09話 『G』
ロンデルさんのちょうど頭上にある木の枝から、濃緑色のアメーバのようなものが落下してきた。
俺はとっさに剣を抜き、その腹でアメーバをブッ叩いた。
一歩前に踏み込んで、返す剣でアメーバを両断する。
べちゃり、と二つの音を立てて、アメーバは茶色の落ち葉の上に広がった。
剣を構えたまま、二つに分かれたアメーバを注意深く観察する。
不定形の魔物は、両断しただけでは殺すことができない。
というのも、形を持った魔物と違って、多少身体を削られても機能が損なわれないからだ。
今のように二つに分かれても、魔物のエンジンたる魔石を持ってる側は健在だ。
とはいえ、いくら不定形の魔物と言えども、機能を保てる限界の大きさがある。
不定形の魔物を倒すには、その限界が来るまで、地道に身体を削り続けるしかない。
だから、いつでも対応できるように剣を構えていた訳だけど……二つのアメーバは、どちらも微動だにする様子がない。
ひょっとして、俺が油断するのを待っているのか? 俺が近付いた所に、一気に襲いかかるとか?
いや……でも、それだったら知性があるということになる。
知性を持つのは、かなり高位の魔物に限られるはずだ。こんなに弱いはずがない。
「ああ、珍しいね」
ピクリともしないアメーバを前に混乱していると、横から様子を伺っていたロンデルさんが、そんなことを呟いた。
剣を抜いて、無造作にアメーバに近付く。
「ちょ、ちょっとロンデルさん! 危ないですよ!」
「大丈夫、大丈夫」
ロンデルさんの口調は軽く、微塵たりとも警戒しているようには見えない。
……ほんとに大丈夫なんだろうか。
ハラハラと見守る俺の視線の先で、ロンデルさんはアメーバに剣を突き刺した。
そのまま、グリグリと剣先を動かしている。
「おっ、あったね」
ロンデルさんがそんなことを言うと同時に、アメーバが白い粒子に変化した。
緑の魔石を地面から拾って、ロンデルさんが戻って来た。
「はい」
ロンデルさんの手のひらには、魔石が二つ乗っていた。
「あれ? どうして二つあるんですか?」
初めての経験に、俺は驚いていた。
一匹の魔物には一つの魔石。
父上からはずっとそう聞いていたし、実際、これまで倒した魔物は全て、魔石を一つしか持っていなかった。
ロンデルさんの手から一つの魔石を取って、近くで観察してみる。
確かに見慣れた魔石だけど……ちょっと形が不自然だ。
魔石は大抵、球を適当に歪ませた形をしている。
だけど、この魔石には完全に平面の部分がある。まるで――
「アルくんがさっき魔石ごと切っちゃったんだろうね。
魔物からしたら、動けるほど大きくなくて、消滅するほど小さくない魔石を持つことになっちゃったから、あんな感じだったんじゃないかな?」
そう、ちょうど剣で切り裂いたような平面だ。
俺が感心しつつロンデルさんの説明に頷いていると――
「いてっ!」
父上がロンデルさんの頭を叩いた。
「ロンデル! 迂闊な行動をするな! それに、そもそもあの魔物が襲ってきた時、注意が散漫になっていただろう! アルが気付かなければ、どうなっていたか分かっているのか!」
それは俺も気になっていたことだ。
常に警戒を怠らない。そんな初歩的なことは、俺でも徹底している。
なぜなら、怠ればいつか死ぬことになるからだ。
けれど、最近のロンデルさんは、それができていない。
注意散漫だったり、警戒が足りなかったり、とにかく危うい行動が多い。
「……ロンデル、明日は休め」
どうやら、父上も俺と同じ結論に達したらしい。
取り返しのつかない事態になる前に、何とかする必要がある。
とはいえ……ロンデルさんが抜けるとなると、結構キツイな。
魔物が急増し始めて、はや半年。一向に減る気配がない。
ロンデルさんがいなくなったら、戦力は二割減。特に、俺と父上に負担がかかることになる。
――討伐からの帰り道。
ロンデルさんの背中は、いつも以上に折れそうに見えた。
――
今日は討伐だけで一日が終わる予定だったけど、ロンデルさんの件で、予想外の時間ができた。
父上からの指示もないし、久しぶりの自由時間と言える。
ひとまず家を出て、特に目的地もなく歩いていると、足は自然とロンデルさんの家に向かっていた。
どうやら、このルートが身体に染み付いているらしい。
だが、さすがに今日訪ねるのはマズい。ロンデルさんの休養の邪魔をしたくはない。
ロンデルさんの家の前を通過して、そのまま真っすぐ歩く。
このまま進むと北の森に突き当たるルートだ。
ここ数ヶ月はどこも魔物が急増してるけど、特に増え方が顕著なのが北の森だ。
三日に一日は、この道を通って北の森へと討伐に向かう。
北の森の半分の頻度で、東と西の森で交互に討伐している。
……そういえば、村の南側にはあんまり行ってないな。
エンリ村の北東西は森が囲んでいて、南側からは、他領へと続く唯一の道が伸びている。
父上には、領主として外に出る用事がちょこちょこあるけど、俺にそんな用事はない。
最後に村の南へ向かったのは、神官様を出迎えに行った時だ。
それが、三ヶ月前。せっかくだから、今日は散歩がてら行ってみようかな。
――
ぶらぶら村の南側を歩いていると、どこかから女の子の声が聞こえてきた。
目を向けると、倉庫らしき建物の陰に俺と同い年くらいの女の子が集まっている。
女の子たちは輪になるように立っていて、その中央――地べたに正座をしている女の子がいる。
……見なかったことにしようかとも思ったけど、俺はいちおう村長の息子だ。将来は揉め事の解決も俺の仕事になる。
あまり気乗りしないまま近付くと、女の子たちは俺の接近に気付いたようだった。
その内の一人――アリスさんと目が合った。
「ひ、ひぃいいっ!!」
アリスさんはまるで化け物にあったかのような顔をして、悲鳴を上げた。
スカートがめくり上がるのにも構わず、全力疾走で消えていった。
その後ろ姿を唖然としつつ見ていると、アリスさん以外の女の子たちも、引き攣った表情を浮かべながら、各々消えてゆく。
俺と、正座をしている少女の二人だけが、その場にぽつりと残された。
「……あー、大丈夫?」
正座をしている女の子に手を差し伸べる。
女の子は髪の毛をおさげにしていて、そのおさげの輪郭がぼやけて見えるほど、ブルブルと震えていた。
両目からはポタポタと涙が絶えず落ちている。後ろについた両手はギュッと砂を握りしめ、俺の手を取ろうとはしない。
……そんなに怖かったのか。
この子がこんな風になるまで……あいつら、いったい何をやったんだ? この怯え方は異常だ。
少女に同情の眼差しを向けていると……よく見ると、案外かわいいことに気が付いた。
髪型や服装は地味だけど……(青白い)唇は綺麗な弧を描いてるし、(鼻水が垂れてるのには目を閉じて、その少し上に注目すると)鼻筋も通っている。なによりも(カッと見開かれ充血している)目が大きい。
教室にいたら、上位三人には入れる可愛さだ。意識すると、なんだかドキドキしてきた。
ブンブンと頭を振って、雑念を追い払う。
ともかく、この子をここに放置するわけにはいかない。
たぶん、腰が抜けているんだろう。俺が家まで送り届ける必要がある。
俺は少女の正面に移動した。膝を曲げて、腰を下ろす。
「家まで送るから、道を――」
「ぃ、ぃやっ……いやっ」
少女が絞り出すように、初めて声を出した。怯えた顔で、首を左右に振っている。
その様子を見て、硬直した俺の鼻に、刺激臭。
――視線を下に向けると、少女の足と足の間から、湯気が立ち昇っている。
無言で立ち上がった俺は、その場を後にした。
――
おかしい。
さっきまでは晴れてたのに、曇ったんだろうか?
空を見上げてみても、雲一つ見当たらない。やや傾いてきた太陽が、俺のことを照らしている。
視線を前に戻しても、やっぱり世界がくすんで見える。
……さっきの出来事は、世界の見え方を変えてしまうほどに、精神的ダメージが大きかったらしい。
もしも、アリスさんに同じことをされたんだったら……驚きはしただろうけど、ここまでのショックはなかった。
だけど、今日の子は初対面。少なくとも、俺は初めて認識した子だった。
その子まで異常な行動を取るってことは……たぶん、俺に原因があるんだろう。
初対面の相手に嫌がられる理由――自分の顔を右手で触っていると、どこかから、ブツブツと声が聞こえてきた。
足を止めて声の出所を探すと、すぐに見つかった。
村の入り口。それを示す、腰くらいの高さの丸太の傍だ。
そろり、そろりと、足音を立てないようにゆっくりと後ろから近づいてみる。
すると、ブツブツとしか聞こえなかった独り言の内容が、少しだけ聞こえてきた。
「――――無さそう――だけ――――のに――――二つ――――厄介――」
「何が厄介なんだ?」
「きゃッ!?」
声をかけてみると、イーナは可愛い悲鳴を上げた。
肩を跳ね上げ、バッと振り返る。
「あ、アルさん!」
イーナは目を見開き、アワアワと口を開けたり閉じたりしている。
「こんな所で何してるの?」
「な、なに……ええっと……そ、その!」
「その?」
「……ちょっと散歩を」
明らかに、何かごまかそうとしている。
「あ、あの……アルさん、怒ってます?」
「いや、そんな事はないけど」
そう答えると、じーっとイーナが俺の目を見てきた。
どういう意図か分からないけど、自分から逸らしたら負けのような気がして、俺もイーナの目を見つめ返した。
……なんでイーナは、こんなにまつ毛が長いんだろう?
目は当然のようにパッチリしていて、黒い瞳は微妙に涙を張ってキラキラと光っている。
鼻筋はスッと通っていて、唇は綺麗な桜色。
そして、それら全てのパーツが、透き通るような白い肌の上に完璧なバランスで配置されている。
これ以上イーナの顔を見ていたら、敗北感に耐えられそうになかったので、俺は目を逸らした。
イーナも下を向いて、頬に両手を当てている。
……寒いのか?
見ると、指先が赤くなっている。少なくとも、手が冷えるくらいの時間はここに立っていたらしい。
「はあ……。イーナ、風邪とか引いちゃいけないから帰るぞ。家まで送るから」
「えっ……」
俺の声に顔を上げたイーナが、一瞬目を村の外に流す。
その先に何があるのか知らないけど、兄貴分として、イーナが風邪を引くのを黙って見ているわけにはいかない。
右手でイーナの左手を掴む。ひんやりとした、俺と比べて一回り小さい手のひらを握りしめる。
「あっ……」
イーナは小さな声を上げた。
単に、少し驚いただけみたいだ。すぐに、俺の手を握り返してくれる。
何だかそれが嬉しくて、俺はイーナの手を強く握った。
○○○
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