11話 『雪に溶けて 後編』
「……皆のことは頼んだ、って」
ロンデルさんが消えて行った方向と、固まったままの父上たちを交互に見て、俺は呟いた。
ロンデルさんの意図は理解できる。
動けない父上たちを庇いながら、あの狼を相手するのは難しい。
とはいえ、父上たちだけを放置すれば、別の魔物や獣が襲いに来るかもしれない。
だから、俺を残して自分だけ……。
「くそっ」
そんなわけがない。
そうやって目を逸らすのは、卑怯だ。
さっきの狼。
最初に見たやつほど、絶望的に格が違うようには感じなかった。
けど、絶望的ではないだけだ。
これまで出会ってきたどの魔物よりも、圧倒的に強い。
そんなこと、一目見ただけで分かったし……それに、あの不思議な現象。
姿が消えて、現れた。
瞬間移動?
分からない。
単に、目の錯覚だったのかもしれない。
でも、そうじゃないかもしれない。
本当に、瞬間移動ができるのかも……。
信じられないけど、半分信じざるを得ない。
そもそも、俺だって転生なんてことをしてるんだ。何が起こっても、おかしくない。
もしもあの狼がそんな不思議な力を持ってるなら、単なる戦闘力以上に厄介な相手だってことになる。
そんな相手を、ロンデルさんは一人で引き受けるつもりだ。
楽勝なはずがない。
それに、ロンデルさんは病み上がりだ。本調子とはとても言えない状態で……どう考えても、厳しい。
「起きてください!」
父上の胸を叩く。
けれど、父上は石像のように微動だにしない。
父上が起きてくれさえすれば、俺か父上がロンデルさんの元に駆けつけられるのに。
何度も何度も父上の胸を叩いてるうちに、刻一刻と時間が過ぎ去っていく。
――少しの間離れたところで、大丈夫なんじゃないか?
そんな考えが頭を過ぎる。
今日は二匹の狼以外、魔物や獣に遭遇していない。今だって、獣の鳴き声一つさえ聞こえてこない。
一方で、ロンデルさんは今あいつと戦っているのだ。
来るかも分からない敵に備えて、このままここにいていいのか?
俺と二人なら、あの魔物を倒せるかもしれない。
倒した後に、すぐに戻ってくれば?
――ブンブンと頭を振って、俺はそんな考えを追い払った。
そんなのは希望的観測に過ぎない。
俺がここを離れている間に、父上たちが全員殺されてたらどうする?
そもそも、俺が加わったところで勝てるとも限らない。
俺がここに残れば、ロンデルさん以外が助かる可能性が上がる。
それに、案外いつものように微笑を浮かべて、無事に帰ってくるかもしれないし……。
――
足跡を追いかけると、ちょっと開けた空間に出た。
中央でロンデルさんが剣を構えていて、身を低くした狼がその周りを歩いている。
ロンデルさんはすぐに俺の姿に気付いたようだった。一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、狼への警戒は緩めない。
狼は相変わらずロンデルさんにしか興味がないらしい。角度的に見えてるはずだが、チラリとも視線を向けてこない。
狼が俺の前を通過したらロンデルさんと合流しようと思っていると――狼が進路を変えた。
俺の身体は、咄嗟に芯に染み込んだ動きをした。
ちょうど狼と交錯する時に首を捉えられるように、剣を構える――
目の前に、真っ赤な口があった。
「――ッ!?」
鼻先数センの所に剣を滑り込ませる。
牙が剣身にぶつかると同時、全力で押し返した。
狼の軌道が横に逸れる。
雪の上に降り立った狼は、何事もなかったかのように再び歩き始めた。
……狼の背中を見送りながら、俺は呼吸をすることを思い出した。
動くことはできない。
あと十歩も歩けばロンデルさんと合流できるけど、動けない。
その場に立ち止まったまま、俺は剣を構えた。
心臓が早鐘のように打つのを感じながら、ついさっきの現象を思い出す。
また、同じ現象。
二度目となれば、もう確実だ。錯覚ではない。
どう対処すればいい?
俺には無理――落ち着け。
弱音を吐いても意味がない。
こういう未知の魔物と戦えるように、鍛えてきたんじゃないか。
どんな相手でも、やることは変わらない。
まずは観察。
普通の狼よりも少し大きい。
漆黒の毛並み。
動きは……特に特徴はない。
――そこまで観察したところで、狼が今度はロンデルさんに狙いを付けた。
攻撃方法は単純。飛び掛かって、牙か爪で攻撃する。
狼か野犬と同じだ。数が一匹なだけ、こいつの方が楽かもしれない。
ロンデルさんは俺と同じように、いったん避けてから切りかかる作戦。
けれど、俺よりも洗練された動きだ。微塵の淀みもなく黒狼を回避する。
首筋に剣が滑り込む寸前――やはり、狼が消えた。
新たに出現したのはロンデルさんのすぐ後ろ。
首筋に食らい付こうとしている。
避けられない。
――俺は咄嗟に前に踏み出していた。
十歩の距離を数歩で駆ける。
そのままの勢いでロンデルさんの脇腹に飛びつく。
二人して雪の上を転がって即座に立ち上がる。
狼はちょうど、少し離れた場所に降り立ったところだった。
嗤うように小さく唸って、再びゆっくりとした足取りで歩き始める。
「……助かったよ」
耳元でロンデルさんの声が聞こえた。
俺は狼の動きから目を離さないまま、
「怪我はないですか?」
「うん。ちょっとだけ掠ったけど、大したことはないよ」
そんな声が返ってくる。
俺は安堵の息を漏らしてから、顔を引き締めた。
「ロンデルさん。あの魔物が何をしているか分かりますか? 一瞬で場所が変わってるように見えるんですけど……」
「アルくんの言う通り、一瞬で移動してるんじゃないかな」
ロンデルさんはノンビリとした口調で言った。
……そういうことを聞きたいんじゃない。
ロンデルさんの経験からして、こんな魔物と出会ったことがあるのかとか、どうやって対処したらいいのかとか……そういったものを期待してただけに、微妙にイラッとくる。
「でも、一瞬で移動するんだったら、最初から二匹いると想定して行動すればいいだけだよ。こっちも二人なんだから、そんなに難しいことじゃないしね」
……確かに、そう言われるとそんな気がしてきた。
この狼は、目で追えないほどの速さがあるわけでも、圧倒的な大きさを持っているわけでもない。
ただ、少しタイミングをずらされるだけだ。
そうやって整理してみると、恐れるほどの敵ではないように感じてくる。
最初に見た時は強敵に見えたが、単に精神的なものだったのかもしれない。
実際に相対してみると案外……勝てるかも。
胸の中央に、小さく炎が灯ったような気がした。
こんな魔物さっさと倒そう。
いつものように討伐隊のみんなでエンリ村に帰還して、いつものようにイーナに出迎えられて、いつものように夜には母上の話を聞いて――そんな、夢のような未来図に、胸が膨らむ。
さっそく、俺とロンデルさんは背中合わせに剣を構えた。
こうすれば、どの方向から襲ってきても対応できるはずだ。
ロンデルさんが背中を守ってくれていると思うと、圧倒的な安心感がある。集中するのは前だけでいい。
野性動物と違って魔物は警戒心が弱い、というイメージがあったのだが、こいつはそうでもないらしい。
時折襲い掛かってくるような素振りを見せるが、なかなか襲い掛かって来ない。
ただグルグルと、一定の周期で俺の視界に現れて、消える。
退屈な時間ではない。相手を観察できる貴重な時間だ。
息遣い、気配、視線、匂い、関節、足音、足跡――
いつも以上に、色んな情報を観察する。
すると、何かが引っかかったような気がした。
……もう少しで何か分かる気がする。
それなのに、良いところで狼が邪魔をしてくる。
ロンデルさんよりも、俺に隙があるように見えたらしい。
ジグザグと平面的な動きで迫り、左側から脛を狙って飛びかかってきた――
――かと思ったら、右側。腕に向かって狼が牙を剥いている。
――今度は正面。狼が鼻先に迫っている
捉えきれないほど高速で、狼の位置が変化する。
連続して瞬間移動できるなんて、想定していなかった。
けど、不思議と俺は冷静だった。
慌てることなく、凪のような気持ちで俺は剣を振るっていた。
――振り向きざまに一匹の狼を切り裂く。
断面から吹き出した血飛沫は、雪に落ちる前に白い粒子に変化する。
本体も大量の白粒子を残して溶け消えて――最後に、いくつもの青い魔石が雪の上に散らばった。
「……ロンデルさん?」
誰もいない空間に、俺は呼びかけた。
返事はない。
俺は地面へと目を向けた。地面に積もった雪には足跡が刻まれている。
そこには三つの足跡があった。
一際小さな、狼の足跡。
あれだけ歩きまわってるように見えたのに、狼の足跡はそれほど残っていない。
木の陰から一直線に向かって来る足跡が、数本残されてるだけだ。
それから、二つの人間の足跡。
それぞれ、この場に来る足跡が一本ずつあるだけで、ここからどこかへ行く足跡は一つもない。
……呆然と周りを見渡していると、頭に何かが落ちてきた。
空を仰ぐ。
「……あれ?」
ぐらりと、身体が後ろに傾いた。
雪が積もってるとはいえ、せいぜい一センチ程度。俺は背中を強かに打ち付けた。
……じんわりと痛みが伝わってくる。悶絶しようにも、その気力が湧いてこない。
空から降ってくる大小様々の雪の結晶が、俺の顔の上で溶けていく。
……まだやらないといけないことが残ってる。
ロンデルさんを探さないといけないし、父上たちはまだ硬直したままだ。
それ以前に、こんな所で寝っ転がっていたら、野獣や魔物に殺してくださいと言ってるようなものだ。
全部分かってる。
分かってるけど――
○○○
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