14話 『誰も知らない 後編』



 自宅はヒステリー気味の母上とイーナが占領中。


 ロンデルさんの家には、頭がおかしい父上。


 肝心のロンデルさんは、どこにいるのか分からない。


 行き場を失った俺は、ブルブル震えながら道を歩いていた。


 これが暖かい季節だったら適当にぶらつくこともできたけど、残念ながら今は冬。眠っていた服装でそのまま外に出てきたので、そこそこ寒い。


 前世と違って半袖短パンとかじゃなくて助かった。暖房器具なんてないから、家の中でもそれなりの服装をしていたのだ。


 とはいえ、流石に限界だ。さっさとどこかで暖を取らないと、本当に凍死してしまう。


 そこまで考えて、俺は致命的なことに気が付いた。


 俺が自宅以外で気軽に入れるのは、ロンデルさんの家だけだということだ。というか、他の人の家に行った記憶はほとんどない。


 普段は討伐隊の人と過ごすことが多いけど、年が離れてるから、プライベートで仲良くって感じじゃないしな。


 なら、同年代の子はどうかって言うと……何度か友好関係を築こうとしたことはあるんだけど、上手くいかなかったのだ。


 女たちは俺を見ると逃げていく。男はそこまで露骨な行動はしないけど、変によそよそしい態度を取る。


 彼らにそこまで嫌われることをした意識は無いんだけど……まあいいや。気分が暗くなることは忘れよう。今は、どの家に入れてもらうかという話だ。


 子供がいるところは居心地が悪そうなので、子どもがいない家がいい。


 そうなると、選択肢はかなり絞られる。どの家も一人や二人、子どもがいるからな。


 頭の中で一つ一つバツ印を付けていくと、二つの家が選択肢に残った。


 ひとまず近い方の家を目指して、風が吹きすさぶ中を歩く。


 四半刻後、俺は震える手で扉をノックしていた。


 家の中で人が動く気配がして、カタリと玄関扉が開く。


 中から顔を出したのは、少し皺の増えてきた中年のおばさんだ。


「あら、君は……アルくん。村長さんとこの。突然どうしたの?」


 数ヶ月前、散歩中に少し畑作業を手伝っただけなのに、俺の名前を憶えてくれていたようだ。


 ちなみに、俺はこのおばさんの名前を憶えていない。というか、そもそも前に会った時に名前を聞いてない気がする。


 より一層の言いにくさを感じながら、口を開く。


「あの、色々ありまして……数刻だけ家に置いてもらえないでしょうか?」


 おばさんは困惑した表情を浮かべる。当然だろう。数ヶ月前に一度話しただけの子どもが突然だ。


 だけど、おばさんは俺が抱いていた印象の通り、優しい人だった。


「外は寒いでしょう。とりあえず、中に入りなさい」


 言って、玄関扉を大きく開けてくれた。むわりと、外と比べて暖かい空気が外に流れてくる。


「失礼します」


「はい、いらっしゃい」


 家の中に入ると、椅子に座っているおじさんが、驚いた表情をしながら言った。


「あれ? アルくん、どうしたの?」


「すいません、お邪魔してしまって」


 謝りつつ、手短に事情を説明……しようとしたけど、事実をそのまま説明するのは難しい。


 母上と父上がなんかおかしいから逃げてきました――なんて言ったら、俺がおかしい人になってしまうだろう。


 というわけで、父上に怒られたから家出したことにした。


 子どもを見るような生暖かい視線がむず痒かったけど、説得力はあったらしい。


「なるほど。うん、私たちなら全然構わないわよ」


 おばさんが笑顔で言ってくれる。


「すいません、ありがとうございます」


「いやいや、私たちには子どもができなかったからね。むしろアルくんなら歓迎だよ。寛いでいきなさい。だけど、村長も心配してるだろうから、数刻したら帰るんだよ」


 

 ――



 これまで全く知らなかったんだけど、おじさんの趣味は木工細工らしい。


 俺が今座ってる椅子はおじさんが木から作ったもので、細かな細工の一つ一つをおじさんが手ずから彫ったんだとか。


 そんな他愛のない話で場を暖めてから、俺は満を持して自分が気になっていたことをおじさんに尋ねた。


「いやあ、私も何が起こったのか、分からなかったんだけどね。気が付いたら剣を抜いて突っ立ってたんだよ。他の奴らも私と同じみたいで……互いに顔を見合わせてさ」


 おじさんは温かい紅茶を一口すすってから続けた。


「そんな中、最初に気づいたのはやっぱり村長だったね。アルくんがいないって。

 それで、慌てて皆でアルくんを探したら、少し離れたところにアルくんが倒れてたんだよ。

 それを見つけた瞬間、村長がすごい勢いでアルくんの傍に駆け寄って……で、眠ってるだけだったから一安心。村長がアルくんを背負って、村に帰ってきたってわけだ」


 おじさんの話を、所々で相槌を打ちつつ聞いていた俺は、ひとまず全員の無事を確認できて安堵した。


 結局、俺が気絶してたこと以外には、誰も怪我一つしていないらしい。


 ほっと息をついて、俺は紅茶をすすった。


「――ああ、そういえば。次にアルくんに会った時に、聞いてみようと思ってたんだった」


 おじさんが思い出したように言った。


「アルくんを見つけた時、周りに魔石が三十個くらい落ちてたんだけど、私たちの意識がない間に、魔物の群れと戦ってくれたのかい?」


「いえ、群れとは戦ってないです。ロンデルさんと一緒に、一匹だけ倒しましたけど……」


 そういえば、あの狼の魔物を倒した時、魔石がたくさん散らばったのが見えた。


 魔物一匹には魔石一つのはずだけど……どういうことだ?


 俺と同じことを思ったのか、困惑した表情を浮かべつつ、おじさんは躊躇いがちに口を開いた。


「……ロンデル?」


「あ、はい。ロンデルさんと僕だけ動けたので、二人で」


 おじさんは首を傾げて、真顔で言った。


「それって、誰? ……エンリ村に客人でも来てたっけ?」


「……は?」


 意味が分からず、俺にはおじさんの顔を見つめ返すことしかできなかった。


 おじさんはおじさんで、俺の反応に若干狼狽えている様子だった。


「あれ、変なこと言ったかな? その……ロンデルさんって人、私にはよく分からないんだけど」


「い、いや、ロンデルさんですよ! あの、やたら美男子の!」


 椅子から立ち上がって、机に両手を突く。


 大きな音が出て、おじさん手製の安楽椅子で眠っていたおばさんが、ビクリと肩を震わして目を覚ました。


 キョロキョロと辺りを見回している。


 それを見て、俺は我に返った。


「あ……す、すみません」


「ははっ、突然で驚いたよ」


 おじさんは、微妙に固い笑顔を浮かべていた。


 見ると、机の上ではコップがひっくり返っちゃっている。中身がこぼれて、机の端から床に垂れている。


 謝らないといけない。でも、今はそんなことよりも――もっと、大事なことがあった。


「それで、その……」


 続きが言えない。


 これを確認してしまったら、取返しが付かないような気がして、口の中で言葉を転がす。


 実際はせいぜい数秒だったのかもしれない。


 けれど、俺にとってはかなりの長い時間悩んで……やっとのことで、決心がついた。


「ロンデルさんのこと、本当に覚えてませんか? いつも――昨日も、討伐隊の一員として討伐に参加してたんですけど」


 おじさんは、すぐには質問に答えなかった。


 我ながら馬鹿げた質問だ。


 昨日の今日で、ロンデルさんのことを忘れるなんてありえない。


 俺でもこんな変な質問をされたら、質問してきた人の意図が分からず、答えるのに時間がかかるだろう。


 固唾を飲んで待っていると、おじさんはゆっくりとした口調で言った。


「……ロンデル、って人の名前に覚えはないね」



 ――



 俺は、ロンデルさんの家の前に戻ってきていた。


 父上の姿はどこにもない。


 扉を開けて、中に入る。


 家の中に人の気配はない。

 

 四脚の椅子が並べられている机の脇を通って、二つの扉の前に立つ。


 左がイーナの部屋、右がロンデルさんの部屋だ。


 俺は右側の部屋の扉を開け――ようとして、手を止めた。


 怖かった。


 もし、この扉を開けて……殺風景な、何もない空き部屋が広がっていたら。


 そう思うと、どうしようもなく怖い。


 怖い、けど。


 俺は息を整えて、もう一度扉に触れた。


 軽く押すと、スムーズに扉は開いた。


 ――そこには、いつものロンデルさんの部屋があった。


 記憶とは細部が変わってるけど、大枠は変わらない。


 寝床には、ちゃんと畳まれた毛皮が置いてある。机には、何冊か本が並んでいる。床にはゴミの一つも落ちていない。


 ついさっきロンデルさんがこの部屋から出て行ったと言われても、なんら違和感がない。


 実際、昨日の朝まではそこの寝床で寝ていたはずだ。


 ロンデルさんは、確かにこの部屋にいた。


 それなのに、父上もおじさんも、ロンデルさんの名前に聞き覚えがないと言っている。


 ……いったい、何が起こってるんだ?



 ○○○

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