07話 『婚約』



 やっぱり何度見ても、父上の剣捌きは美しい。


 派手さはないけど、これまで何千、何万回と剣を振るってきたことの分かる、淀みのない剣だ。


 吸い込まれるように、父上の剣は赤犬の首筋へと向かった。


「アル!」


 言われるまでもなく、父上の背後に迫る別の赤犬は、ロックオン済みだ。


 剣を振った瞬間に、自分でも分かった。


 ……やっぱり、まだまだ父上に及ばないな。


 腕に大きな衝撃が返ってくる。


 叩き斬るようにして、俺は赤犬の首を切断した。


 バタリと地面に倒れた赤犬は、白い粒子となって、空気に溶け消えた。


 赤い石だけが、ポツリと地面に残っている。


 それを拾っていると、ロンデルさんが声をかけてきた。


「さすがアルくん、上達したね。一人で倒せたじゃない」


「ありがとうございます。……ロンデルさんこそ凄いですね」


 俺は横目で見ていた。ロンデルさんが一振りのうちに、二匹の魔物をまとめて仕留めるのを。


 騎士でもない普通の村人なのに、本職の父上に迫るなんて意味が分からない。こういう人を天才と言うんだろう。


 顔良し、頭良し、性格は……うん。そして、剣の腕も良い。


 天はこの人に何個与えるつもりなんだ。この世界の神様は実在しているらしいので、一言文句を言いたい。


「アルくんもその内できるようになるよ。……あっちも終わったみたいだね」


 ロンデルさんの視線の先では、二つの男衆のグループが、それぞれ一匹ずつの赤犬を消滅させているところだった。


 これで、視界から全ての魔物が消えたことになる。


 計六匹の魔物の群れだったわけだ。そして、同規模の戦闘は、今日三回目。


「最近、魔物が多いですよね」


「うーん……そうだね」


 ロンデルさんは曖昧な返答だ。目も俺から逸らしている。


 どうかしたんだろうか? 魔物が増えたのは、事実に違いないと思うんだけど。


「ロンデル、アル」


 父上が声をかけてきた。手を俺たちに差し出している。


 俺とロンデルさんがそれぞれ赤い石を載せると、父上はそれを懐の袋の中にしまった。


 魔物が消滅した時に残される石を魔石と言う。


 大した価値はないが、回収して教会に送る決まりになっている。放置していたら、魔石を核として再び魔物が発生するためだ。


 父上は他の二人からも魔石を受け取ると、男衆全員を集めた。


 そこで今日の討伐の終了を宣言し、全員で村まで戻り、解散となった。


 時刻は夕方。


 討伐中に、魔物の襲来というイベントが多いからだろうか? 数ヶ月前までと比べて、ここ最近は時間の流れを早く感じる。



 ――



 俺の家に、父上、俺、ロンデルさんの三人で到着すると、バッと扉が開いた。


 中から、黒い髪を後ろで結った女の子が飛び出してくる。


 勢いそのまま、ロンデルさんに飛びついた。


「お帰り、お父さん!」


「イーナ……危ないからゆっくり扉を開けなさいって言ってるでしょ」


「はーい」


 イーナは、全く反省して無さそうな返事をした。


 ……いつも思うけど、イーナはどうやって俺たちの帰宅を感知してるんだろう?


 帰ってくる時間はバラバラだし、疲れてるから大抵は静かなのに。


 一度本人に聞いてみたが、「内緒です」って言って教えてくれなかった。


 俺が見ていたのに気づいたのか、イーナと目が合った。


「アルさんもお疲れ様です」


 それだけ言うと、プイっと顔を逸らされた。


 耳が赤い。


 父親に甘えてる様子を見られるのが、恥ずかしくなってきたのかな?


「今日も娘を預かって下さり、ありがとうございました。――ほら、イーナも」


「お邪魔しました!」


 家の中に入ることもなく、ロンデルさんは頭を下げた。


「あら、やっぱり食べて行かないのかしら?」


 中から出てきた母上が声をかけるが、ロンデルさんはいつもの微笑で断る。


 遠慮でもしてるのか、ロンデルさんが家でご飯を食べたことは、これまで一度もない。


 イーナはご飯を食べたそうな顔をしていたが、結局、今日もご飯を食べずに帰ってしまった。



 ――



 夕食を食べ終わった後、母上が台所から大きめの木皿を持ってきた。上に布がかけられている。


 母上はそれを机の上に置くと、布を勢いよく取り払った。


「じゃーん! 見て見て! 今日は、イーナちゃんと一緒にお菓子を作ってみたの!」


 えっへんと腰に両手を当てる母上。


 さすがに十二年も経てば、この金髪でスタイルの良い美人が自分の母親なのだと、理解している。


 だが、こういう子供っぽい仕草をされると……母親というよりも姉に近い感覚がする。


 父上と一緒に皿の中を見てみると、ベージュの平べったい一口大のものが沢山入っていた。


 単純な円形のものもあれば、動物の形をしてるものなんかもある。


 ……クッキーなのかな、見た目的には。


「ほう、なかなか良くできてるじゃないか」


 父上がそのうちの一つ――どうやら人の形を模してるらしい物を手に取って、口に運ぼうとする。


「あっ、駄目!」


 母上が父上の手から素早くクッキーを奪い去った。そのクッキーを、俺に向けて差し出してくる。


「えっ、僕ですか?」


「そうよ! これ、イーナちゃんがアルに食べさせたいって作ってたやつだから。ちょっと不安定な形をしてるから、何度も失敗してたのよ。――ほら」


 母上が、皿から一つのクッキーを取り出してきた。確かに、胴体でバッキリ折れて上半身だけになっている。


 よくよく見てみると、似たような形状のクッキーが他にもたくさんあった。


「これ、アルを作ってたみたいよ」


 俺にはただの人型にしか見えないが、俺を模してると言われたらそう見えてきた。


 ……それにしてもイーナが俺に。


 初対面から早二年。最近ようやく心を開いてくれたが、いまだに敬語で、完全に打ち解けたとは言い難い。


 そんなイーナが俺の為に作ってくれたクッキー。


「ありがとうございます!」


「私にじゃなくて、今度会った時にイーナちゃんに言ってあげてね。きっと喜ぶから!」


「はい!」


 母上からクッキーを受け取って、早速食べてみる。


 甘い。見た目の通り普通のクッキーだ。ちょっとボソボソしてるけど、普通に美味しい。


 目の前では、母上が父上に「あーん」をやっている。やられてる父上もまんざらでもない顔だ。


 息子の目の前では止めて欲しいが、昔からこんな感じなので、今更変わらないだろう。



 ――



 口直しに、と母上が淹れてきた暖かい紅茶を飲みながら、俺と父上は母上の話を聞いていた。


 討伐日の夕食後は、今日みたいにゆっくりすることが多い。


 大抵は、母上がずっと話してるのを、俺と父上が聞く構図だ。


 だが、たまに父上が重要なことを言う日もある。今から……もう、三ヶ月になるか。その日も、真面目な顔をした父上が宣言した。


 イーナを日中、家で預かるということを。


 その十日ほど前から、北の森で魔物が増加し始めていた。


 北の森の向こう側には、国王直轄領が広がっている。普段なら、聖砂の効果で、むしろ魔物の出現が少ないはずの方向だ。原因は不明。


 とりあえず、定期討伐の頻度を上げることになった。定期討伐にロンデルさんの参加は必須。当然、イーナが家に一人でいる時間が長くなる。

 

 父上にとって、それは黙認できないことだったらしい。俺も母上も特に反対しなかったので、すぐにイーナを預かることに決まった。


 その翌日、父上は遠慮するロンデルさんを説き伏せて、イーナを家に連れてきた。


 この頃、俺と父上はちょくちょくロンデルさんの家に行っていたので、イーナともある程度打ち解けていた。俺が心配だったのは、母上だ。


 母上はイーナとほとんど初対面だったので、不安があったのだ。


 そんな心配は杞憂だった。


 失念してたけど、母上はコミュ力お化け。一日も経たないうちにイーナは母上に懐いた。今では、実の母娘のように仲良しだ。


 そのため、ここ最近の母上の話題はイーナのことばかりだ。現在も、イーナがどれほど可愛かったかを熱弁している。


 そんな母上の話を、俺はぼーっとしながら聞いていた。


「クレア」


 父上の真面目な声で、俺の意識は食卓に戻ってきた。


「どうしたの、あなた?」


「それと、アル。お前に一番関係のある話だ」


 俺は困惑しつつ、姿勢を正した。


「クレアには話したことがあるが、アルには初めて話すな。

 知っての通り、エンリ領の隣にはシエタ領がある。そこにはアルと同い年の娘さんがいてな。ミーシャ・シエタと言うらしい。

 気立てもよく、中々の美人だとも聞いている。その子とアルの婚姻が、先日決定した」



 ○○○

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る