02話 『死者に会える街 前編』
「明後日から、私はしばらく任務に行きます。その間、エトレナは二十四区での討伐と、知識面の補強をしておいてください」
食堂にて。エトレナと朝食を食べている最中に、俺は切り出した。
ちなみに、俺はパンと生ハム、スープだけのシンプルな食事。
エトレナは、三百グラムはありそうなステーキとベーグルっぽいパン、サラダ、具沢山スープ、牛乳、梨っぽい果物だ。
何度も一緒に食事しているが、いつでもエトレナは大盛りだ。
元冒険者として当然の嗜みですって言っていたが……少なくとも、帝都で会った茶髪の冒険者は、俺と同じくらいしか食べていなかった。
単に、エトレナが食いしん坊キャラなだけではないかと、俺は睨んでいる。
エトレナは口いっぱいに頬張っていた肉塊を、ミルクと一緒に飲み込んだ。
「あれ? アルさん、前に言ってませんでしたっけ? 一人だと危険だから、私が討伐をしている間は、目を凝らして、舐めるように、私のことを見つめているって」
「言葉が歪められている気もしますが……たしかに言いました。なので、私がいない間は、手の空いている白服が見ててくれることになっています」
……まあ正直、一人でも問題ない気もするが。
エトレナが俺の弟子になって三ヶ月が過ぎた。
その間に、エトレナは二十区のゴーレムを楽に倒せるようになり、今では主に二十四区で討伐をしている。
まだまだ、目に頼り過ぎるって癖は直ってないけど、ちょっとずつ、魔素を感じられるようになってきたみたいだ。
不意打ちを食らって一発KO、なんて事態にはなりそうにない。
とはいえ、万が一ということもある。せめて、あと一、二ヶ月は見守っていた方がいいだろう。
エトレナは青色のナイフ――専用武器でステーキを斬りながら、好奇心の滲む瞳を俺に向けた。
「分かりました。要は、私はこれまで通りのことをしてたらいいってことですね。
……ところで、可愛い弟子を置いていってまで取り組む任務って、どんな内容なんですか?」
「大したものではありません。魔物の調査と、可能であれば討伐をしろ、というものです」
「それだと、何の説明にもなってませんよ」
ブー垂れた表情を浮かべると、エトレナは肉塊を口の中に放り込んだ。
不機嫌さを表すように、力強く肉を噛み締めている。
……こういう動作が子供っぽいよな。子供だから仕方がないけど。十七歳って言ってたっけ?
俺は苦笑を浮かべながら、スープの入ったカップを手に取った。
「王国北方のカザンブルクという場所に、魔物が発生しているようです。
近郊の教会から計三人の神官が派遣されましたが、いずれも帰還せず。中央教会に支援要請が来たとのことです」
「神官が三人も亡くなってるってことは、ちょっと危険な任務なんですね」
ミルクを飲みながら、緊張感の無い声で言ってくる。
「いえ、三人とも生きているそうですよ」
俺の言葉に、エトレナの動作が止まった。
上目遣いに、赤色の瞳を向けてくる。
「……どういうことですか?」
「さあ、今のところは何とも。帰還できない状況にあるのか、自発的に帰還していないのか、その辺りの調査も任務のうちですね」
……まあ、おそらく、自発的に帰還していない可能性が高いだろう。
そんなことを思っていると、エトレナは俺から目を逸らさずに聞いてきた。
「アルさんは、どちらだと思ってるんですか?」
「……ん? ああ、そうですね。先入観は禁物ですが、後者の可能性が高いように感じています」
エトレナはサラダを貪りながら、無言で俺を見つめている。
詳細を教えるつもりはなかったんだけど……結局、ほとんど全部説明させられてるな。
俺はスープを一口味わうと、少し声を潜めながら言った。
「最初から説明した方が、よさそうですね……」
――
カザンブルクに行けば死者に会える。
誰が、いつ、言い出したことなのかは分からない。
人から人へと、少しずつ、その噂は広がっていった。
それを聞いた大半の人は、それを単なる噂話だと受け止めた。
カザンブルクは廃墟の街だ。十数年前、不幸があったことをネタに、誰かが面白がって言いはじめたんだろう。
噂話はよくできていた。カザンブルクと死者、その組み合わせは、本当にあってもおかしくなさそうな、絶妙な説得力を持っていた。
酒の肴代わりに、そういう噂があるらしいと仲間内で笑い合うには、格好のネタだった。
けれど、一部の人は違った。
それが噂話だと、本当ではないのだと、内心では理解していたが……感情が、その噂を信じさせた。
周りに止められるのを振り切って、あるいは誰にも言わずに忽然と、カザンブルクへと向かった。
そして、数十日後。
ぽつぽつと、カザンブルクから戻ってくる人が出始めた。
その人たちは、口を揃えて言った。
「会えた」と。
その話が広まるにつれて、にわかに、噂話が真実味を帯びてきた。
信じない人も多くいたが、信じる人も決して少数派ではなかった。
単なる噂話は勢いを増して広がり、それがモスロ・ビンスク教会の耳に入るまで、それほど時間は掛からなかった。
ちょうどその頃、周辺地域の魔物発生に異常が生じはじめていた。カザンブルクに原因がある可能性は、充分考えられた。
教会は、一連の騒動に魔物が関わっていると推測。カザンブルクへの道を封鎖するとともに、神官が調査のために派遣されることになったという。
そこまで話して、俺は最後に付け加えた。
「ここまでが、一ヶ月前の話です」
エトレナは、果物だけを残して朝食を食べ終わっていた。
いつも思うけれど、細身の身体のどこに、あんなに大量の食事が入ってるんだろう? 謎だ。
そんなことを思いつつ、エトレナの真面目な顔を見る。
「その後、十日以上経っても神官が戻らないため、二人の神官が追加で派遣されました。そして、その二人も戻らなかったため、支援要請という流れです。
聖女様によると、少なくとも現時点では、全員の反応を確認できるそうです。
つまり、一ヶ月経った現在でも、三人とも生きているということ。……これが何を意味するか、分かりますか?」
かつて師匠にそうされたように、俺はエトレナに聞いてみる。
エトレナは少しの間考え込んでから、自信なさげに口を開いた。
「仮に帰還できない状況……たとえば、怪我で動けなかったり、事故で閉じ込められているのなら、一ヶ月も生きてはいないはずですよね。
つまり、そういう状況に陥っていないにも関わらず、神官たちは帰還していない、ということですか?」
……やっぱり、エトレナは優秀だな。同じ頃の俺なんかよりも、よっぽど頭の回転が早い。
「私もそう考えました。まあ、あくまでも推測に過ぎないので、その考えに囚われてはいけませんが。
カザンブルクで何が起こっているのか、それは現地に行ってみるまで分かりません」
そう話を締めくくって、俺はトレイを持ち上げようとした。
その直前――スッと、ガラス製の皿が机の上を滑った。
エトレナが、果物の乗った皿を、俺に向けて押し出している。
「アルさん……これを差し上げるので、その任務、私も連れていってくれませんか?」
真剣な表情を浮かべている。
俺は視線を落として、瑞々しい、梨っぽい果物を見た。
……差し上げるって、注文したら同じ物を食べられるんだけど。しかも、食いかけのが混じってるし。
俺は果物を無視して、首を横に振った。
「それはできません。エトレナにはまだ早いです」
「でも、二十四区の魔物だって倒せるようになりましたし……」
「たしかに、単純な戦闘能力で言えば、問題ないかもしれません」
エトレナは魔素を見ることができる。初めてそれを聞いた時は、戦闘の役に立たない『能力』かと思っていたが……全くそんなことはなかった。
俺には魔素が見えないからイメージしにくいのだが、エトレナ曰く、人や魔物がまとう魔素には偏りがあるという。
身体の中心部や頭、指先なんかは魔素が厚く、腕や足は薄い傾向があるらしい。
それに加えて、それぞれの厚さは、煙のように刻一刻と変化しているんだとか。
そして、仮に魔素がどれだけ厚かったとしても、必ずどこかに綻びがある。
そこにナイフを刺し込んでやると、何の抵抗もなく魔素が裂けていくらしい。
エトレナを前にしたら、魔素による守りは何の意味も持たない。紙のように、簡単に切り裂かれてしまう。
非常に強力な『能力』だ。
「――ですが、魔物が正面からやって来るとは限りません。休憩中、あるいは眠っている最中、突然襲われた時に、エトレナは自分の身を守れないでしょう?」
「それは……そうですけど」
不満そうに口を噤んだエトレナは、ハッと何かを思いついたような顔をした。
椅子から立ち上がって……なぜか、俺の隣に座ってくる。
「たしかに、私は自分の身を守れないかもしれません。でも、アルさんが守ってくれるなら、問題ないですよね?」
照れも恥じらいもなく、棒読み気味に言うと、エトレナは俺の右腕に抱き着いてきた。
「……何をしているんですか?」
「こうすれば、男の人は大抵のことを聞いてくれるって、むかし先輩の冒険者の人に聞きました」
「なるほど」
離れた席で食事を摂っている男の聖官が、チラチラとこちらを見ている。
……これがサラだったら、言葉そのままの意味に受け取るけど、エトレナはそれほど純粋な奴ではない。三ヶ月も一緒にいたら、嫌でも分かってしまう。
この馬鹿みたいな行動も、ある程度考えてからのもののはずだ。
仮に俺が、感情のままに腕を振り払ったら――そこまで考えた時、目の前の椅子にベータが出現していた。
「お二人とも、仲がよさそうで何よりです」
ベータが言うと同時、エトレナは俺の腕を放していた。
「ベータさん。お久しぶりです」
「数ヶ月ぶりですね。どうですか、聖国は?」
全く驚いた様子もなく、ベータに声をかけるエトレナを見て、俺はエトレナの意図を理解した。
エトレナが座っていた側からは、食堂の出入口が見える。そこを通りがかったベータの姿を見つけて、呼び寄せるためにあんな行動をしたんだろう。
……というか、二人はどういう関係なんだろう? やけに打ち解けた雰囲気だけど。
「――先ほど、アルさんが任務に行くってお話を聞いて、私も連れていってくださいってお願いしてみたんですけど、断られてしまって」
エトレナが困り顔で言うと、ベータはうんうんと頷きつつ、俺に灰色の瞳を向けてきた。
「アル聖官は酷いですね。よしっ、私が慰めてあげます」
ベータの姿が消えて、エトレナの隣、俺とは反対側に出現した。
エトレナの頭を抱きしめて、よしよしと撫でてあげている。
……かなり仲が良さそうだけど、どういう関係なんだ?
困惑しつつ、その様子をしばらく眺めていると、ベータが完璧に整った無表情を向けてきた。
「と、まあ、茶番はこれくらいにしておきましょう。真面目な話をしてみますと、エトレナ聖官を連れていってもいいのではありませんか?」
「ですが、危険ですし」
「聖官なのですから、危険は当たり前のことです」
ベータは机の上から果物を摘まむと、それを俺に向けてきた。
「アル聖官。指導役と保護者は違いますよ。エトレナ聖官の見守りを要請してきた時にも思いましたが、過保護が過ぎます」
果物を齧って、もぐもぐと口を動かしている。
こくんと、白い喉を動かすと、ベータは呆れた様子で言った。
「魔物の発生状況を見る限り、カザンブルクに魔物が潜んでいる可能性は高いです。
しかし、それほど強力な魔物ではありません。だからこそ、複数人ではなく、アル聖官のみに任務が下っているのです」
大抵は適当なベータだが、たまにこうやって理路整然と話すことがある。
普段からこうだと嬉しいんだけどな、なんて思いつつ、俺はため息をついた。
「分かりましたよ。言われてみれば、たしかに少し、過保護だったのかもしれません」
○○○
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