21話 『ロンデル・エンリ 四』
俺は再び、宇宙のような空間に戻ってきていた。
ここは、ロンデルさんの精神の中。ロンデルさんの記憶が星屑のように、暗闇の中に瞬いている。
その星屑の中から、青色の光が彗星のように飛んでくるのが見えた。
この空間の中では、時間の感覚が薄い。だから、どれだけの時間彗星を眺めていたのかは分からない。気づけば、すぐ目の前に青色の光が浮いていた。
どうやら、次はこの記憶を見ろということらしい。
以前、イーナの中に入った時は、どの光球を見るかは俺が手当たり次第に決めていた。だからなのか、光球に籠められている記憶の時系列はぐちゃぐちゃだった。
けどここでは、光球が向こうから勝手にやってくる。おそらく、ロンデルさんがセレクトしてるんだろう。その証拠に、これまで見た数十の記憶は全て、時系列の順に並んでいた。
……ということは、この青い光球は、さっき見た記憶の続きなのだろう。
黒狼として目的もなく生きていた緑色の記憶、イリエルとして人間と触れ合った橙色の記憶、父親としてイーナと過ごした白色の記憶。
俺は青色の光から視線を外して、周りへと目を向けた。そこには相変わらず、暗闇と星屑だけが広がっている。
この世界で俺は、『成すべきことを成せばいい』らしい。そうしたら、全てが丸く収まるとロンデルさんは言っていた。
「……」
……ただ、一つだけ引っかかることがある。
最後に見たマオさんの様子。マオさんはどこか、乗り気ではないように見えた。まるで、俺がロンデルさんの中に入ってしまうのを嫌がってるかのように……。
しばらくの間、星屑をジッと眺めていた俺は、嘆息しつつ再び青色の光へと視線を向けた。
考え続けていても、答えは出ない。そもそも、今がどんな状況なのか理解できてないんだから、答えが出ないのも当然だ。
何も分からない中、流れに身を任せるのは不安だ。でも、ロンデルさんの言うことなら、俺は信じられる。
青色の光へ手を伸ばすと、視界が切り替わった。
○○○
まだ辺りが暗い中、僕は一人で北の森へと向かっていた。
ついこの間までは息が白くなるほど寒かったのに、あっという間に暖かくなってきた。そういうわけで、こんな時間でも、畑仕事の支度をしている村人たちと度々出会うことがある。
「おっ、ロンデル!」
畑から
「あら、ロンデルくん! おはよう!」
「……おはようございます。お二人とも精が出ますね」
「本当はもっと眠ってたいんだけどねぇ、暇なら手伝ってって言いたいところだけど……どうしたの? 少し顔色が悪いんじゃない?」
心配そうな表情を浮かべながら、カサンドラさんが聞いてくる。
さすがカサンドラさん。人のことをよく観察してる。一方、ノイマンさんは普段の僕との違いが分からないらしい。首を傾げながらマジマジと僕の顔を見つめてくる。
「少し風邪気味で」
「あらら、なら家でゆっくりしてないと駄目じゃない! どうしてこんな朝っぱらからブラブラしてるの!」
「それもそうなんですが……森で薬を採ってこようかな、と思って」
「薬?」
僕らの会話を聞いていたノイマンさんは、畑から出てきながら、
「薬草なら幾らか蓄えてあったと思うぞ。だよな、カサンドラ?」
「大抵のならあるわよ。もうっ、ロンデルくんったら水臭いわね! 自分で採りに行かなくても、薬草くらい幾らでも分けたげるわよ。ほら、こっちに来て!」
腕をまくるカサンドラさんの姿を見て、僕は自分が思わず笑顔になってしまっているのを感じながら、
「ありがとうございます。でも――森の中でしか採れないので」
ノイマンさんとカサンドラさんの『声』をほんのちょっとだけ書き換えて、僕と出会ったことを無かったことにする。
虚な瞳をした二人の脇を通り抜けて、僕は小走りで北の森へと向かった。
――
北の森にたどり着いた僕は、さっそく狼の姿に戻った。ここ数百年は人間の姿でいる時間の方が長いけど、やっぱり狼が僕の本質なのだろう。この姿の方が、ずっと動きやすい。
森の奥の方へと意識を向けると、聞こえてくる『声』の数は三十と少し。
今日はちょっと少なめかな――そんなふうに思ってしまってから、自分の感覚が順調にずれてきてることに気づいて、一人苦笑する。
前までなら、森に発生する魔物の数はせいぜい月に数匹程度だった。それが、ここ数ヶ月は、日に十数匹って頻度で発生している。
まあ、僕が魔物を駆除してるから、このことに気付いてるのは今のところ僕だけなんだけどね。
というより、僕以外に魔物の急増を知られてしまうとマズいので、わざわざ早朝に森に繰り出して、魔物の駆除をしてるわけだけど。
――
森を駆け抜けて、最後に残っていた鼠型の魔物を切り裂くと、僕は人間の姿に戻った。
地面に落ちた赤い魔石を拾って、それを体内に吸収する。すると、僕の身体にほんの少しだけ――それこそ、砂粒の欠片分くらいだけ、力が満ちるのを感じた。
薬と言うには心もとないけど、数十個も吸収すれば多少の足しにはなる。
「いい加減、どうにかしないと……ジリ貧だよね。誰か力を貸してくれないかな?」
白んできた空を見上げつつ、僕はわざとらしく口に出して言ってみた。
どこかから返事が聞こえないかと、耳を澄ましてみるけれど……残念ながら、風に揺れる木々の音しか聞こえない。
弧帝は、僕が初めてアル君に会った日から一度も姿を現していない。
まったく、あの女狐は、要らない時には勝手にやって来るくせに、必要な時には姿を現さない。
ひょっとしたら、僕が困ってる様子を陰から見て、楽しんでるのかもしれないけど。
ため息を一つついて、僕は帰路についた。
――
エンリ村の周辺で魔物が急増している原因は二つある。
一つ目は、エンリ村の北方――国王直轄領で、人がたくさん死んでるからだ。この国の王が、確固たる意志を持って国民を惨殺している。
生物が死んだ時に放出される力の大きさは、その生物がもともと持っている力の量と、その生物の感情の強さによって変わる。
恐怖や歓喜、憎悪に愛情。強烈な感情を持った人々が、エンリ村のすぐ近くで数百人処刑され――その結果として、大量の力がばら撒かれた。
そして、二つ目の原因。
「ただいま」
玄関の扉を開けると、台所の方からひょっこりとイーナが顔を出した。
「あ、お帰りなさい!」
ててて、と玄関まで小走りで駆けてきたイーナは、いつものように僕に抱きついてきた。
「――っ」
同時、イーナが触れた部分に、ピリリと微かな痛みが走る。それを微塵も顔に出さないようにしながら、僕はイーナのことを抱き上げた。
イーナは八歳になった。
イーナは人間ではない。僕の眷属で、どちらかというと魔物に近い。
だから、ちゃんと身体が成長するのか不安だったけど、人間と同じ速さでスクスクと育った。あんなに小さかったのに、今では手のひらにしっかりと重さを感じる。
そして、成長したのは身体だけじゃない。
いつから始まったのか、はっきりとは覚えてないんだけど……大体半年くらい前から、イーナは周りから力を吸収するようになった。
魔物にとって、力を吸収するのは本能みたいなものだ。だからこそ、理性のない魔物は、力を豊富に蓄えた人間を襲う。
イーナには理性があるし、自分のことを人間だと思っている。だから、村人を襲ったりすることはないんだけど、無意識化には力を欲しているんだろう。
イーナが力を引き寄せる力は、最初はごく弱かったけど、あれよあれよという間に、その力は強くなった。今も、手のひらから大量の力を奪われてるのを感じる。
その引力に逆らわないようにしながら、自分の力をイーナの身体に注ぎ込む。桶の底に大きな穴が開いたみたいに、とめどなく僕の身体からイーナの身体に力が移っていく。
さっき魔石からもらった力の量なんて、塵か何かにしか思えないほど大量の力を注ぎ込んだ頃、ようやくイーナの身体は一杯になったみたいだった。
……やっぱり、日を経るごとにどんどん酷くなってるみたいだ。前に力を注ぎ込んだのは三日前だけど、その時と比べても、明らかに量が増えてる。
全身を包み込む倦怠感と、それ以上の焦燥感を嚙み潰して、僕は笑顔を浮かべた。
「とりあえず、朝食にしようか」
――
イーナと一緒に朝食を食べた僕は、お茶を二杯分淹れて食卓に戻ってきた。片方をイーナに渡して、僕も椅子に座る。
お茶を一口啜ったイーナは、しばしの間考えこんでから、
「ん、っと……
「惜しい、
「あっ、確かに……」
もう一度お茶を啜ったイーナは、悔しそうな顔で頷いている。そんなイーナの様子を、頬杖を突きながら眺めていた僕は、
「ねぇ、イーナ」
声をかけると、イーナはきょとんとした顔で視線を向けてきた。
「イーナは、この村での生活、毎日楽しい?」
「……お父さん、突然どうしたの?」
「ん? 深い意味はないけど、なんとなくかな」
イーナはお茶を一口啜ると、湯呑みの縁を指でなぞる。数拍の間そうしていたイーナは、少し恥ずかしそうにしながら、
「楽しいよ。嫌なこともあるけど、お父さんとお話したり、たまにフレイさんと……その、アルさんも来てくれるし」
「そっか」
僕は頭を持ち上げると、ちょっと真面目な顔をしながら続けた。
「それじゃあ、例えばだけど、お父さんと一緒にエンリ村から離れるのは、やっぱりイーナは嫌かな?」
「え」
イーナは困惑した表情で、
「エンリ村を出ていくの?」
「例えばの話だよ。例えば……二人で華に行って、現地でしか飲めない生茶を旅して回るとか。楽しそうだと思わない?」
イーナの『声』は聞こえない。
眷属――つまりは、僕の支配下にある存在なんだから、力の対象にできそうなものだけど、はじめて会った時から、イーナの『声』を聞くことはできない。
だから、僕はイーナの表情の変化を観察する。眉、目元、口の端。これまで何年も観察してきたから、イーナがどんな気持ちなのかは、手に取るように分かった。
「なんてね」
場の空気を切り裂くように言って、僕は立ち上がった。
「愛しのアルくんと引き離しちゃ、悪いからね。エンリ村を出て行ったりなんてしないよ」
「わっ、お、お父さん!?」
慌てて立ち上がったイーナを見ていると、笑いが込み上げてくるのを感じた。
「まさか、バレてないと思った?」
「そ、それは」
「一人娘なんだから、それくらい分かるよ」
ついこの間までは、そんな様子がなかったのに、最近突然イーナはアルくんによそよそしくなったように感じる。
たぶんきっかけは……村の女の子が、アルくんに手を出したからだろう。誰かにアルくんを奪われそうになって、自分の気持ちに気づいた……の、かな? たぶん。
僕は顔を赤らめるイーナを残して、玄関へと向かった。
「それじゃ、僕は討伐に行ってくるから。片付け、よろしくね」
――
いつものように討伐を終え、今日はちょっとだけアルくんの剣の修練に付き合って、家に帰ってからはイーナと何気ない会話をして、夕食を食べて……イーナが眠ったのを確認した後、僕は物音を立てないようにこっそりと玄関の扉を開けた。
空は、飛沫を散らしたように星屑が埋め尽くしていて、そのど真ん中には満月が浮かんでいた。月光を反射して、道の脇を流れる小川がキラキラと光っている。
それを眺めながら、僕はウスラの家へと向かって歩いていた。
頭の中を埋め尽くすのは、イーナのこと。どうすれば、イーナのために一番いい結果になるのか、僕はこれまで幾度となく考えてきたことを、飽きもせず考えていた。
このままじゃいけないことは分かってる。このまま、イーナの力が大きくなるのを放置していたら……エンリ村が壊れてしまう。
なにせ、二年ほど前から王国中でたくさんの人が殺されていて、大陸中に膨大な力がばら撒かれている。今のままイーナの力が成長したら、そのほとんどをエンリ村に引き込むことになりかねない。
もちろん、僕の力ならエンリ村の人の命を守ることはできる。でも、そんな力では、エンリ村を守ることはできない。
土壌や水、気候、近隣の村との繋がりや、その間を渡り歩く行商人――そんな諸々がより集まって、イーナが楽しいと感じ、そして僕が大切にしている場所が形作られている。
作物が育たず、魔物が
エンリ村を守るためには、そうなる前に何とかする必要がある。
一番簡単な解決策は、イーナがエンリ村を離れることだ。力の発生源――王国から離れるほど、イーナの影響は小さくなる。だから、鴻狼あたりまでイーナが行けば、問題は解決するだろう。
そういうわけで、今朝イーナに聞いてみたんだけど……イーナのあんなに悲しそうな表情を見ちゃったら、ね。
――そこまで考えて苦笑していた時、遠くの方にウスラの家が見えた。
『声』を聞いてみると、ウスラとクレアさんはぐっすりと眠っているらしい。アルくんの『声』は聞こえないけど、アルくんの部屋の寝台の『声』を聞くと、寝台の上にアルくんが寝そべってるのが分かった。
僕が裏口側に回ると、微塵も音を立てることなく、扉がひとりでに開いた。
ウスラの家の台所に侵入する。台所の奥には居間が広がっていて、中央には食卓が置かれている。
食卓の上の燭台には、半分ほどまで融けた蝋燭が刺さっていた。その蝋燭が気を利かせて火を灯してくれたので、僕は慌てて燭台を持ち上げて、蝋燭の火を消した。
真っすぐに立ち昇る煙を見つめながら、アルくんの部屋に意識を向ける。
……よかった、起きてない。
ほっと息をついて、僕はウスラの書斎へと向かった。鍵がかかってるけど、僕にはそんなもの意味がない。
ひとりでに開いた扉の隙間から、書斎へと身体を滑り込ませる。扉が閉まって鍵がかかったのを確認して、僕は書斎の奥にある机へと向かった。
机の引き出しの中から木箱を取り出して、蓋を開ける。すると、木箱から溢れる青い光で、部屋の中が照らされた。
この青色の石は、証石と呼ばれているらしい。曰く、王国の地方騎士の証なんだとか。ウスラも含め、地方騎士が討伐を行った日には、成果のあるなしに関わらず、証石を握って聖女にお祈りをすることになっている。
本人たちはこの行為の意味を知らないけれど、僕はその意味を知っている。
地方騎士が証石――小魔石を握ってお祈りをすると、魔物の討伐数が教会の中魔石へと送られて、そこからさらに中央教会の大魔石、それから教会の眷属の元へと送られる。
神官の『声』を聞いてみたところによると、それによって力の大きな流れを捉えて、強力な魔物の発生を察知するんだとか。
この仕組みを知った当時は、上手いことを考えるんだなぁ、って感心したものだけど、今の状況では非常にマズい。というわけで、僕は数ヶ月前から対策を打っていた。
木箱の中から証石を取り出して、右の手の平で握りしめる。
ほんのりと、熱を感じる。
このまま、お祈りを捧げれば、情報――つまりは、ごく少量の力が道を辿って、教会の中枢へと送られる。
たとえ細くとも、道が繫がっているならば、それを無理やりこじ開けるなんて、僕には簡単なことだった。
証石に力を流し込むと、一瞬だけ、部屋の中が眩い光で満たされた。
○○○
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