる少女に近付きながら、俺は手に魔素を集めていた。


「二人泊まりたいのですが、空いていますか?」


「はい! えっと、一部屋でいいでしょうか?」


「はい、それでお願いします」


「――えっ」


 隣に立っていたエトレナが、俺の袖を引いた。


「な、なんで同部屋なんですか!」


 俺はちらりと、受付の少女に目を向けた。


「ちょっと、失礼します」


 エトレナを連れて、いったん宿から退出する。


 近くに何の気配も無いことを確認して、俺はエトレナに小声で言った。


「さっき話したように、魔物に私たちの存在はバレています。いつ攻撃を受けても、おかしくありません。同じ部屋でないと――」


「で、でもっ!」


 エトレナは恥ずかしそうに顔を逸らすと、ぼそりと言った。


「アルさんが何をしてくるか分かりませんし」


「……何もしませんよ。というより、カザンブルクに来る途中で、一泊したじゃないですか。今さら何を言ってるんですか」


「廃墟で一泊するのと、宿で一泊するのは、全然違います!」


 ……何が違うのか、全く分からない。


 マエノルキアで同じ部屋に泊まった時、イプシロンは何も言ってなかったけどな……。


 とはいえ、エトレナの表情を見る限り、本人は至って真剣に言っているように見える。


 俺はため息をつきながら……ベータに言われた言葉を思い出していた。


 指導役と保護者は違う、か。


「分かりました。別部屋に泊まることにしましょうか。ただし……自分の命は、自分の責任で守ってください」



 ○○○



 宿に荷物を置いた後、街の中をまわってみた。


 旧カザンブルク城は、街の中央に位置していた。その東側に教会が立っている。


 城と教会を結ぶラインより南部には、商店や酒場、広場などがあって、そこそこ栄えている。


 一方で、北部はほとんど廃墟だった。


 北部も一通りまわって、魔物の手がかりを探してみたが、特に何も見つからなかった。


 その頃になると、空がだいぶ暗くなってきたので、今日のところは宿に戻ることにした。



 ――



「お帰りなさい!」


 幽霊の少女が出迎えてくれた。


「外は寒かったですよね? ――どうぞ! これで身体を温めてください!」


 そう言って渡してきたのは、黄褐色の布だった。


 受け取ると、ほのかに温かい。


 布をめくってみると、黒色の石が入っていた。


「夕食の準備はできてます! もう、食べますか?」


「お願いします!」


 ちょっと食い気味に、エトレナが答えた。


 少女は嬉しそうに笑うと、受付の椅子から立ち上がった。


「お父さんに伝えてきますね! お二人は食堂で待っててください!」



 ――



 夕食は、肉や野菜を煮込んだ物だった。


 スープは赤い。


 辛いのかと思いきや、全く辛くなくて、代わりに酸味がきいていた。


「おかわり、要りますか?」


 目尻に皺の寄った中年のおじさんが、エトレナに声をかけた。


「はい!」


 エトレナが皿を渡すと、おじさんは嬉しそうに受け取って、台所に消えた。


 ちなみに、エトレナのおかわりは二度目だ。


 少しして、おじさんが台所から戻ってきた。


 エトレナに皿を渡して……なぜか、俺たちの対面の椅子に腰を下ろした。


「少しの間だけ、お邪魔してもいいですか?」


「……構いませんが」


 俺が答えると、おじさんは軽く頭を下げた。


 頭頂部に、蝋燭ろうそくの炎が反射している。


 頭を上げたおじさんは、思い詰めたような顔をしていた。


 机の上で指を組みながら、静かな声で言った。


「娘から聞いたのですが……お二人は、教会からいらしたのですね」


 ……やっぱりアナスタシア神官は、兄の幽霊に俺たちの情報を伝えたらしい。


 娘から、ということは……幽霊どうしで、情報が共有されてるってことか。


 そんなことを考えつつ、俺は頷いた。


「はい」


「……神官様たちが魔物を倒したら、私の娘も消えてしまうのですか?」


「おそらくは」


「そうですか……」


 おじさんは細く息をはきながら、天井を仰いだ。


 正面に戻した顔には……笑いながら泣いているような、一言では形容できない表情が浮かんでいた。


「お二人が来て、よかった」


 困惑しつつエトレナと視線を交わしていると、おじさんは絞り出すように笑った。


「私がカザンブルクに来たのは一年ほど前で、ここの住民の中でも、古参になります。

 それだけ長い時間、死んだはずの娘と過ごしていると……やっぱり、気付いてしまうんです。それが、偽物だと」


「……偽物、ですか?」


「ええ、偽物です。

 ……娘は、私の記憶の通りに笑って、怒って、泣いてくれます。最初の数ヶ月は、その姿を見るたびに、幸せを噛み締めることができました。

 ですが……違うんです。これでも親ですから、何度も見ていたら、嫌でも気付きます。

 アレは、私の娘ではありません」


「――お父さん?」


 少女の声を聞いた瞬間、おじさんの身体が硬直するのが分かった。


 少女は、おずおずとした様子で食堂に入ってくると、おじさんの傍に向かった。


「火を止めておいたよ。ちょっとだけ、お菓子焦げちゃったけど……」


「そうか。……ありがとう」


「えっ……お、お父さん?」


 おじさんは少女を抱きしめながら、俺たちに目を向けてきた。


「偽物だと分かっていても、私は……この子を置いて、この街を離れることはできませんでした。

 神官様たちが来なければ、これからずっと……死ぬまで、私はここに囚われていたと思います」



 ○○○

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