03話 『死者に会える街 中編』



 旧カザンブルク辺境伯領は、モスロ・ビンスクの北東二百キルに位置する。


 前世で言ったら、ロシア……と言っても広大過ぎるけれど、ロシアの北西に相当する地点だ。


 極寒の地である。真冬には氷温数十度まで気温は下がり、雪は一メル近く積もる。


 どうして、わざわざそんな場所に人が住んでいるのかと言うと、もともとは北方民族に対する防衛拠点として建設された街だからだ。


 まあ、数百年前に北方民族は討滅されているから、名ばかりの防衛拠点だったらしいが……。


 それでも、一度築かれた都市は廃れることなく、十二年前までは依然として、そこにあり続けた。


 ――という情報は、エトレナから報告されたものの一部だ。


 任務に取り組むにあたって、最低限の情報収集は重要だ。


 そこが海なのか、山岳地帯なのか。温暖なのか、寒冷なのか。近くに大きな都市はあるのか、人里離れたド田舎なのか。風土病があるのか。水は飲めるのか。


 この程度のことは知らないと、任務中に道端で野垂れ死ぬ、という馬鹿な結末になりかねない。


 こういった情報は全て図書館で集められる。いい機会なので、エトレナにやってもらったというわけだ。


 もしも情報収集が不十分だったら、師匠面してアドバイスでもしてあげるつもりだったんだけど……完璧だな。


 まあ、冒険者として数年間活動してきたわけだし、当然か。


 いざとなれば、権力と金、力で解決できる聖官と違って、冒険者はもっとシビアだしな。


 エトレナに調べてもらった情報をもとに、黒メイドに装備を用意してもらった。


 現在は十二月。


 なかなか面倒な任務になりそうだ。



 ――



 俺とエトレナは、雪道を走っていた。


 左右は、針葉樹の森で挟まれている。


 積雪は三十センチほど。


 想像よりも少なかったが、こんなに積もっていたら、普通の靴では行動できない。


 というわけで、俺もエトレナも、靴の上に藁でできた物を履いていた。朝国の砂漠でもお世話になった、例の沈まない靴だ。


 モスロ・ビンスクを出発したのが朝の九刻。分厚い雲が空を覆ってるから、太陽の位置は判然としないけど……そろそろ一刻半くらいだろうか。


「あ!」


 背後から、エトレナの嬉しそうな声が聞こえた。


 スピードを速めて、俺の隣に並んでくる。


「あれって、ナターシャ神官が言っていた村ですよね!」


 白い息をはきながら、道の先を指差している。


 そこには、灰色の岩でできた塔が見えた。


 モスロ・ビンスクからカザンブルクに至るまでには、五十キルごとに三つの村がある。


 カザンブルクが放棄されるのと同じくして、これら三つの村も廃れたらしい。


 とはいえ、建物は残っているから、休憩地としていいんじゃないか、とモスロ・ビンスクの神官からアドバイスされていた。


「そうですね。エトレナもだいぶ疲れているみたいですし、休憩しますか」


「疲れてません」


 むすっとしながら、エトレナが言った。


 白い息で、呼吸が乱れてるのは丸分かりなんだけど……。


「まあ、先は長いですし、焦らずゆっくり行きましょう」


 ここまで一刻半なら、カザンブルクまで六刻かかる。休憩をそれぞれ半刻だとして、七刻半か。到着は夕方だな。


 そんなことを考えつつ、村を目指して走る。


 遠くに見えていた石塔は、あっという間に近付いてきた。


 街道に沿って、村の入口を示す石碑が置いてあった。『ニジニ村』と刻まれている。


 そして――


「足跡がありますね」


 石碑のすぐそばには、複数の足跡があった。人間ではなく、馬……いや、トナカイか?


 ソリでできたらしき二筋の深い溝も、雪の上に刻まれている。


 足跡をしげしげと見下していたエトレナは、カザンブルクに続く街道へと目を向けた。


「村に入っていく足跡が無いってことは……ここで休憩して、ちょっと前に出発したってことでしょうか?」


「おそらく、そうですね」


 足跡はまだ新しい。半刻と経っていないだろう。


 移動速度は、馬車と同じくらいだと仮定して、時速十キロ。


 五キロ先に、先客がいるってことだ。


 エトレナは、石塔へと視線を向けてから……白いため息をついた。


「休憩はお預けですか……」


「疲れてないって、さっき言ってませんでしたっけ?」


 エトレナは唇を尖らせると、そっぽを向いた。


「疲れてはいないですよ。ただ、ちょっと……お腹が空いただけです」


「そうですか……」


 虐めるのはこれくらいにしておこう。こうしている間にも、先方は先に進んでいるわけだしな。


「まずは、相手に気付かれないように、陰から観察してみます。エトレナは私に付いてきてください」


 そう言って、俺は魔素を完全に引っ込めた。


 足跡を追いかけるように、街道を走る。


 三キロほど走った所で、走る速度を少しだけ落とす。


 相手が手練れだった場合、一キロ以上離れていても、足音を聞きつける可能性がある。


 街道の先へと、意識を集中する。


 ――複数の気配を感じた瞬間、俺は足を止めた。


 右手を上げて、後に続いているエトレナに静止を合図をする。


「……気配が分かりますか?」


 小声で聞いてみる。


 エトレナは眉を寄せながら、白い街道を凝視している。


「見るのではなく、感じてください」


 注意すると、観念したようにエトレナは目を閉じた。


「ぜんっぜん、分かりません」


「八人です。気配の感じだと『能力』持ちはいないようですね。油断は禁物ですが、必要以上に警戒せずとも良さそうです」


 微妙な表情を浮かべているエトレナに、俺は笑みを向けた。


「訓練を続けていれば、いずれ分かるようになりますよ。これから、相手に接触しますが……どの時点で気配を感じ取れたか、意識してみてください」

 

 エトレナがこくりと頷くのを確認して、俺は控えめなペースで走り始めた。


 数百メートル走ると、緩やかなカーブの先に人影が見えた。


 大きなソリを曳いている。俺らの存在には、まだ気付いていない。


 俺は森の中に入り、一気に走る速度を上げた。


 木々の間を、風のように疾走する。


 森から勢いよく飛び出して――俺はソリの前に立ち塞がった。


 トナカイを操っていた男は、慌てたように縄を引いた。


 雪を撒き散らしながら……ソリは、俺の目の前で止まった。


 男たちは、揃いもそろって目を丸くしていた。


 トナカイを操っているのは、二十代の青年。


 その後ろに、厳つい姿の男が三人。


 三人とも剣を提げている。護衛だろう。


 残りの四人は……ソリを曳いている四頭のトナカイ。


「……どうします?」


 口髭を生やした男が、青年に声をかけた。


 青年は、青ざめた顔をしながら、俺とエトレナに目を向ける。


 ソリから降りて、俺の前までやって来た。


 その後ろには、三人の男が守るように付いている。


「神官様……このような場所で、その、奇遇ですね。突然、どうされましたか?」


「この街道は教会によって封鎖されています。釈明はありますか?」


「あれっ、そうなのですか? そんなことは露知らず……」


「街道の入口に、札が立っていたはずです」


「さて、どうだったでしょうか……雪が積もっていますし、見落としてしまったのかもしれません」


 青年は、白々しくすっとぼけた。


 俺は青年から視線を外し、ソリへ目を向けた。


 かなり大きなソリだ。

 

 わざわざリスクを冒してまで、何を運ぼうとしてるんだろう?


 手ぶらのまま、男たちに背を向けて、ソリへと近寄る。


 その姿が、無防備なものに見えたんだろう。背後から、襲い掛かってくる気配がした。


「殺さないでくださいね」


 エトレナに声をかけながら、俺は碧色の霧を広げた。


 軽く電気を流すと、二人の男が雪の上に倒れた。


 エトレナの傍に、もう一人が転がっている。


 唖然としている青年を放置したまま、俺はソリにかかっている布をめくった。


 麻袋や木箱が、たくさん積んである。


「一つ、開けてもいいですか?」


 青年に聞いてみると、コクコクと赤べこのように頷いた。


 上の方から麻袋を一つ取って、碧い剣で小さく穴を開ける。


 手のひらに中身を出してみると――


「小麦?」


 隣から覗き込んでいたエトレナが呟いた。


 青年の方を向くと、泣きそうな顔でコクコクと頷いた。


「全部小麦ですか?」


「い、いえ。小麦以外にも、酒や果物、薬草、服などが」


 もう一度、ソリの方を向く。


 かなりの量だ。


「カザンブルクへ行くのですよね? こんなにたくさん、どうするんですか?」


「それは、まあ……売るんです」


「売る?」


「……はい。その、高値で買い取ってくれるので」


 どうにも、話が嚙み合っていない気がする。


 カザンブルクは廃墟の街だ。噂が広まって数ヶ月の間は、人の往来があったらしいが、一ヶ月前に街道は閉鎖されている。


 この青年のように、教会の警告を無視して訪れる人も、多少はいると思っていたが……。


「その言い方だと、何度かカザンブルクに行っているようですね。少し、お話を伺ってもよいですか?」


 青年――カロルさんは、俺の役に立てば命を助けてもらえると思ったのか、協力的に情報提供をしてくれた。


 それによると、カロルさんは一年ほど前から、荷を運んでいるらしい。


 街からの使者だという男が来て、カロルさんの店に注文を入れたのだという。


 そこが廃墟だと知っていたので、カロルさんは当然不審に思った。


 けれど、駆け出し商人だったカロルさんにとって、大口の注文は喉から手が出るほど魅力的なものだった。


 恐る恐るカザンブルクを訪れると、人が住んでいたという。


「その時は、まだ人が疎らでした」


 カザンブルクの役人だと名乗る、ヴェロニカという女性からお金を受け取って、無事に取引は終了した。


 以来、二ヶ月に一度、カロルさんは荷を届けるようになった。


 注文される量は徐々に増えていき、それに応じてカザンブルクの人口も増えているようだった。


 二ヶ月前に訪れた時は、街と言ってもいいくらいの人――数百から千人ほどがいたらしい。


 今回、教会が街道を封鎖していたので、ちょっと迷ったらしいが……逆に高値で売るチャンスだと思って、リスクを冒したと言っていた。


「ほんの、出来心なんです! 今回だけ、見逃してください!」


 雪の上にひざまずきながら、拝むようにして言ってくる。


 俺は、ため息をつきながら言った。


「……分かりました。協力に感謝して、今回だけは見逃します」


「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」


「ですが、その前に――」


 俺は、カロルさんの腰を見つめながら言った。


「そこに提げている物を、渡してください」


「えっ……」


 カロルさんは慌てたように、腰を押さえた。


 だが、無言で俺が手を差し出していると……酷くガッカリした様子で、腰に提げていた麻袋を、俺の手のひらの上に置いた。


 麻袋の紐を緩めて中を見ると、銀貨が九枚と、銅貨が十数枚入っていた。


 銀貨を一枚取り出して、それをエトレナに見せる。


「見えますか?」


「魔素が……」


 俺は頷いてから、銀貨の魔素を操作した。


 カロルさんは困惑した声を上げ、エトレナは大きな目を見開いている。


 銀貨だったものは、青い石に変わっていた。


 エトレナは、唖然とした表情のまま呟いた。


「それって……魔石、ですよね」


「はい。……今回の魔物は、かなり頭が回るようですね」


 呆然としているカロルさんに、麻袋を返す。


 それから、俺は笑顔で言った。


「見逃す代わりと言ってはなんですが、もう一つ、協力していただけますか?」



 ○○○

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