01話 『弟子』
中央教会に転移した俺は、肩を回しながら扉へ向かって歩いていた。
その途中、一人の白メイドが、扉の脇に立っているのに気が付いた。
「私の顔を見た瞬間、明らかにしかめっ面を浮かべたように見えたのですが……乙女に対して失礼ではありませんか?」
「いえいえ、そんなことありませんよ。ベータみたいな美しい女性に出迎えられるなんて、私は幸せ者です」
ベータとの付き合いも五年以上になる。動揺なんてしたら、喜ばせるだけだ。
「それで、どのような用件ですか?」
「聖女様がお忙しいようなので、私が任務報告を聞くようにと言われています。それともう一つ、別件が」
「別件?」
「はい」と笑顔で言うと、ベータは嬉しそうに続けた。
「それを早くお伝えしたいと思って、わざわざ出迎えてあげました」
……何を企んでるんだろう? さすがに情報が少なすぎて、予想ができない。
「それは、わざわざありがとうございます。具体的に聞いても?」
「アル聖官を、新人聖官の指導役に任じることになりました」
――
ベータに連れられて、俺は中央教会の廊下を歩いていた。
「アル聖官が選ばれた理由ですが、『能力』が近しい点が大きかったです。なんでも、魔素が見えるそうですよ」
「見える?」
「はい。こう、煙のような物が、実体として見えるそうです」
「……ということは、青『能力』ですか」
ベータは頷いている。
俺の青『能力』は、魔素を操作することだ。たしかに、近いと言えば近いかもしれない。ただ――
「それって、戦闘能力はどうなんですか?」
「最低限はあります。アル聖官と同じですね。適した任務をあてがう予定ですので、そのつもりで指導していただけたらと」
つまりは、面倒な任務をやらせても、とりあえず何とかできるように育てろってことか。
俺が言うのもなんだが……面倒くさいな。
単に戦闘力を上げるだけなら、やることはシンプルだ。けれど、対応力を上げるためには、色んなことを経験してもらう必要がある。
「実はそれ以外にも、アル聖官を選んだ決め手があるのです」
やけに明るい声音でベータが言った。
「エトレナ聖官は、アル聖官にものすごく憧れているそうですよ。聖女様と面談している時、自分がどれだけアル聖官に会いたいかを、瞳を輝かせながら熱弁していました」
「……そ、そうなんですか」
「名前から分かると思いますが、エトレナ聖官は可愛らしい女の子です。
アル聖官が明日の対面まで
どこに向かってるのかと思ってたら、そういうことか。
おそらく、エトレナ聖官がいる場所に向かってるんだろう。
正直、どうでもいいが……任務の報告をするまで、ベータに付き従わざるをえない。
「あ、こちらです」
そう言って、ベータが扉を開けた。
金属製の扉だ。鍵穴が見えるが、鍵はかかっていなかったらしい。
「……ここですか?」
俺は疑問を感じながら、ベータが開けた扉の先を見つめていた。汚れているわけではないが、窓の一つも無く薄暗い。
こんな所に、エトレナ聖官がいるのか? ……少なくとも、俺は一回も来たことはないが。
ベータは何も言わず、扉の向こうに行ってしまった。仕方なく、俺も付いていくことにする。
廊下を進んでいく間に、幾つかの分岐を経ながら、二枚ほどの扉を抜けた。
そして、ベータが三枚目の扉を開けた。
むわっ……と。
扉から蒸気が漏れ出てきた。
「これは――」
静かに、とベータがジェスチャーをしてきたので、俺は口を噤んだ。俺の耳元に唇を寄せて、小声で言ってくる。
「本来は、明日の対面まで会ってはいけないのですよ。バレないように、注意してくださいね」
それもそうか。
俺は気配を完全に絶ってから、蒸気の中を進むベータの背中を追った。
ベータは身を屈めている。通路の片側は大理石の壁で、片側は高さ一メートル半ほどの石塀になっている。どうやら、その陰に身を隠しているらしい。
なので、俺も身を屈めていた。
その姿勢のまま百メートル近く進んだところで、ベータが足を止めた。
「間違いを装って、お尻に顔を擦り付けてくるかと思ったのですけれど……」
「……そんなこと、しませんよ」
若干疲れながら、俺はベータの顔を見返した。
ヒソヒソ声で疑問をぶつける。
「それで、ここはどこなんですか? やけに煙ったいですけど」
「ご自身の目で、確かめてみてはいかがです? この向こうにいますから」
ベータは笑顔で石塀を指差すと――消えた。
転移したのか?
……まだ、任務報告をしてないんだけど。
どっと疲れた気分で、俺は石塀を見た。
この向こうに、俺の弟子となるエトレナ聖官がいるらしい。
ちょっとだけの好奇心を胸に、俺は頭の半分だけを石塀から出していた。
赤い瞳と目が合った。
身体にタオルを巻いている。
「やっぱり、隠れていましたね……」
慌てて塀に身を隠すと、俺の真ん前に少女が着地した。
濡れた金髪から散った水滴が、俺の顔にかかった。
――くそっ、ベータの奴……
観念した俺は、目を閉じたまま両手を上げた。
「すみません。言い訳のしようもありませんが、言い訳をしてもいいですか?」
○○○
翌日の対面は、できれば行きたくなかった。
事情を説明してなんとか許してもらったが、どんな顔で登場すればいいのか分からない。
とはいえ、行かないわけにもいかない。予定時刻のギリギリに五区へ向かうと、エトレナ聖官とイプシロンが既に来ていた。
エトレナ聖官は、綺麗な金髪をポニーテールにしている。
昨日、風呂場で会った時は、髪を下ろしていた。ちょっとだけ、受ける印象が違う。
「お待たせしました」
「あ、アル聖官……」
イプシロンは俺を見ると、スッと目を逸らした。
エトレナ聖官に目を向けると、すまし顔で腕を組んでいる。
……あとで、イプシロンにも説明しないとな。
俺は渋面を浮かべながら、口を開いた。
「では早速ですが、始めましょうか」
「……何をですか?」
エトレナ聖官の姿を観察する。神官服を着ているせいで、少ししか確認できないが……柄がローブの隙間から覗いている。どうやら、ナイフを使うらしい。近接戦が得意なのか。
「……嫌らしい目で、人の身体をジロジロ見ないでください」
嫌悪感丸出しの顔で、エトレナ聖官が言った。
今の俺の立場では、反論することもできない。なのでスルーすることにした。
左手に碧色の剣を握る。
「エトレナ聖官の実力を、私に見せてください」
「はい?」
「鍛えるためには、何ができるかを知らないといけませんからね――」
剣で軽く攻撃すると、エトレナ聖官は俊敏な動きで後ろに跳ねた。
赤い瞳で俺のことを睨みながら、ナイフを構えている。
「アル聖官を、攻撃してもいいってことですか?」
「そうですよ。殺すつもりで――」
最後まで言う前に斬りかかってきた。
動きはそれほど早くはない。
魔素で強化はしてるみたいだが、使い方がなってない。
神官レベルに毛が生えた程度だ。
余裕を持って剣で受け止めると――
「うおッ!?」
慌てて後ろに避ける。
鼻先を刃が撫でる。
そのまま五メートルくらい距離を取ってから、俺は自分の剣を見た。
……斬られてる。
鼻の怪我を治しながら、俺はエトレナ聖官に目を向けた。
遠距離攻撃の手段は持っていないらしい。何かを仕掛けてくる様子はなく、単にジリジリと距離を詰めてきている。
……さっきの攻撃。
碧色の剣を仕舞う。
たぶん、これは役に立たない。
「次は、私から行きますよ」
魔素を完全に絶つと同時、身を落とす。
期待通り、エトレナ聖官は俺のことを見失ってくれたようだ。キョロキョロと辺りを見回している。
その間に、俺はエトレナ聖官の後ろに回っていた。
いつもなら、このまま放電……なんだけど。
躊躇していると、ようやく俺のことに気付いたらしい。
慌てた様子で、ナイフを振るってくる。
それをくぐって避けた俺は、左手で地面に触れた。
聖国の大地には、たっぷりと魔素が含まれている。それを操作して――エトレナ聖官の、足元の地面を隆起させる。
「あっ……」
何が起こったのか分からない。そう、顔に書いてある。
この状態なら、ナイフを使う余裕は無いだろう。
――放電。
眩い光が、エトレナ聖官の身体を貫いた。
バタリと、赤褐色の地面に倒れる。
エトレナ聖官の頬を軽く叩きながら、意識を失っているか確認していると、遠くで観戦していたイプシロンが近付いてきた。
「お疲れ様でした。……治療は必要でしょうか?」
「いえ、必要なさそうです」
大怪我に備えて、治療室にオメガが待機している。そこへ転移できるように、イプシロンに立ち会ってもらっていたが、幸い必要なかった。
俺は立ち上がって、イプシロンの顔を見つめた。
「誤解を解いておきたいのですが……浴室を覗いたのは事実ですが、ベータのせいです」
イプシロンはパチパチと瞬きをしてから、くすっと笑った。
「アル聖官が自分の意志でそんなことをするなんて、最初から思ってませんよ。私からも、エトレナ聖官に言っておきましたから」
「……そうだったんですか、助かります」
「いえ、元はと言えば、私の身内のせいですし」
イプシロンは深いため息をつくと、腕を組んだ。
「あとで叱っておきます。……では、エトレナ聖官を、どこに転移させましょうか?」
――
「ん……」
短く言ってから、エトレナ聖官は身を起こした。
寝ぼけ眼で赤茶けた大地を見回して、自分の身体の下に敷かれている神官服を見ている。
「……私、負けたんですか?」
「そうですね。惜しい所までは行きましたが」
エトレナ聖官はジッと俺の顔を見ると、不機嫌そうに言った。
「嘘ですね。手も足も出ず、負けました。何をされたかも分からないまま」
エトレナ聖官は立ち上がると、地面から神官服を拾った。そこに付いた土を払い除けてから、俺に差し出してくる。
「……ありがとうございました」
神官服を受け取る。
「ここは、どこですか?」
「二十区ですよ」
エトレナ聖官の視線の先、五百メートルほど離れた場所では、青ゴーレムが歩いている。
「ベータから聞いたのですが、エトレナ聖官の『能力』は、魔素を見ることなんですよね」
「はい、そうですが……」
「あの魔物の魔素も見えますか?」
青ゴーレムを数秒見てから、エトレナ聖官は頷いた。
「薄く、ですけれど」
「倒せそうですか?」
「……おそらく」
「じゃあ、私はここで見てるので、倒してみてください」
――
俺との戦闘中も思ったのだが、青ゴーレムと戦っている様子を見て確信した。
エトレナ聖官は、戦闘中に魔素を見ている。そして、感じ取ることができていない。
視界に入っている攻撃への反応は恐ろしく早い。青ゴーレムが動く前に、既に動いている。
一方で、視界外からの攻撃への反応は鈍い。青ゴーレムの攻撃に気付いてはいるが、それがどこから来るかは分からない……ような感じ。時折、探すように視線が動いている。
そのことを指摘すると、案の定だった。
ひとまずそれを直すのが目標だ――と師匠っぽいことを言って、今日の訓練は終了にした。
「アル聖官」
二十区から聖石で転移すると、エトレナ聖官が声をかけてきた。
「はい」
「いちいち聖官って付けるの面倒ですし、アルさんって呼んでもいいですか?」
「……別に構いませんが」
「なら、私のことはエトレナと呼んでください」
……呼び捨てか。
ちょっと抵抗があるが……本人がそう呼べって言うんなら。
「分かりました」
「ところで、アルさん。私たちが初めて会ったのって、昨日じゃないんですよ?」
背中で手を組みながら、エトレナが俺の顔を覗き込んでくる。
「……その顔。やっぱり、私のこと覚えてなかったんですね」
エトレナは呆れたように目を閉じてから、不機嫌そうな表情を浮かべた。
「アートリアで、ラウラさんと一緒に、暴漢に襲われてる女の人を助けたんですけど……その時、いきなり現れたアルさんに、昏倒させられちゃったみたいなんです。……覚えていますか?」
アートリア……ああ、あれか。数年前に懲罰任務で行った。
たしかにあの時、金髪の女の子を気絶させちゃったような記憶がある。
えっと……たしか、その任務より前に帝都で会った冒険者の人と、一緒に行動してたんだっけ?
「……思い出せました。あの時は失礼しました」
「いいですよ。理由があったみたいですから。それより……私、ビビアナさんから嫌になるほどに聞かされてたんです。アルさんのこと」
エトレナに言われて、帝都で会った冒険者の名前が、ビビアナだったことを思い出した。
「アル様はすっごく強くて、優しくて、カッコいいって、うっとりした顔でいつも言っていました。惚れるのを通り越して、崇拝してる感じでしたよ」
「へ、へぇ……そうなんですか」
崇拝って、そんな大したことをした記憶は無いんだけどな。
むしろ、ビビアナさんのおかげで、俺も森から脱出できたわけだし。
「ビビアナさんだけではなくて、冒険者をやっている時には、王国の至る所で『青の騎士』は崇拝されていました。狂王を倒した、我らの英雄って。
いったい、どんな素晴らしいお方なのかと思っていたら……私のお風呂を覗いてくるし」
赤い瞳で、俺のことを見つめてくる。
「いったい、どちらが本当の姿なのか、聞いてみてもいいですか?」
「昨日のことは謝ります」
「それはもういいです。冒険者をやってたら、覗いてくる人なんてたくさんいましたし。まあ、全員後悔させてあげましたけど」
ふふっ、とエトレナは笑う。
……俺、寝首を搔かれたりしないよな?
顔を強張らせていると、エトレナは興味津々といったふうな視線を向けてきた。
「アルさんって、狂王を倒したんですよね? その時の任務について、聞いてもいいですか?」
○○○
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