17話 『記憶の塵 五』
「どうぞ」
「おうっ、すまんな」
豆だらけの手に木皿を渡した時、僕はふと空が赤く染まっていることに気がついた。
忙しく仕事をしてるうちに、かなり時間が経ってたらしい。今はだいたい夕方の五刻くらいかな? 村長宅を出たのが昼の二刻だったから、三刻くらい経ったことになる。
この三刻の間に色んな仕事をやらされたけど、現在の僕の仕事は配膳。畑仕事を終えて続々と広場に集まってくる人たちに、スープを配るお仕事だ。
ちなみに、このスープには薬草が入っている。効能は、酒精の分解を助けるというもの。今日はお祝いなので、どうせ男衆は酒を浴びるように飲む――それを見越して、事前に手を打っておこうという魂胆らしい。
『お祝い』とは、ウスラが『奪嫁の儀式』を終えたことに対するお祝いだ。前々から、ウスラが帰ってきた日の夜に開催することが決まっていたらしい。
……まあ、僕はそんなこと一言も聞いてなかったんだけど。
「イリエルちゃん!」
若干もやもやしながら考え込んでいると、弾むような声音で名前を呼ばれた。
「カサンドラさん、お疲れ様です」
「お疲れ! ごめんね、手伝ってもらっちゃって」
言いながら、カサンドラさんが手を差し出してくる。お玉を渡すと、カサンドラさんは木皿を片手に鍋からスープをよそって、
「新しく来る人も減ってきたし、後から来る人には自分で注いでもらいましょ! はい、イリエルちゃんの分!」
――
カサンドラさんによそってもらったスープを片手に、広場の端っこを目指す。
その途中で色んな人――酔っ払いと化した討伐隊の面々、同年代の女の子たち、たまに畑作業を手伝ってあげてた老夫婦などーーに話しかけられる。
みんなウスラが傷だらけの理由が気になるらしい。最初に決まってウスラのことを聞かれた。けど、ある時からパッと聞かれることがなくなった。
どうしたんだろ? って思って周りを見てみると、すぐに原因が分かった。ウスラが人混みの中央にいる。本人がいるなら、わざわざ僕に聞く必要がない。
そういうわけで、質問責めにされることがなくなった僕は、ようやく目的地にたどり着くことができた。距離としてはせいぜい十数メルなのに、おおかたニ刻ほどかかってしまった。
日はとっくの昔に沈んでいて、空には満天の星空が見えている。いつの間にか、広場の中央には炎が焚かれていた。
僕はその光から逃げるようにして、木陰に転がっていた丸太に腰掛けた。
カサンドラさんにもらったスープはとっくに無い。ダブラさんがくれた串肉も食べ終わっちゃって、僕が今手に持ってるのは、カノッサさんに無理やり握らされた熱酒だ。
その温かさを感じながら、僕はゆっくりと視線を左右に動かした。
目の前には、騒々しくて、和やかで、楽しげな光景が広がっていた。
「……ふぅ」
こうやって暗闇の中から眺めると……やけに眩しく感じる。
僕はコップの中の熱酒を揺らして、目を閉じた。わずかに粘度のある液体を口に含める。
お酒とは言っても、酒精は熱でほとんど飛んでいる。だから、特有の喉がひりつくような感覚はない。ゴクゴクと熱酒を全部飲み切って、僕は空のコップを地面に置いた。
それから、薄目を開いて……もう一度、目の前に広がる光景を眺める。
……ヒトは激しく燃え上がるからこそ、眩しく見える。
僕はそれを眺める存在だ。
数えきれないほどの炎が燃え盛って、消えるのを眺めてきた。
僕はずっと、そんなものには意味がないと思っていた。ヒトも、営みも、国も……どれだけ輝いたとしても、最後には壊れてしまう。
けれど……ひょっとしたら、燃えていることそのものに意味があるのかもしれない。眺めているだけでこんなに綺麗なら、その只中からはもっと綺麗に見えるはずだ――
「こんな隅っこで何をしてるんだ?」
「ひょわっ!?」
突然肩を叩かれて、変な声が出てしまった。後ろを見ると、案の定そこにはウスラがいた。
「もう、驚かさないでよ……」
「ボーッとしてるのがいけないんだろ。そんなので、本当に旅に出れるのか? 初めて会った時の方が、しっかりして見えたぞ」
「うるさいよ」
ウスラはヘラヘラと笑って、断りもせずに僕の隣に座った。顔を見ると赤く染まっている。
「うっ、お酒くさい」
「ん、そうか? 自分ではよく分からないが……っと、そんなことより」
急に真面目な顔になったウスラは声をひそめて、
「いつ出発するんだ? 俺はいつでもいいが」
「……そうだね」
ウスラは僕との約束を守った。だから、次は僕が約束を守る番だけど……。
「ねぇ、ウスラ」
「なんだ?」
「ウスラは、本当に僕と一緒に来てもいいの?」
「……どういう意味だ?」
僕はすぐには応えずに、剣柄を強く握った。
……広場の中央の炎を見つめながら、
「僕はもともとこの村の一員じゃない。だから……この村から出ていくのは自然な成り行きだよ。だけど、ウスラにとっての居場所は――」
「あっ、こんなところにいた!」
僕とウスラは、声の主へと目を向けた。カサンドラさんは手を頬っぺたに添えていて、
「あらやだ……二人ともこんな暗がりで何してるの?」
「べ、別にそんなのじゃ」
「うふふ、慌てちゃって。ウスラくんもまだまだ子どもね」
カサンドラさんはウスラの頭を撫でながら、
「ごめんね、イリエルちゃん。二人のとこ邪魔しちゃって。おばさんはすぐに退散するから、ちょっとだけ時間をちょうだい!」
「僕、ですか?」
てっきりウスラに用事でもあるのかと思ってた。僕とはさっきまで一緒にいたんだし。
カサンドラさんは花のような笑顔を浮かべてから、右腕に提げていた木籠に手を突っ込んだ。
「何がいいか悩んだんだけど、やっぱり嵩張る物より小さい物がいいかなぁーと思ってね。じゃーん! どうかしら、これ!」
木籠から何かを取り出したカサンドラさんは、両手でそれを広げた。
それは大きな赤い布だった。一メル四方くらいで、何か細々と模様が描かれている。
「……これは?」
「私たちからの、イリエルちゃんへの贈り物よ!」
カサンドラさんが布の一端を摘んで差し出してくるので、僕はそれを受け取った。
「村の皆でね、一人一つずつ刺繍をしたの。あっ、もちろん女の子たちだけだけど。男連中にはその代わりに、刺繍糸を染めるための染花を集めてもらったわ!」
近くで見ると、確かに布の中には小さな刺繍がひしめいていた。
どの刺繍も、図案や色が違う。
上手なのもあれば、ちょっと歪な形のもある。
「あっ、これが私のよ。我ながら上手にできたの! これがカノッサのね、それとこれがビオラの。他にもこれが――」
カサンドラさんが一つ一つ指差しながら、その刺繍をした人を教えてくれる。
その人らしい刺繍もあれば、豪快な性格なのに案外繊細だったり、逆にほっそりした綺麗な人なのにちょっと不器用だったりーーそれぞれの個性が刺繍には表れていた。
カサンドラさんが僕に説明をしてる間に、少しずつ周りに人が集まってきた。特に女の子たちは自分の刺繍を説明したいみたいで、自分で布を持ちながら僕に話しかけてくる。
「……そっか」
小声で呟くと、周りの皆は不思議そうに見つめてきた。僕は笑顔を返して、
「あぇっ……イリ、エルちゃ――」
突然、腰から剣を引き抜いた僕の行動に、カサンドラさんは当惑した表情を浮かべて――その表情のまま、ピタリと動きを止めた。
カサンドラさんの視線の先では、剣が青く輝いている。
「僕を避けてたんじゃなくて、これを作るために……みんな、よそよそしかったんだね」
カサンドラさんの『声』を聞きながら、剣身に手のひらを添える。
ドロリと、剣の形が崩れた。
それを指先から吸収すると、さっきまでは薄絹越しに聞いてるようだった『声』が、ハッキリと聞こえるようになった。
広場を見渡すと――そこかしこに、不自然な姿勢で動きを止めた人たちが立っている。
カサンドラさん、カノッサさん、イベルタさん、ワレリウスさん、レオン、フィンさん、エルゼさん、パウラ、ディアナさん、ユリウスさん、トビアスさん――
エンリ村の全ての人へと意識を向けて、僕はその全員の『声』を聞いた。
『声』を聞く範囲は十二年間。聞いた端から、『声』を書き換えてゆく。
四半刻とかからずにその作業が終わって――次に、エンリ村の外へと意識を向ける。
最初は薄く広く、大陸の西半分くらいの範囲に意識を広げてから、目ぼしい人へと意識を集中させる。
ウスラが『奪嫁の儀式』に向かった領地の人たち、エンリ村に来たことのある旅商人、『儀式』をしに来た神官……それと、『エンリ村にすごい美人がいるらしい』という噂を知ってる全ての人。
派手に力を使ったから、聖女さんには気付かれるだろう。エンリ村に来られても嫌なので、色々と小細工をやっていたら、一刻くらいかかってしまった。
「よし、こんなもんかな」
一仕事を終えて額の汗を拭っていると……ふと、未だに固まったままのカサンドラさんが目についた。
手のひらから、赤色の刺繍布を丁寧に取り外す。
『声』を書き換えることができても、そこにある物を消すことはできない。だから、『不自然な物があっても気にしないでね』って書き加えてるんだけど、それだとカサンドラさんが目覚めた時にこれを捨ててしまいかねない。
「せっかく僕のために作ってくれたんだから、大切にしないとね」
僕は刺繍を折り畳んで、それを胸に抱き締めた。
……千年も生きてきて、こんな些細な物で心を動かされるなんて……我ながら呆れてしまう。けど、そう感じてしまったんだから、仕方がない。
僕はエンリ村のことが好きになってしまった。この村の一員として――この村で生まれ、この村で育った、本当の一員として、生きたいと思ってしまった。
だから、僕は力を使う。
みんなの『声』を置き換えてしまえば、それは本当のことになる……。
「あとは……ウスラだけ、だね」
目を見開いたまま固まっているウスラを見つめながら、僕は呟いた。
このまま、ウスラの『声』を他の人と同じように書き換えても問題はない。だって、僕以外は何も覚えてないわけだし。
でも……たとえ覚えていなくたって、あった事実は変わらない。少なくとも僕にとっては。
僕は視線を落として、胸元の刺繍を見つめた。
「書き換えて消えちゃうくらいなら……僕がもらってもいいよね?」
少しだけ背伸びをして、手を伸ばす。
頭の天辺を撫でるようにすると、『声』が一気に流れ込んできた。
ウスラの記憶。
ウスラの思考。
ウスラの気持ち。
その全部を確かめながら、一つずつ奪い取ってゆく。
僕と出会った日のことも、訓練していた間のことも、討伐隊で一緒に戦ったことも、徹底的に、その残滓さえ残らないように奪い尽くす。
――ウスラの『声』を全て奪い終わって、僕は左手を見下ろした。
そこには、小さな白い光が灯っている。
ついさっきウスラから奪った『声』だ。
ほんのりと温かい。
外に取り出した『声』は不安定だ。だからこうして見ている間にも、端っこの方から少しずつ宙に流れ出て行ってしまってる。
僕は流れ出る光をすくい取るようにして、『声』を手で覆った。
数拍後に手を開いた時、そこには拳大の石が乗っている。表面は青色。中からは淡い光――ウスラの『声』の放つ光が漏れ出している。
その光をしばらく見つめていると……何だか、ちょっとだけ気恥ずかしく感じた。
胸元に抱いていた刺繍布を両手で広げて、その中央にウスラの『声』を置く。巾着のように包み込むと、中から漏れ出す光で刺繍が浮かび上がって、
「……うん、いい感じだね」
思わず頬が緩むのを感じながら、僕は一人広場をあとにした。
――
巾着を片手に自宅に戻る。
扉を開けて中に入ると――椅子に座っている存在に気づいて、僕は足を止めた。
「お帰りなさいませ、黒狼様」
暗闇の中に、にこやかな顔だけが浮かんで見えた。黄金色の瞳が、僕が持ってる巾着へと向いたのに気づいて、慌ててそれを背中に隠す。
狐帝はクスクスと笑って、
「慌てずとも、誰も盗ったりしませんよ。……ところで、何やら面白いことをしていらっしゃいますね?」
「何をしに来たの?」
口調にトゲトゲしいものが出るのを抑えることができない。
だって、狐帝のこと嫌いだし。
何が嫌いかって、何がしたいのか分からないのが嫌いだ。ひょっとしたら目的なんてなくて、単に気分で行動してるだけなのかもしれないけど……どうにも、何か目的があるようにも見える。
皇帝を唆して戦を起こしたかと思ったら、それを自ら止めたりもする。左手で殴って、右手で慈しむような……そんなチグハグなところが、側から見ていてすごく気持ち悪い。
そして、前までは気持ち悪いだけで済んだけど……エンリ村で同じようなことをされたら、たまったものじゃない。もし狐帝が何か危害を加えようとするのなら――
睨みつける僕を他所に、狐帝は勝手に淹れたらしいお茶を飲んでから、
「……ふふ。せっかくお祝いに馳せ参じたのに、そのような反応をされると少し悲しいですね」
意味が分からなくて、僕は眉を顰めた。……まさか、ウスラが『奪嫁の儀式』を終えたことを祝いに来たわけじゃないだろうし。
狐帝はスッと、僕を指差して、
「ずっと面倒くさがってらしたのに、とうとう眷属をお作りになられたのでしょう?」
「……眷属?」
「そちらの、黒狼様が大切そうに隠されたものですよ」
隠した? それって――
背中に隠していた巾着を前にもってきて、僕はそれを目線の高さに合わせた。そのまま、疑問の眼差しを狐帝に送ると、
「人間に、その魂以上の力を注ぎ込めば、真なる眷属とすることができる――そう我はお伝えしていたでしょう? 黒狼様は先ほど、
「どうって、拡散しないように僕の力で……覆った、けど」
そこまで言って、僕はようやく自分がしでかしたことを理解した。
「えっ……じゃあ、ウスラは僕の眷属になっちゃったってこと?」
どうしよう。
ウスラにはヒトの世界で生きてほしかったのに。エンリ村で、ウスラ自身の人生を生きてほしかったのに。
僕の眷属になってしまったら――永遠に僕に縛り付けられることになってしまう。
「いえ、その心配は要りませんよ。黒狼様が眷属にしたのは、あくまでも魂の一部でしょう? 人間の魂はその全てでもって個たり得るのです。一部だけを取り出しても、自我を持つことはありませんよ」
ほっとしつつ、僕は目の前の巾着を見つめた。
これが、僕の眷属……。
正直、あまり実感は湧かない。もっと繋がり的なものを感じるのかと思ってたけど、そんなものは感じないし……そもそも、狐帝が言うことを鵜呑みにしていいかどうかも怪しい。
ん? というより……。
狐帝の言葉だと、少なくとも僕が『声』を奪うところからは見てたはずだ。
つまり、眷属を作る前から来てたってことになる。
さっき狐帝は『お祝いに馳せ参じた』って言ってたけど……眷属を作る前から来てたんだとすると、道理に合わない。
……嘘をついていたってことだよね?
僕は巾着から視線を外して、狐帝へと目を向けた。
狐帝はノンビリとお茶を啜っていた。
「……」
……どこまでが嘘なんだろう。
○○○
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