20話 『ロンデル・エンリ 三』
ウスラの『声』を核とした、僕の初めての眷属。
十年以上の間、ずっと僕の部屋に置いてあった魔石。
この子からは、それと同じ気配がする。
代わりに、寝室にあったはずの気配は感じられない。この子があの魔石――つまり、僕の眷属なんだと考えれば辻褄が合う。
思えば、予感はあった。気のせいだと思ってたけど、ここ数年、魔石が動いてるように感じることが時折あった。
……まあ、人間の姿になって動いたり、話したりするなんて、想像だにしてなかったけど。
何となく女の子の頭を撫でると、女の子は一瞬驚いたように身をすくませた。けど、すぐに気持ちよさそうに目を細める。
ああ、そうか。
最初見た時から、どことなく誰かに似てると思ってたけど……今分かった。
この子、ウスラに似てるんだ。
酒に酔い潰れた後、すやすや眠ってる時のウスラにそっくりだ。
ウスラの『声』が元になってるんだから、当然っちゃあ当然か。
そして、ウスラ以上に……この子は僕に似ている。
自分の姿を見ることはあんまりないから、すぐには気づかなかった。
それこそ、僕の娘って紹介しても大丈夫なくらい、この子は僕にそっくりだ。
これじゃあまるで、僕とウスラの――
「……よし」
呟いて、僕は目を伏せた。
何となく気恥ずかしくて、少女の顔を見続けることができなかった。
僕は自分の頬を撫でながら、
「今日から君はイーナだ」
「いー、な?」
視線を上げて僕は繰り返した。
「そう。イーナ」
「いーな」
「どうかな?」
イーナは数拍の間考え込んでいたけど、あまりピンと来ていないようだった。
何も言わずに抱きついてきて、僕の胸にぐりぐりと頭を擦り付けてくる。
そういえば、イーナはどうして僕に懐いてるんだろう? さっき会ったばかりなのに。
『おとーさん』とか言ってたし、ひょっとして、僕のことを親だと思ってるのかな?
疑問に思いつつも、僕はイーナを抱きしめた。すっぽりと腕の中に収まるほど小さい。
魔石と違って、イーナはすごく温かかった。
――
翌朝、僕はやけにいい気分で目が覚めた。
夢見心地のまま薄目を開けると……目の前で、少女が寝息を立てて眠っていた。
そうだった。イーナと一緒に寝たんだっけ。
「……んぅ」
イーナがゆっくりと瞼を開いた。
「おはよう、イーナ」
「……おとーさん」
ぎゅっと抱きついてくる。
ぽんぽんと頭を撫でてあげながら、僕はこれからどうしようか考えていた。
昨日の晩、イーナに色々と聞いてみたけど、イーナ自身も自分のことについてよく分かっていないらしい。
というより、どうやら見た目通りの精神年齢らしく、難しいことは理解できないっぽかった。
こんな右も左も分からない状態の子を、ほっぽり出すのは難しい。
いちおう僕の眷属なわけだし……まあ、僕が世話を見るしかないだろう。
そのためには、この子に何かしらの立場を与える必要がある。
一番自然なのは、僕の娘って立場だけど……イーナの見た目はニ歳児くらいだ。これまでのニ年間、エンリ村の誰もイーナの存在を知らなかったなんて、流石に無理がある。
他にも、イーナの母親のことだとか、僕の元婚約者のことだとか、不自然な部分は多い。
……やっぱり、『声』の書き換えが必要だよね。
「イーナ」
声をかけると、僕の胸の中でイーナが顔を上げた。
「今日、僕、ちょっとだけ出かけてくるから……その間、イーナはいい子にしててね」
手のひらから、イーナに力を注ぎ込む。
普通の人間なら、頭の中にちょっと干渉すれば意識を奪えるんだけど、イーナの構造はどっちかと言うと魔物に近い。
人間のように見える身体は、全て力で形作られたものだ。頭が身体を動かしてるわけじゃないから、そこに干渉したところで、意識を奪うことはできない。
もっと深い部分に干渉する必要がある。
イーナの奥底にある自我の塊――それが周りの力に干渉しようとするのを、僕の力で乱す。
同時、イーナはこてんと眠りについた。
僕の服にしがみついてるイーナの手を一個ずつ、丁寧に剥がして、寝台から起き上がる。
「さて、と」
アルくんとお話しに行こうかな。
――
「あ、ロンデルさん!」
僕がウスラの家に着くと、広場で素振りをしていた少年は手を止めた。
右手で木剣を握ったまま、僕の方へと小走りで向かってくる。
「おはよう」
「おはようございます!」
アルくんは、数か月前に五歳になったばかり。身長は、僕の胸くらいの高さしかない。
「朝から偉いね」
「……えっと、ありがとうございます」
アルくんは、ちょっと照れたような顔をした。
「その、ロンデルさんも珍しいですよね? こんな朝早くから来るなんて」
「うん。ちょっと急ぎの用事があってね」
「あ、そうなんですか。父上は家の中にいますから、呼んできますね!」
言うなり、家の方へと走って行こうとしたアルくんの肩を、慌てて掴む。
「――っと、ちょっと待った!」
アルくんは、キョトンとした表情で僕のことを見上げてくる。
「ウスラじゃなくて、アルくんに用事があって来たんだよ」
「僕にですか?」
言いつつ、僕はウスラの家へと視線を向けていた。
窓の向こうには、ウスラの横顔が見える。今は朝食の真っ最中らしい。
『声』を聞く限り、僕の存在にはまだ気づいてない。けど、ちょっと顔を動かしただけで、気づくだろう。それはちょっと、具合が悪い。
僕は『お願い』をして、ウスラの食卓の、汁物の器に転がってもらった。
「あちっ!」
「わっ! あなた、大丈夫!?」
ドタバタしてる音を聞きつけて、アルくんはウスラの家へと目を向けていた。その肩をちょんと叩いて、
「とりあえず、ちょっとこっちに来てくれないかな?」
僕が手招きしながらウスラの家の裏へと周ると、アルくんはトテトテと付いてきた。
「あの、僕に用事ってなんですか?」
「用事って言うほど大それたことじゃないんだけど、アルくんに聞きたいことがあってね」
アルくんの顔を見下ろしてみるけど……やっぱり、『声』は全く聞こえない。
どうやって会話を組み立てれば、欲しい情報を引き出せるか。そんなことを考えつつ、
「僕の娘のことなんだけど」
「えっ! ロンデルさんって娘さんがいたんですか?」
「うん。ウスラとかから、聞いたことなかったかな?」
「初耳です!」
まあ、昨日までいなかったんだから、初耳で当然だろう。
「そうなんだ。てっきり知ってるかと思ってた」
「……あの、そもそも、ロンデルさんって結婚してたんですか? 父上がよく、早くロンデルさん結婚してくれないかなぁって、愚痴ってたんですけど」
困惑した表情のアルくんのことを、不自然になりすぎない程度にマジマジと見つめる。
エンリ村では、僕が婚約者に逃げられたって話は有名だ。けど、みんな僕に好感を抱いてるから、わざわざそんな醜聞を噂することはない。
だから、若い世代は僕に婚約者がいたって話を知らない。……こういう反応をするってことは、やっぱり、アルくんも知らないってことでいいのかな?
ということは、どんな設定にしても、アルくんを混乱させるようなことはないはず。
「結婚はね、昔してたんだけど。娘を生んだ時にいなくなっちゃって……」
村人の『声』を都合のいいように書き換えながら、僕は周りへと意識を向けていた。
ひょっとしたら、どこかから弧帝が見てるかもしれない。
これくらいの『声』の書き換えなら、アルくんに影響ないと思うけど……弧帝がどう判断するか分からない。
慎重に、少しずつ、村人たちの『声』を書き換える。
村人の『声』を書き換えるだけなら、鼻歌交じりにできる。けど、狐帝を意識しながら書き換えるのは、すごく神経を使う作業だ。
「あ、あのっ……ごめんなさい。無神経なことを聞いてしまって」
「ん? いや、別にいいよ。よくあることだし」
「……そう、ですか」
落ち込んだような声を聞いて、僕の意識はアルくんへと向いた。
しょんぼりした表情をしてる。
やっぱり親子なだけあって、その表情は、ウスラによく似ていた。
「ほんとに気にしなくていいよ! そんなことより、えっと……そうだっ、僕の娘のことなんだけど」
アルくんが上目づかいに僕のことを見てくる。腰を屈めて、僕はアルくんと視線を合わせた。
「僕の娘の名前は、イーナって言うんだ。両親の名前から取ってね」
「へー、そうなんですか! えっと、イーナ……あれ? でも――」
「イーナはちょっと人見知りだから、あまり家から出たがらないんだけど……会った時には、仲良くしてあげてね」
ぽんぽんと頭を撫でると、アルくんは恥ずかしそうに顔を赤く染めた。
「は、はいっ!」
「よし、いい子だ。修練の邪魔してごめんね」
――
家に戻って寝室の扉を開けると、イーナはすやすやと眠っていた。
寝台に座って、イーナの頭を撫でる。
しばらくの間そうしてから……僕は、手のひらから力を注ぎ込んだ。
「んむ……」
イーナはぼんやりとした様子で目を開けた。
目元をこすりながら、寝台から起き上がる。
「……おとーさん?」
「おはよう、イーナ。よく眠れた?」
「うん」
こくりと、イーナは頷いた。
僕は、そんなイーナの顔を見つめながら、
「初めて会った時から、僕のこと、おとーさんって呼んでるけど……おかーさんは覚えてる?」
「……おかーさん?」
イーナは、こてんと首を傾げた。
「わかんない」
「そっか、覚えてないか」
「おかーさん、いるの?」
イーナが僕の服の袖をギュッと握った。
「おかーさんは……いるよ。けど、ずっと遠くに行っちゃったから、なかなか会いに来れないんだ」
「そーなの?」
「うん。でも、いつでも、ちゃんとイーナのことを見守ってるからね」
イーナは、僕が言ってることを理解できていないようだった。
ニ歳児にはちょっと難しかったかな。
「ちょっと待っててね」
僕はイーナの頭を撫でてから、立ち上がった。
寝室の端っこ。木製の机の上には、小さな木箱が置いてある。
木箱を開けて、僕はその中から赤い布を取り出した。
これは、僕の宝物。
最初の何日かは魔石を包んでたんだけど、どうしてもシワになっちゃうから、こうして大事に木箱にしまっていた。
この宝物は、ずっと大切にするつもりだった。百年、二百年、時間が経てば、少しずつ擦り切れて、駄目になっちゃうだろうけど……それまでは、ずっと大切にするつもりだった。
だけど、こうやって木箱の中にしまってるくらいなら――
僕は赤い布に『お願い』をした。
すると、赤い布は自ずと形を変えてゆく。
「イーナ、ちょっと後ろを向いて」
寝台に戻って、イーナに声をかける。
きょとん、としてる様子だったから、僕は寝台の上に膝立ちになって、イーナの背中側にまわった。
右手で、イーナの髪の毛を持つ。僕と同じ、黒くてサラサラの髪の毛。
それを手櫛で整えながら、僕は『声』の書き換えを進めていた。
ウスラの『声』を書き換える。
イーナの母親はもういない。
イーナが生まれたその日に、僕がその存在を消してしまった。
イリエルのことは、僕と、狐帝、それ以外、誰も覚えていない。
もう一度書き換えたところで、それは偽物だ。
でも、偽物だとしても……イーナの母親は、世界のどこかに存在する。
イーナとウスラにだけは、そう思っていて欲しかった。
「イーナ。これはね、イーナのおかーさんからの贈り物だよ」
そう言って、僕はイーナの髪の毛を、赤い髪飾りでまとめた。
◯◯◯
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