08話 『青春の影』



 父上からの衝撃的な報告を受けた翌日、俺は畑の間を歩いていた。


 これまで、幾度となく通ってきた道だ。あと数分で、見慣れた家が見えてくるだろう。


 ……それにしても、婚約か。


 地方騎士と言えど、いちおうは貴族。将来は政略結婚をするのだと、ぼんやりと理解はしていた。


 とはいえ、実際に目の前に迫ってみると……心残りが、一つあることに気付いた。


 ――結局、今世でも、彼女の一人もできなかった。


 日本人としての感覚では、俺の顔は悪くない。いや、むしろいいと思う。


 だから、かなり期待してたのに……結局、青春的な物を経験することができなかった。


 一度だけ、ひょっとしたら、ということならあったけど……。


 たしか名前は……何だっけ? ああ、そうそう。アリスさんだ。


 アリスさんは俺よりも二つ年上で、笑顔の可愛い女の子だった。


 彼女の存在を初めて認識したのは去年。近所に住んでたのに、それまでは全く関わりなんてなかった。


 ある日、俺が朝のランニングをしていた時のこと。アリスさんが突然、汗拭きのタオルを渡してくれた。


 それからちょくちょく会うようになって、短い間だけど会話もしたりした。


 当時の俺は、なんかいい雰囲気だなと思って、ランニングに行くのが楽しみになっていた。


 そんなある日、アリスさんの姿を見なくなった。


 病気にでもなったのかと心配して、俺は勇気を振り絞って、アリスさんの家を訪ねてみた。


 そこには元気そうなアリスさんがいた――


 当時のことをそこまで思い出した時、俺は自分がいつもと違う道を歩いていることに気付いた。


 考え事をしていたせいで、途中で違う道に入ってしまったらしい。


 この道は……。


 数十メートル先の畑の中では、三人の村人が畑仕事をしていた。


 三十代くらいの男女と、俺よりも少しだけ年上の女の子。


 俺は道で立ち止まって、遠目にその女の子のことを見つめた。


 アリスさんは、自分を見つめる視線に気付いたらしい。農作業の手を止めて、こちらへ顔を向けた。


 目が合った瞬間、俺はできるだけ柔らかい表情を浮かべて、小さく手を振ってみた。


 すると、アリスさんは顔を真っ青に染めて、そそくさと家の中に消えてしまった。


 アリスさんの両親は不思議そうな表情でアリスさんの背中を見送って……それから、俺の存在に気付いた。


 笑顔で会釈をしてくる。


 俺は軽く会釈を返してから、もと来た道を引き返すことにした。


 ……あの時もそうだった。


 心配してアリスさんの家を訪ねると、アリスさんは俺を見た瞬間、今みたいに泡を食って逃げて行った。


 それ以来、アリスさんとは一言も話していない。



 ――



 コンコンと木製の扉をノック――する直前に、内側から扉が開いた。


「アルさん、おはようございます。こんな朝早くから、どうしました?」


 朝早くという時間でもないけど、ロンデルさんの家を訪ねるのは午後のことが多い。


 それと比べると、今日は早めの時間帯だ。


「いや、昨日のお菓子、イーナが作ってくれたって聞いて……」


 なんか改まって感謝を伝えるのって恥ずかしいな。


 言葉を詰まらせていると、イーナはくすっと小さく笑って、扉を大きく開いた。


「ここで話すのもなんですから、中に入って下さい」


 ロンデルさんの家には二年前から入り浸っている。もはや第二の我が家と言っても差し支えの無い場所だ。


 俺は四つの椅子のうち、俺専用と化しているものに座った。


 イーナは椅子に座らず台所へ向かった。


 手持無沙汰の俺は、椅子に座ったまま部屋を見まわした。


 ロンデルさんの姿は見当たらない。自分の部屋にいるんだろうか?


 ふと、机の上にバスケットが置いてあるのに気が付いた。上に布がかけてあるから、中身は分からない。


「どうぞ」


「ん、ありがと」


 そこへ、イーナが湯呑を持ってやってきた。俺に湯呑を渡してから、対面の椅子に腰掛ける。


「……あっ、アルさん。良ければこれ食べます?」


 イーナが思い出したように、ちょうど俺がさっき気になっていたバスケット――その上にかかってた布を取った。


 中には人型を模したクッキーが入っていた。割れているものは一つもなく、完全体が何枚か入っている。


 昨日は、半分に割れたものがかなりの数あった。完全体は、最初に母上が手渡してくれた一枚だけだった。


 俺は無言で人型クッキーを鷲掴みにすると、その頭を齧り取った。


「……味、どうですか?」


「うん、美味しいよ」


「っ! 良かったです! お父さんも美味しいねって言ってくれたんですよ!」


 イーナが嬉しそうな顔をして言ってくる。


 微妙な心境でクッキーを食べ終わった俺は――ふと、ここに来た目的を思い出した。


「あっ、そうだ。家でも昨日このお菓子を食べたんだけど……イーナが作ってくれたのも混ざってたらしいね。ありがとう」


「えっ……あっ、はい! こちらこそ、作り方を教えてくれてありがとうございましたって、クレアさんに伝えておいて下さい!」


 イーナは赤い顔をしながら、早口で言った。


「了解、母上に伝えとくよ」


 さてと、帰るか。


 未だに出てこないところを見るに、ロンデルさんは家にいないらしい。


 無性にむしゃくしゃするから、剣でストレス発散したいところだが、いないなら仕方ない。


 椅子から立ち上がる。


「えっ、もう帰っちゃうんですか……」


 褒められて嬉しそうな顔をしていたのに一転、捨てられた猫みたいな顔で、イーナは俺の事を見上げてくる。


「……この後も、剣の訓練をしないといけないから」


「そ、そうですか……それなら仕方ないですね。頑張ってください!」


「うん、じゃあ――」


 玄関口に向かおうとして、俺は既視感に襲われた。デジャブってやつだ。この光景をちょっと前にも見た気がする。


 いつだったか、家を出ようとしているところで、後ろから――あっ、そうだ。


 ちょっと前どころか、この家に来る直前。俺の第一の家を出る時の光景と重なる。


 あの時は、母上が後ろから声をかけてきて……。


 完全に忘れてた。


 振り返ると、俺のことを心細そうに見つめるイーナと、目が合った。


 ……なんで、こんなことをイーナに伝える必要があるのか分からないけど、母上の命令だ。


 母上はコミュ力お化け。前世今世合わせて、俺にはついぞ理解できない領域の覇者である。


 そんな母上が言うことだから間違いあるまい。


「イーナ、あのさ。俺、婚約者が決まったんだって」


 瞬間、イーナの動きが停止した。


 瞬きすらしない。


 ……そろそろ心配になってくるころ、油を差していない機械のような、ぎごちない動きで、イーナは口を開いた。


「こんやくしゃ?」


 意味が分かりませんって顔だ。


 字で書いて見せてるわけじゃないから、伝わらなかったらしい。


 婚約者なんて、日常生活で使う言葉じゃないからな。


「そう、結婚する約束をしたってこと」


 噛み砕いて伝えると、今度はちゃんと伝わったようだった。


「婚約者、結婚――アルさんと――」


 イーナが俯いてブツブツと何か呟いている。


 まあ混乱するのも無理はない。


 俺もイーナくらいの年の時に、例えば姉が結婚すると聞いたら驚いただろう。


 気長にイーナが落ち着くのを待っていると、バッと勢いよくイーナが顔を上げた。


「お相手はどちらの方なんでしょうか!!」


 イーナにしては大きめの声で聞いてくる。


 ……相手の名前?


 ……えーっと、何だったっけ?


 人の名前覚えるの苦手なんだよなあ。たしか、隣の領の……。


「アリス・シエタさんって言って、隣のシエタ領のとこの娘さんらしいよ」


 うーん、合ってるよな?


 こんな感じの名前だった気がする。少なくとも、シエタってところは合ってるはず。


「アリス・シエタ……」


 イーナが呟くのを客観的に聞いてみると、やっぱり違うような気がしてきた。


「……またアリスか」



 ○○○

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