16話 『奪嫁の儀式』
ラインハルトが
今の時刻が正午過ぎ。本来なら、この後シエタ領を見学させてもらってから、『奪嫁の儀式』を執り行う予定だったのだが、父上の判断で変更となった。
一泊から日帰りに変更になったので、のんびり見学する時間が無くなってしまったのだ。
父上は口に出して言うことは無かったが、ラインハルトと同じ屋根の下で、イーナに一晩過ごさせたくなかったのだろう。もちろん、俺も同感だ。
向こうの村長は、こちらの無理な要求を受け止めてくれた。
村長さんは今、『奪嫁の儀式』を執り行うことを、村人たちに知らせに行ってくれている。
開始は一刻後。少しだけ時間があったので、俺はシエタ村を散歩していた。
村の様子は、エンリ領と大して変わらない。
村全体の面積こそシエタ領の方が大きいが、地理的に近いので、一年を通しての気候は同じ。育てる作物も同じだ。
そこから得られる実りも、村人一人換算したら大差ない。当然、似たような生活となる。
俺が向かうのと逆向き、村長宅に向かう村人と、時々すれ違う。
こんな片田舎には、娯楽が少ない。領主の娘が嫁ぐ時にしか見られないイベントなんて、絶対に見逃せないだろう。
この様子だと、村人の大半が詰めかけることになりそうだ。
そんな観衆に注目されることを思うと、今のうちから胃が痛い。
――
村をフラフラして村長宅に帰ってくると、数十人の村人が、村長宅の前の小広場に集まっていた。
ガヤガヤと、雑多な雰囲気が生まれている。
ラインハルトは……いない。
彼は食事を終了するなり「じゃあ僕は、身体を温めてくるよ」とイーナに言って、どこかに消えてしまった。まだ帰ってきてないようだ。
そうこうしてるうちに、幾人かの村人が俺の存在に気付いた。
好奇の視線を向けながら、隣の人とコソコソ話している。
話しかけられるのも嫌なので、俺は村長宅の裏手に回ることにした。
しばらく物陰にでも隠れとこうと思ったんだけど……先客がいるようだ。気配を感じる。
引き返す選択肢も頭を過ったが……知ってる人物の後ろ姿が見えて、俺はそのまま進むことにした。
「こんなところで、どうしたんですか?」
背中に声をかけると、ミーシャさんはビクッと肩を跳ねさせて振り返った。
まさか俺だとは思ってなかったみたいで、二重の驚きに目をまん丸にしている。
「……あ、アルさん」
そう呟いたミーシャさんは……よくよく見ると、顔色が悪い。血の気が引いている。
「大丈夫ですか? 体調があまりよくなさそうですけど……」
「いえ、私は……」
おどおどしていたミーシャさんは、意を決したように服の胸元を握った。
力のこもった瞳で、俺のことを見つめてくる。
「あ、あの、アルさん!」
「……な、なんでしょうか」
「『奪嫁の儀式』、棄権してくれませんか?」
俺は困惑しつつ、ミーシャさんのツリ目を見返していた。
……棄権?
『奪嫁の儀式』は長い伝統を持つ。
王国法に明文化こそされていないが、暗黙の了解として、王国貴族が婚姻をする時には、必ず行う必要がある。
それを棄権しろってことは、つまり――
「……ミーシャさんは、僕との結婚が嫌なんですか?」
それくらいしか、考えられない。
エンリ村で、同年代の女子たちにされた仕打ちの記憶が、頭をかすめる。
苦いものが口の中に広がりそうになったところで、ミーシャさんは目を見開いた。
「い、いえ、そんなことないです! アルさんは優しいですし、嫌だなんてそんな……」
そこまで言ったミーシャさんは、頬を赤らめながら俯いてしまった。
ぼんやりと、ミーシャさんを見つめていた俺は、ふと我に返った。
「……なら、どうして棄権してくれと?」
「アルさんにっ、怪我をしてほしくないからですっ!」
ミーシャさんは勢いよく顔を上げた。大きな胸元に、両拳を握りしめている。
「兄様――ラインハルトは、あんなのですが……強いというのは本当なんです。
物心が付いて数年もすれば、父様では敵わなくなって、今ではシエタ領だけでなく、付近の中でも一番の腕前です。
もちろん、アルさんもかなりの腕利きだと、父様から聞いてますが……」
最後の部分をミーシャさんはぼやかした。
まあ、内気なミーシャさんには、ハッキリとは言いづらいだろう。
うーん、でもな……。
正直、ラインハルトに負ける気はしないんだよな。
たしかに筋肉はすごいけど。それは認める。
それに――
俺はミーシャさんを見つめながら、キメ顔で言った。
「ミーシャさん。心配してくれるのは嬉しいけど、棄権はしません。ラインハルトさんに勝って、ミーシャさんを――」
「兄さん」
突然差し込まれた声で、俺は言葉を止めた。
……あぶない。
危うく、痛々しい台詞を吐くところだった。
ちょっとばかし、空気に酔っていたのかもしれない。
家の陰から姿を現したイーナは、小走りで俺の近くまで寄ってきた。
俺の右腕を両手で掴んで、チラリとミーシャさんに視線を向ける。
同時、ミーシャさんが怯えるように身をすくめた。
……二人の様子に、若干の違和感を覚えていると、イーナは俺に笑顔を向けてきた。
「兄さん、もうそろそろ始まるみたいですよ。早く、行きましょ?」
「あ、ああ……」
ぐいっ、ぐいっ、とイーナに腕を引っ張られて、広場へと引き出される。
……ついさっき見た時よりも、村人の数が増えてるな。
人垣で半径十メートルくらいの円ができてるんだけど、その円の一箇所は割れていて、視力検査の輪っかみたいになっている。
群衆に好奇の視線を注がれつつ、その割れ目のところへと向かう。
そこには、父上と村長さん、母上に村長の奥さん、そして――
「やあ、アルくん。ちゃんと身体を動かしてきたかい?」
なぜか上半身裸のラインハルトがいた。
シックスパックの溝を、汗が流れ落ちている。ぶっとい右腕には、二本の木剣。
「はい、これアルくんの」
そのうちの一本を、ラインハルトが放ってきた。
少しイラッとしながら俺が木剣を受け取った時、ラインハルトの目は、既に俺に向いていなかった。
イーナに、熱い眼差しを向けている。
「イーナちゃん! 僕のこと、見ててね!」
ここに集まってる全員に聞こえるボリュームで叫ぶと、ラインハルトは円の中心に向かった。
ラインハルトに続いて、俺も円の中心へ向かおうとすると――
「兄さんっ! 私、兄さんだけを見てますから!」
ラインハルトに負けず劣らず大きな声で、イーナが叫んだ。
……シエタ領の人たちの生暖かい視線と、ラインハルトの怨念のこもった視線を一身に受けながら、俺は円の中心へと向かった。
いざ本番となると、心は落ち着いている。
人の視線は得意ではないけど、今は気にならない。観衆のわずかなざわめきは、既に意識の外だ。
視界に映るのは、いけ好かない笑顔を浮かべた、肌色面積の広いマッチョだけ。
「ふーん。てっきり軟弱な小枝だと思ってたけど、そんな目もできるんだね」
マッチョはそう言って、木剣を両手で上段に構えた。
珍しい形だ。
よっぽど自分に自信が無いとできない。敵に無防備な胴体を晒すのだから。けど、そのリスクを背負う代わりに、破壊力は抜群。
対して俺は中段に構えた。
一番基本の、父上やロンデルさんに教えられてきた構え方。攻守のバランスが一番いい。剣先をちょうど視線の高さに揃えて……木剣を完全に静止させる。
――合図は無かった。
ラインハルトが木剣を振り下ろした。
大きな体格を生かして、一歩で距離が潰された。
脳天に剣先が迫っている。
その光景を、俺はしっかりと目に捉えていた。
……こいつ、なんで一発で決めにきてるんだろう?
純粋な疑問が頭に浮かんだ。
『奪嫁の儀式』は村人の娯楽も兼ねている。だから、しばらくチャンバラで盛り上げ……機を見て決着、っていうのが流れだ。
一発で終わってしまったら、見ている方は面白くも何ともない。
……というか、決めるどころか完全に殺りにきてるし。いくら何でも頭に血が上りすぎだろ。
ラインハルトの剣先は、残像で霞んでいる。相応のスピードとエネルギーがこもってるはずだ。
馬鹿正直に受け止める必要もない。とりあえず後ろに避け――
「――ッ!?」
足が動かない。
足首を、何かに掴まれている。
目で見て確認する余裕はない。
眼前には、風切り音をあげる木剣。
このままだと、顔面を潰される。
――と、その時。
剣のスピードが、明らかに緩むのが分かった。
……俺に大怪我をさせないようにという配慮か?
馬鹿にしやがって……。
ラインハルトの木剣を剣先で受け止めると、俺は慎重に手首を捻った。
ラインハルトが驚いた表情をしている。
俺を叩き切ろうとしたら、勝手に木剣が滑っていくからだろう。
たぶん、油の上でも滑ってるような感覚を味わってるはずだ。
全ての力をいなされたラインハルトは、思いっきりバランスを崩した。
「うおッ!?」
野太い声を上げて、無防備に背中を向けてくる。
本当なら、このまますっ転んで、もっと無様なことになってたはずだ。
だが、最後の瞬間に手を抜いたことが、逆に幸いしたらしい。
すんでのところで踏ん張ることに成功している。
とはいえ、今の隙がありまくりのラインハルトになら、一発叩き込むことは簡単だ。
頭をポカリで終了、してもいいんだけど……まだ盛り上がりに欠けるな。
結局、俺はラインハルトに追撃しないことにした。
代わりに、自分の足元に目を向けた。
……なんだこれ? 真っ黒な……手?
足元の影の中から、変なものが飛び出していた。
それが、俺の足首を掴んでいる。
唖然と見ていると、黒い手は突如として
「……なかなか、やるね」
顔を上げると、唇を歪めたラインハルトが俺のことを睨んでいた。
「ありがとうございます。ところで……僕のお義兄さんの本気は、こんなもんじゃないですよね?」
「……もちろんだよ。僕の本気を味わわせてあげる。骨身に染みるまでね」
――
「……参りました」
泥だらけで地面に尻餅をついているラインハルトが、呟くように言った。
小さな声だったが、物音一つない中では良く響く。
無傷の俺が、ラインハルトの首元に添えていた木剣を引くと――
「大丈夫かっ、ラインハルト!!」
叫びながら村長さんが駆け寄ってきた。
肩を貸そうとする村長さんの腕を、ラインハルトは振り払った。
「大した事ないから」
自分の力で立ち上がろうとして、ラインハルトは顔をしかめて動きを止めた。
ヨロヨロと、額に汗をかきながら立ち上がろうとする姿を見ながら……俺は内心焦っていた。
……ちょっと、やり過ぎたかも。
ラインハルトは、今まで戦ってきた誰よりも強敵だった。
言動はチャラチャラしてるが、剣筋からは、これまで積み重ねてきた努力が透けて見えた。
加えて、ラインハルトにはフィジカルの強さも備わっている。あの筋肉は見掛け倒しではない。
太い腕から繰り出される一撃は、まともに食らったら一発でアウトのエネルギーを持っていた。
そして……あの、黒い手だ。
黒い手自体に攻撃力はほとんどないが、ふとした瞬間に現れて足首を掴んだり、引っ掛けてきたりする。
地味な攻撃だが……あれのせいで、何度ヒヤッとさせられたことか。
――楽しかった。
ラインハルトとの戦闘を思い出しながら、思わず笑みが溢れそうになるのを堪える。
今の状況で笑ってたら完全にヤバい人だ。必死で、真面目な表情を顔に貼り付ける。
……というか、我ながら複雑な心境だ。
ラインハルトをこんなにボロボロにするほど、戦闘に夢中になるなんて……どこの戦闘狂だよ。俺らしくもない。
昔はこうじゃなかった。
前までは、毎日嫌というほど魔物を相手にしていたし、なにより、父上やロンデルさんと模擬戦をできてたから、不満なんてなかった。
だけど……最近はどうにも不満が溜まりがちだった。
というのも、父上に余裕で勝てるようになってしまったからだ。
俺にも全く原因が分からないが……なぜか、ロンデルさんがいなくなったあの日を境に、俺の身体は変わってしまった。
集中したら、どんなものでもスローモーションに見える。
遠くの会話の内容まで明瞭に聞こえる。
あと、パワーもちょっぴり上がったような気がする。
あれだけ手強かった父上を、片手間で倒せるようになってしまった。
そんなわけで、ずっとモヤモヤしていたところに……ラインハルトが現れた。
今から振り返ってみると、冷や汗が背中を流れた。
確かにラインハルトは手強い相手だった。けれど、客観的には、完全に弱いもの虐めに見えただろう。
……ほら。村人たちの視線、冷たいし。
……何か声をかけた方がいいのかな? 大丈夫、とか?
ちょっとは好感度が上がったり……。
「アル・エンリ」
立ち上がったラインハルトは、真っ直ぐに俺の瞳を見つめながら、俺の名前を呼んだ。
それをきっかけに、俺の金縛りは解けた。
「そ、その……ちょっとやり過ぎました」
「はははっ、君は勝ったんだ。堂々とすればいい!」
清々しく笑ったラインハルトは、右手を差し出してきた。
ゴツゴツした手のひら。
何度も肉刺を作っては血塗れにし、その痛みに耐えてきた人だけが、手に入れることのできる手のひらだ。
硬く手を握り合うと、ラインハルトはニカリと白い歯を見せた。
「妹のことは、任せたよ」
○○○
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