13話 『記憶の塵 一』
何か特別なきっかけがあったわけじゃない。
黒狼殿の窓から空を眺めていた。
どこまでも透き通った、青い空。
それを見てーーふと、変わらないんだなと思った。
僕がこの土地に留まって、ヒトと共に暮らすようになって、千年近くが経った。
たまたま一度だけ、気が向いた時にヒトを助けた。そしたらヒトたちはすごく感謝して、僕を祀りあげた。
祀りあげられるのはそれほど悪い気もしなかったし、この土地に住んでるヒトたちの力が流れ込むようになったから、僕は打算的に留まることにした。
それからズルズルと……千年が経った。
それだけ長いーー僕からしても長い時間が経っても、何も変わらない。
空の色も、ヒトも、僕も。
せいぜい、ヒトの数が増えたくらいだろうか?
たぶん、今からさらに千年経っても、二千年経っても、何も変わらない。
ーーそう思った時、僕はどうにも言えない気持ちになった。
この土地で、ヒトの力を吸い取りながら微睡むのは、それでなかなか気分がいい。けれど、微睡みが永遠に続くとなると……それが悪いというわけではないけれど、それでいいとも思えなかった。
だから僕は、久しぶりに旅に出ることにした。
ーー
鴻狼を出たはいいものの、特に目的地なんてなかった。何となく遠くに行ってみようかなと思っただけなので、計画なんてあるわけもない。
取りあえず、どっちに向かうか考えないといけないけど……。
まず、東は論外だ。すぐに海に突き当たるし、それを越えても弧帝がいる。わざわざ自分から弧帝のもとに行くような趣味はない。
南は、暑いのは嫌いだから却下。
北に向かっても、ただ氷と岩が広がってるだけだ。もしかしたらその先に何かあるのかもしれないけど……何もなかったら、がっくり来てしまう。
西は、聖女さんが陣取ってる。
ーーそういえば。
すっかり忘れてたけど、数百年前に聖女が僕のもとまでやって来て、うだうだ言ってたな。確か、今いる土地から動かないように、とか何とか。興味がなかったから適当に返事しといたけど……僕が西に向かうと聖女が怒るかもしれないな。
「……うーん」
少しの間、考えてーー僕は西に向かうことにした。
考えてみたら、聖女がどう思おうが僕には関係ない。気を遣うなんて馬鹿げてる。
問題は聖女さんの後ろにいる魔物だけど……まあ、そっちが出張ってくるなら、僕もせいぜい抵抗しよう。それで消滅させられるにしても、それなりに楽しい最期とは言えるだろう。
ーー
そして、僕は西に向かった。
別に急ぐ旅でもないので、真っ直ぐ西に向かったわけじゃない。だいたい西に向かう感じで、気の赴くままにうろうろした。
ヒトの姿で街道に沿って歩くこともあれば、元の姿でひたすら野山を駆けたり、或いは気が向いた時は人里で何日か過ごしてみたり。
それでも、少しずつ西に向かってーー気づいたら、これまで一度も来たことがないほど遠くまで来ていた。
鴻狼を出てから大した時間は経っていない。季節が何度か巡る程度の時間だ。
たったそれだけの、それこそ瞬きするほどの短い時間で、僕は知らない世界を知った。見たことのない建物、見たことのない動植物、見たことのないヒト。
新鮮だった。鴻狼を出てきたのは正解だったと思った。
味をしめて、僕はひたすら西へと走った。
○○○
僕は森の中を走っていた。
ヒトの目がないから、本来の姿ーー狼の姿で走っていた。
森の中は枝木が茂ってるけれど、僕がやって来ると向こうから気を利かせて、道を開けてくれる。
そうやってできた枝木の洞窟の中を、僕はすり抜けるようにして走っていた。
「……ん?」
進行方向に気配がある。
樹木や動物の気配はもっと微弱だから、おそらく魔物かヒトの気配。意識を向けてみると、
『ーーくそっ! こんなつもりじゃ……』
そんな『声』が聞こえてきた。どうやらヒトだったらしい。
道を逸れて回避しようかとも思ったけど……そういえば、しばらく移動しっぱなしだ。ここらで少し足を止めてもいいだろう。
そう思って、僕はそのまま真っ直ぐ進むことにした。混乱させないように、姿をヒトの物に戻しておく。
何度かヒトの村を訪れて分かったんだけど、男の姿よりも女の姿の方が印象がいいらしい。加えて、大人よりも子どもの方が受け入れられやすい。そういうわけで、ここ最近は好んで少女の見た目をとることにしていた。
少女になった僕は、少し湿った土を踏みしめながら、気配の出どころへと向かう。大した距離じゃない。せいぜいが百メル程度。
目的地に近づくと、獣の唸り声が聞こえた。
「来るなら来いっ! 俺はこんなところで死ぬつもりはーーくっ!?」
金属同士がぶつかる音がした。
どうやら、取り込み中らしい。
僕がそう状況を把握した時、樹木の向こうに声の主の姿が見えた。
まだ幼い、金髪の少年が立っている。その少年に向かい合って、小さめの牛のような魔物が、鼻息荒く少年を睨んでいた。
少年は気丈な態度を保っているが、青い瞳の奥には怯えが見える。
それも仕方がないだろう。
少年の足元には剣が落ちていた。右手から血が垂れてるのを見るに、さっきの交錯で右手を負傷して取り落としたのだと思う。
対して、牛の側に目立った傷は見当たらない。興奮してるみたいで、今にも少年に襲いかかりそうな様子だ。
ひとたび牛が襲い掛かれば、少年には抵抗する術がない。そのまま殺されるだろう。
「……」
僕は牛と少年を交互に見た。
僕としては、少年を助けたい。彼に村に入れてもらうのが一番自然だし、自然ということは力をあまり使わなくても済む。
あまり頻繁に力を使ってしまうと、聖女さんに僕の存在を悟られて面倒なことになりかねないからね。力を使うにしても、控えるに越したことはない。
かといって、牛を相手するのも面倒くさい。
魔物には魔素を追い求める本能があるから、僕はすごく美味しそうに見えるだろう。それでも上級の魔物なら理性があるから勝手に消えてくれる。でも、低級には理性がない。
となると、力業で排除するしかなくて……力業に頼るなんて、久しぶりすぎてあまり気が乗らない。
そうやって僕が悩んでる間に、牛は意を決したらしい。鼻息荒く少年に向かって突進するーー。
「ーー」
地面に落ちていた少年の剣を手に持った僕は、牛の魔物が魔素に変化するのを確認してから少年に目を向けた。
少年は呆然とした表情で目を見開いていて、
「お前は……」
そう呟いたところでフラリと身体を揺らした。そのまま、パタリと地面に倒れてしまう。
「……あれ?」
もしかして死んじゃった?
少し慌てながら少年の傍に屈む。呼吸と脈拍を確認してみると……生きてるみたいだ。おそらく、単に気絶してるだけだろう。
よかった。この子が死んでしまったら、わざわざ出てきたかいがない。
ほっと胸を撫で下ろして……そして、僕はようやく気づいた。
元々、この子に村まで案内してもらう予定だったのに、気絶したら案内してもらいようがない。まあ別に僕一人で向かってもそれはそれでいいんだけど……この子をここに置いていくわけにもいかないし……。
ーー
ニキルほど歩くと村に出た。畑の中に、ポツリ、ポツリ、と木製の家が建っている。
畑と畑の間の細い道を歩いていると、畑の中で作業をしていた中年の男が僕たちの存在に気づいた。僕の顔を見て首を傾げた直後、僕が背負っている少年に目を向ける。
男は血相を変えて、
「どうしたっ! 嬢ちゃん、なんでっ……」
「大丈夫ですよ、気絶してるだけですから。森の中で魔物に襲われていたので連れて来ました」
走り寄ってくる男に向かって微笑みかけると、
「そ、そうか。ともかく、俺は人を呼んでくるからーーいや、やっぱり嬢ちゃんも付いてきてくれるか?」
男は僕に背中を向けると、
「俺が背負うよ。嬢ちゃん、ここまでありがとうな。重かっただろ」
「いえ、それほどでも」
僕のこたえに、男は目を瞬かせた。
「……嬢ちゃん、腕が細いのに力持ちなんだな。汗一つかいてねぇし。でも、なんだ。嬢ちゃんがウスラを背負ってる隣で俺が手ぶらじゃぁ……人の目もあるしな。俺に運ばせてくれ」
ーー
僕と男ーーノイマンが村を歩いていると、幾人かの村人が話しかけてきた。
まず、見知らない僕に対して興味津々。次いで、ノイマンに背負われてるウスラに気づいて驚愕。どうしたのかと聞いてくる村人に、ノイマンが「急いでるから」と返すーーというくだりを何度も繰り返した。
村人をぞろぞろと引き連れて、僕とノイマンが村長宅にたどり着いた時、すでに僕たちが来てるのを聞いてた村長と、噂を聞きつけてやってきた村人たちが、家の前で僕たちを出迎えていた。
村長は三十前後の年齢相応の見た目。眼光は鋭く、腰には剣を提げている。
チラリと僕を見た後に、ノイマンに目を向けて、
「ノイマン。これはどういうことだ?」
「いえ……俺も正直よく分かってないんすが、農作業をしてたらこの子がウスラを背負って歩いてたもんで、しかも血も出てるし、仰天して声をかけたんです。気絶してるだけみてぇですが、取りあえず連れてきました」
説明しながらノイマンは背中からウスラを下ろした。ノイマンの腕の中で眠るウスラを、村長はジッと見下ろして、
「それで……君は、何者かね?」
眼光を少し弱めて、村長は僕に目を向けた。
「僕はーー」
いつもなら、両親と旅をしてる最中に賊に襲われて、命からがら逃げてきたーー的な作り話をするんだけど、今回はそれだと都合が悪い。
ウスラに、僕が魔物を倒すところを見られちゃってるからね。訓練も受けてないただの子どもが魔物を倒すなんて、不自然すぎる。
というわけで、僕は村長へと意識を向けた。ちょっとだけ力を解除して、村長の『声』に聞き耳を立てると、
『こんな小さな子ども、しかも女が、一人でこのような辺境にいる理由は何だ? 見るに、ここらの人間ではない。となると、遠くから来た? 異邦の地ではそういうものなのか?』
「ーー遠くの国から旅をしている最中で」
「旅……一人でかな?」
「はい。私の一族では、一人で旅をして帰ってくることで、一人前だと認められるんです」
「ふむ、そうか。まだ若いのに立派だな。ちなみに、年齢を聞いても?」
「今年で十になります」
村長は頷いて、
「そうか。ということは、こいつと同い年だ。君に及ばぬ愚息で、そのくせ自信過剰の厄介な性分をしていてな……事情は見当が付いてるが、ことの経緯を聞いても構わないかね?」
経緯と言うほど長い話でもない。
村長に手短に説明し終わった時ーー
「ん……んん……」
ノイマンの腕の中でウスラが唸った。全員が注目する中、ウスラはゆっくりとまぶたを開けて、
「……あ? と……てっ!?」
状況がよく分かっていない顔で右腕を動かそうとして、痛みで顔を顰めた。
そんなウスラを冷たい目で見下ろしながら、
「ウスラ」
村長が一言呟いた。
ウスラはビクリと肩を震わせて、
「父上……」
「ウスラ。事情は全て聞いたぞ。森の中で魔物と戦っていたそうだな?」
ウスラの目が泳いだ。
「どうして、森の中にいた?」
「いえ、それはーー」
「どうして、森の中にいた?」
「……一人で魔物を倒せば、討伐に連れて行ってもらえると思って」
静まりかえった空間に……村長のため息だけが、やけに大きく響いた。
「よろしい。よく分かった。ひとまず、家の中に入っていなさい。ーーさて」
村長は集まっている村人に目を向けて、
「皆は各自の仕事に戻ってくれ。騒がせてすまなかった」
ーー
村人たちが解散し始めたのを確認して、村長は僕の方を向いた。村長は何かを言おうと口を開きかけて、
「……そういえばまだ名前を聞いていなかったな」
「イリエルといいます」
「うむ、イリエル殿。倅が世話になった、感謝する」
村長は頭を下げた。
「いえ、大したことはしていませんから」
「大したことあるとも。何せ、倅の命の恩人だからな。あんなのでも、いなくては困るのだ」
村長は自宅の方を向いて、小さく頭を振った。それから、再び僕の方を向いて、
「ついては、感謝の印にもてなしをしたいと思うのだが……時間はあるかね?」
○○○
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