14話 『記憶の塵 二』
僕がこの村――エンリ村に紛れ込んで、二日が経った。
村長にしばらくこの村に滞在していいか頼んでみたら、二つ返事に許可してくれて、しかも空き家まで用意してもらえたので、そこで寝泊まりをしている。
これほど自然に、都合よく村に紛れ込めたのは初めての経験かもだ。いつもなら一度や二度くらいは力を使うものだけど、今回は一度も力を使ってない。
……とはいえ。
僕はそよ風に揺れる緑の麦穂を眺めつつ……ため息をついた。
……せっかく自然に紛れ込めたとはいえ、二日目にしてかなりエンリ村にも飽きてきた。
昨日、今日と、エンリ村をぶらぶらと歩いてみたけれど、特徴のないよくある田舎村――というのが、僕のエンリ村に対する印象だ。
育ててる作物が違うだけで、華の田舎村と大して違いがない。エンリ村にも閉鎖的な社会が広がっていて、変化のない日常がひたすらに流れている。
旅を始めた当初ならこれでも新鮮に感じたのかもしれないけど、今の僕にはちょっと物足りない。
「……そろそろかな」
それなりの気分転換にはなったと思う。今日か明日くらいに出て行って……そうだな、次は大きめの街を目指そうかな。街道に出て、馬車に乗って移動してみるのも面白そう――
「なあ」
声をかけられて、僕は足を止めた。
振り返るとウスラがいた。会うのは二日ぶりだ。
あの後ウスラは村長にこっぴどく絞られて、自宅にずっと監禁されていた。罰として絶食させられてたせいで少しだけ頬がこけてるけど、目は爛々と輝いている。
「お前、俺と同い年なんだろ?」
「みたいだね」
本当は百倍以上生きてるけど。
ウスラはジロジロと僕のことを頭の先っぽからつま先まで見て、
「どうしてそんなに強いんだ? 筋肉もなくて、そんなに細いのに。しかも女だし」
「力があればいいってものじゃないでしょ。僕が力を使わなくても、相手の力を使えばいいんだよ」
「相手の力……」
ウスラは呟いて、
「その技は、お前くらい若くても身につけられるものなのか? お前の故郷では皆使えるのか? それとも、お前だけなのか?」
「さあ、どうだろうね? それより、さっきからお前お前って、気になるんだけど」
「……じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」
「イリエル様でいいよ」
ウスラは変な顔をした。
『声』を聞けば何を考えてるか分かるけど、そんな無粋なことはしない。分かってないことが多い方が、楽しいからね。
「……イリエル様のように相手の力を使うのは、誰でもできるのか?」
「そんなに難しいことじゃないよ。相手の動きをよく見て、それに合わせるだけだから」
「俺にもできるのか?」
「できるんじゃない? たぶん」
僕は適当に答えた。
正直なところ、すでに意識はウスラに向いていなかった。僕の意識は次の街に向かっていた。
だから、ウスラが僕に向かって頭を下げた時、僕は一瞬困惑した。
「頼む、俺に剣の扱いを教えてくれ」
「……剣の扱いって、お父さんに教えてもらってるじゃないか」
「ああ。けど、父上のはダメだ。魔物と向かいあって初めて分かった。父上の剣じゃ、俺の体が成長するまで強くなれない。俺は早く強くなりたいんだ」
ウスラは力強い瞳で僕を見つめた。
「強くなりたいって、強くなってどうするの?」
「もちろん、一緒に討伐に参加して、エンリ村を守るんだ」
……守る、か。
僕は周りへと――麦穂の並ぶ長閑な景色へと目を向けて、
「よく分からないけど、それってそんなに大事なことなの? 死にかけたのに、それでもまた魔物と戦いたいの?」
ウスラはムッとした顔をして、
「当然だろ。俺はこの村の領主の息子だ。あと十年もしたら父上の後を継ぐ。俺にはエンリ村を守る責務がある」
「ふーん、そう」
責務だの義務だの、そういったことを大事にするヒトは昔からいるけど、何にそんなに拘ってるのか分からない。
たった百年そこそこのちっぽけな命、せっかくなら精一杯楽しめばいいのに。
「どうせ暇だし、教えても構わないけど……それで早死しても、僕は知らないよ」
○○○
ドサリ、という音が聞こえた。裸になった木の枝から、雪の塊が落ちた音だ。
何となしに音が聞こえた方向に目を向けた時――ふと、思った。
……あれ? 僕って、どうしてまだこの村にいるんだろう?
僕がエンリ村にやって来たのは去年の夏前だから、一年と半分の時間が過ぎたことになる。
僕は早々にエンリ村に飽きて、さっさと別の街に行こうと思ってたはずなのに……。
まあ、別に目的があるわけでもないし、僕には有り余るほどの時間がある。数十年経とうと構わないっちゃあ構わないんだけど……。
「イリエル」
見ると、ウスラがこちらに歩いて来ていた。
「どうした? ぼーっとして」
「いや。エンリ村に来て、けっこう時間が経ったなぁと思って」
「そうか? 俺としてはむしろ、イリエルと会ってまだ少ししか経ってないのが信じられないくらいだぞ。もう、何年も経ったような気がする」
笑顔を浮かべるウスラは、確かに何年も経ったかのように見た目が大きく変わっていた。
去年の夏以降、いきなりウスラはぐんぐんと成長し始めて、会った時は僕と大して変わらない身長だったのが、二十セン近くウスラの方が大きくなってしまった。
そんなウスラの顔を見上げながら、
「……思うんだけど」
「ん?」
白い息を一つ挟んで、僕は続けた。
「そろそろエンリ村を出ようかなって」
「……っ」
ウスラの顔が笑顔のまま固まった。
「考えてみれば、もうこの村にいる理由がないんだよ。ウスラだって、無事に討伐に参加できるようになったし」
「いや、しかし――イリエルがいなくなると、その、困るっ!」
「困るって、なんで?」
僕が首を傾げると、ウスラは慌てた様子で、
「イリエルが討伐に参加してくれるおかげで、助かってるから……いなくなってしまうと……」
「そんなことないよ。サルマンさんとかノイマンさんがいればこの辺りの魔物は充分倒せるし、それにウスラがいるでしょ? ウスラがエンリ村を守るんじゃなかったの?」
僕が少しイジワルに聞くと、ウスラは途端に勢いを失って、
「それは、そうだが……」
「そもそも僕は旅人だ。いつまでもここにいるわけにはいかないよ」
本当は少しだけ、この村に残ろうかなとも思った。最初は退屈な村だと思ったけど、慣れてしまえばそれほど居心地も悪くない。
けど……たぶん、僕の性格からして、いったんここに留まることにしたらそのまま居つくことになりそうな気がする。
それじゃあ、わざわざ華を出てきた意味がない。
「……いつ、出て行くつもりなんだ?」
「そうだね……ズルズル引き伸ばしても仕方ないし、出るならすぐかな。数日内には出ようかと思うよ」
何日かあれば、僕が住まわせてもらってる家の整理もできるだろう。それと、村のヒトたちに挨拶もしないと。
「俺も付いて行く」
口を引き結んでいたウスラが、いきなりそんなことを言った。意味がよく分からなくて、僕はウスラの青い瞳を見つめ返した。
「俺も、イリエルと一緒に旅に出たい」
ウスラの頬はうっすらと赤く染まっていた。寒さのせいでもともと少しだけ赤みを帯びていたけど……
「旅に出たいって……ウスラが、僕と?」
「そうだ」
「でも、ウスラが僕と一緒に来て、それでエンリ村はどうするのさ」
「俺の代わりはいる。俺にもしものことがあった時は、近くの貴族の子が継ぐことになってるから……俺がいなくなってもエンリ村は大丈夫だ」
ウスラは顔を引き締めて、
「でも、イリエルはイリエルしかいない。俺は、イリエルと一緒にいたい」
「……どうして、僕と一緒にいたいの?」
「それは、俺が――」
続けようとしたウスラの唇を、僕は指先で押さえた。熱い感触が、指先を通じて伝わってくる。
「前にウスラは言ってたよね。ウスラには、エンリ村を守る責務があるって。死ぬかもしれなくても、それでもエンリ村を守りたいって。……ウスラの今の気持ちは、その時の気持ちよりも大事な物なの?」
唇から指を離すと、ウスラはどこか熱を持った瞳をして、
「ああ。俺は、自分の気持ちに嘘をつきたくない」
「そう、そっか……」
……長い間生きてきたけど、こうやって告白されるのは初めての経験だ。華での僕は、どちらかと言うと畏れられる存在だったから。
もちろん、ウスラの告白に気持ちを動かされたりはしない。僕とウスラでは生きてきた時間が全く違う。こうやって話すことができて、対等に接しているように見えても、僕にとってのウスラは老人にとっての赤子――いや、それ以上の違いがある。
そして、それ以前に――
「ごめん」
僕がそう言うと……ウスラは何かを飲み込むように目を閉じた。
そんなウスラの様子を見て、僕はほんの少しだけ申し訳ないような気持ちがした。だから、ウスラを慰めるつもりで、
「ウスラの今の気持ちは、気の迷いみたいな物だよ。ウスラにはウスラの人生があるんだから、僕のことなんて忘れて――」
「イリエル、止めてくれ」
ウスラは眉間に皺を寄せていた。
「そんな簡単に忘れられるわけがないだろ。俺が、イリエルのことを」
言い返そうとしたけど、ウスラの目を見て止めた。これ以上言っても、ウスラを怒らせるだけだ。それに、言ったところで理解できないだろう。
僕は、白い息をはき出して、
「明後日、エンリ村を出るよ。そしたら、ウスラとはさよならだ」
○○○
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