16話 『記憶の塵 四』
「おう、イリエルちゃん」
道を歩いていると、ノイマンさんと出会った。泥で汚れてる服装を見るに、農作業をしている最中らしい。
「こんにちはノイマンさん」
「いやぁ、いつ見てもイリエルちゃんは美人さんだなぁ。俺の嫁さんにならねぇか?」
「またノイマンさんに口説かれたって、カサンドラさんに言っちゃいますよ」
いつものように僕が返すと、いつもは笑って謝ってくるノイマンさんはーー少しかしこまった表情をした。
「このやりとりも、あとちょっとで終わりか……そろそろだよな、帰って来るのは?」
「はい。予定では……」
今、ウスラたちは『奪嫁の儀式』をするために、相手方の領地に行っている。馬車で向かったので、片道二日くらいかかる距離だ。向こうでも何日か過ごすと言ってたので、そろそろ向こうを出発した頃だと思う。
「……にしても、ウスラのやつも結婚するような年になったのかぁ。ついこの間まではハナタレ坊主だったのに……時間が経つのは早いな」
「やっぱり、ウスラが小さい頃から知ってるんですか?」
「そりゃそうだ。なんせ、エンリ村はちっさい村だからな。村人全員が家族みたいなもんだ。俺だって、年寄衆からは今でもハナタレ坊主扱いだしな」
苦笑いしながら、けれどどこか嬉しそうなノイマンさんを見ていると……僕はどこか気分が落ち込むような気がした。
ノイマンさんの言うように、エンリ村の人たちはほとんど皆が昔からの知り合いだ。外からやって来るのは、せいぜい領主の奥さんと数人程度しかいない。
だから、完全に外の人で、しかもエンリ村に住み着くわけでもない僕みたいな人は、より一層の隔たりがある。
エンリ村に来た当初はそんな物を感じることはなかったけど、力を分離した『あの日』から少しずつ隔たりを感じるようになった。
特にここ最近は、皆から避けられてるような気がする……例えば、僕が挨拶すると、コソコソ話してた人たちがピタリと話すのを止めたり、食べ物をもらいに行ったら物だけ渡されて早々に追い出されたり。
露骨に邪険にされるわけじゃないけど、何となく余所余所しいというか……。
そんなことを考えている最中、僕は無意識に、腰に提げていた剣の柄を撫でていたらしい。
ノイマンさんはそれを目敏く見つけて、
「にしても、最近は討伐がない日でも剣を持ち歩いてるよな」
「え、あ……はい」
「重いのによくやるよ……でも、旅の最中はずっとそうなんだもんな」
「まぁ、そうですね」
「いっそのこと、そんな大変なことは――」
「あなた!」
突如かかってきた声に、ノイマンさんはビクリと肩を跳ねさせた。声の方向に目を向けるとカサンドラさん――ノイマンさんの奥さんが歩いてくるのが見えた。
「そんなとこで何油売ってるのっ! ただでさえ忙しいってのに!」
「いや、そういうわけじゃ……」
「あら、イリエルちゃん」
モゴモゴ言うノイマンさんを無視して、カサンドラさんは僕に笑顔を向けた。
「こんにちは、カサンドラさん」
「こんにちは。大丈夫? この人に変なこととか言われてない?」
「いえ、いつも通りですよ」
「……もう、最後の最後までこの人ってば」
カサンドラさんがギロッと見ると、ノイマンさんは決まりの悪そうな顔をした。僕は二人のいつもの様子を見て、少しだけ気持ちが軽くなるのを感じながら、
「ところで、そんなに忙しいんですか? 何なら、暇なので手伝いますよ?」
「あ――」
僕の方を見たカサンドラさんは一瞬だけ表情を固めた。すぐにその表情を笑顔で隠して、
「そんなに気を使わなくても大丈夫よ! 私たちのことより、イリエルちゃんは出発の準備とか大変でしょ?」
「そう……ですね。確かに掃除とかはありますけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫! ありがとね、イリエルちゃん!」
「行くわよ!」と言ってノイマンさんを連れて行ったカサンドラさんを見送って、僕はしばらくその場に留まっていた。
……本当のところは、準備なんてとっくに終わってる。けど、カサンドラさんに歓迎されていないことは『声』が聞こえなくても分かったので、角を立てないように話を合わせておいた。
「なんか……つまらないな」
別に嫌われるようなことをした気はないけど、もしかしたら僕は気付かないうちに勘に触るようなことをしてるのかもしれない。
強制的に好かれる力はもうないし、『声』を聞くこともできない。これまでそれに頼って生きてきたからこそ、どちらもない素の僕はそういうものなのかも……。
「ふぅ……。というより、どうして僕がそんなこと気にしないといけないのさ」
頭を振って、瑣末な考えを追い払う。
暇だからエンリ村を散歩しようとでも思ってたんだけど……なんだか、そんな気分でもなくなってしまった。
僕は何となく小石を蹴って、やってきた道を引き返すことにした。
○○○
昨日も今日も、特にやることもなく、ただボーッと寝台に寝転がっていた僕は、窓の外が少し騒がしいことに気がついた。
「おいっ、帰ってきたらしいぞ!」
そんな声が聞こえると同時、僕は寝台から立ち上がっていた。
――
続々と集まってくる村人たちの流れに乗って、僕は村の入り口の方へと向かった。
既に人集りとなっている中に、ノイマンさんの姿が見えた。向こうも僕に気づいたようで、小走りで近づいてくる。
「おぉ、イリエルちゃん! ちょうど呼びに行こうと思ってたとこだ!」
そう言いながら僕の肩を掴む。「ちょっ!」と僕が文句を言おうとするのも聞かず、ぐいぐいっと人集りの中へと僕を押しやっていく。
人に揉みくちゃにされながら、僕が開けた空間に出た時、
「イリエル」
ちょうど、目の前にウスラが立っていた。
目は丸く青あざになっていて、それ以外にも腕とか脛とか、色んな所が青あざやミミズ腫れ、切り傷なんかで覆われている。
「えっ……だ、大丈夫っ?」
「擦り傷だ。見た目ほど酷くはない」
「擦り傷って、でも――」
ちょっとこけたくらいでは、こんな傷ができるとは思えない。一体全体どうしてこんなに傷だらけなのか、ウスラに聞こうとした僕の言葉を、
「すまない、イリエル君。詳しい話はまた後でしよう」
サルマンさんが遮った。
ウスラとは違って、サルマンさんに怪我をしている様子はない。
サルマンさんは集まってきている村人たち向かって、
「皆、忙しい中迎えに駆けつけてもらい感謝する。……予定よりも帰村が早くなってしまったが、準備はできているのか?」
サルマンさんは、小声で僕の後ろにいるノイマンさんに尋ねた。
「あー、たぶん大丈夫だと」
「分かった。――皆、気になることもあると思うが、今晩詳しい話は私からする。だからひとまずは我慢してほしい。この場にいない村人たちにもそのように伝えておいてくれ」
方々からパラパラと返事をする声が聞こえてくる。サルマンさんは満足したように頷いてから、僕の方を見た。
「イリエル君。君とは話しておきたいことがある。一刻後に私の家に来なさい」
――
村長宅の前はちょっとした広場になっている。討伐隊の訓練は大抵ここで行われるので、僕にも馴染みのある場所だ。
サルマンさんに呼ばれた僕が広場にたどり着いた時、何やらいつもと様子が違っていた。いつもは討伐隊のむさ苦しい男の人たちがいたりするんだけど、今日はなぜか女の人たちがポロポロと集まっている。
ちょっと気にはなったけど……約束の時間が迫っていたので、僕は真っ直ぐ広場を通り抜けて、村長宅の扉を叩いた。
すぐにサルマンさんが扉を開けてくれる。
「まあ、座ってくれ」
サルマンさんに勧められたので、ウスラの隣の空いている椅子に腰を下ろした。隣から緑っぽい匂いが漂ってくる。たぶん薬草か何かの匂いだ。傷口に軟膏でも塗ってあるんだろう。
ウスラに話しかけようかとも思ったけど、何だかそういう雰囲気でもない。ウスラは僕が部屋に入ってきた時に一瞬目が合った以外はずっと机を見てるし、サルマンさんも無言で腕を組んでいる。
少し居心地悪く僕も黙って座っていると、
「……イリエル君。『奪嫁の儀式』がどういうものか知っているかね?」
サルマンさんがそんなことを聞いてきたものだから、僕は困惑して首を傾げた。
「えっと、はい。さっきまで、そのためにサルマンさんたちは相手の家に行ってたんですよね?」
「ああ、いや。そういうことではない。そもそも『奪嫁の儀式』が具体的にどういう儀式なのかということだ」
「……確か、婚約をするための儀式だったと思いますけど……すみません、具体的にどういった物なのかは、見たこともないので」
僕が正直に答えると、サルマンさんは軽く頷いて、
「その理解でおおかた正しいのだがな、正確に言うならば『奪嫁の儀式』とは、その名の通り相手の家から花嫁を奪い取るための儀式なのだよ。相手の家の当主を剣でもって打ち負かすことによってな。まあ、実際は形式的な物で、本気で戦うわけではないのだが」
困惑顔の僕に構わず、サルマンさんは話し続ける。
「それで、先日までウスラと私はその『奪嫁の儀式』に臨むためにダリテン子爵領に向かっていたわけだが……ウスラは勝つことができなくてな。花嫁を迎い入れることができなくなった」
僕は、隣に座っている傷だらけのウスラへと目を向けた。
「――そのせいでウスラはその様だ。相手の当主は普段は剣など握るうこともない根っからの文官でな。こう言っては失礼だが、怒りに任せて剣を振り回すだけだった。とはいえ、こちらが剣を構えることさえしないのでは、どうやっても勝つことはできまいよ。……どうしてそのようなことをしたのか、もう一度聞かせてくれるか、ウスラ?」
サルマンさんは低い声でウスラの名を呼んだ。ずっと目を伏せていたウスラは、真っ直ぐサルマンさんの青い瞳を捉えて、
「俺には好きな人がいる。だから、ああするしかなかった」
「――これだ。先方も最初は歓迎していたのだが、食事の席で突然こいつがこんなことをほざいてな。空気が凍ったのが分かったよ。二度と、あれほど居心地の悪い思いはしたくないものだ」
サルマンさんは喉の奥で絞るように笑った。それとは対照的に、冷えきった青い瞳が僕を見つめている。
「ところで、イリエル君はこのことを知っていたのかな? ウスラに聞いてみても、頑として自分の意思だとしか言わなくてな。こうして君に聞いているのだが」
「……僕が、ウスラに――」
「イリエル」
ウスラが僕の声を遮る。
「僕が、ウスラにそうするように言いました」
もう一度、はっきりした口調で言った。
自分が悪いことをしたのは分かっている。ウスラが本当にそんなことをするなんて、想像さえしてなかったとはいえ……やるように言ったのは僕だ。僕が全部悪い。
だから、もっと申し訳なさそうな口調で言うのが正しいのかもしれないけど、それはそれで何か違うような気がした。
サルマンさんは……微かに、ため息をついてから、
「私がここで君を責めても、既に終わったことだ。意味がない。ただ、一つだけ心に留めておいて欲しいのは……君のしたことは、相手方の子――クレア嬢の気持ちを踏み躙ることだったということだ」
「……はい」
「ウスラも、分かっているな?」
ウスラは真面目な顔で頷いた。
その顔をサルマンさんはジッと見つめてから、目を閉じた。
「さて、この話はここまでだ。あとは、これからの話をする必要がある。当然だが、こうなってしまったからには、ダリテン子爵の面子を守るためにも、ウスラにこのままエンリ領を継がせるわけにはいかない。ウスラには、エンリ村から出て行ってもらう」
――
サルマンさんとウスラは、何かまだ話すことがあるとかで、僕は早々に村長宅を退散することになった。
扉から外に出ると、ついさっきよりも人の数が増えている。
「あの、ここで何かするんですか?」
たまたま近くを通りかかったベネッタさんに話しかけると、
「ん? ああ、そうさね……あたしにはアレだから、ちょっと付いてきてくれるかい?」
よく分からないけど、ひとまずベネッタさんに付いていく。遠くに十人くらいの女衆が集まっていて、その中にカサンドラさんが混ざってるのが見えた。
「カサンドラさん! イリエルちゃんを連れてきたわよ」
ベネッタさんが話しかけると、カサンドラさんたちは会話をやめて僕の方をみた。
「あら、イリエルちゃん。村長とのお話は終わったの?」
「はい。ちょうどさっき行ってきたところです」
「ということは、時間はあるかしら?」
僕がコクリと頷くと、
「よかった! やることがいっぱいあるから、イリエルちゃんにも手伝ってもらうわよ!」
「あの……それはいいんですけど、そもそも何かあるんでしょうか?」
カサンドラさんはうふふ、と嬉しそうに笑いながら、
「ウスラくんが帰ってきたんだから、お祝いをしなきゃでしょ?」
○○○
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