06話 『ウスラ・エンリ』



「ろんでる、おかわり」


「まだ飲むの? もう結構遅いよ」


「うるひゃい!」


 その無駄に整った顔に一発入れてやる! その方が、味があっていいだろ!


 机の対面に座るロンデルに、親切心からの拳を叩き込んでやると――ひょいっと、避けられた。


 ロンデルは呆れたような顔で、酒瓶を差し出してくる。


 ……そうそう、最初からそうすればいいんだ。


 そもそも私の金で買った酒だしな……まあ、そんなに高くはないが。


 目の前の空コップを掴んで、トポトポと酒を注ぐ。


「あっ、それ僕のなんだけど」


 ……うん? ああ、確かに、こっちのコップはロンデルのだった。


 近くに転がっていた別のコップを掴んで、酒を注ぐ。


 ロンデルのは……しょうがない。譲ってやろう。


 こいつまだ、全然酔ってないみたいしな。


「ほれ」


「いや……僕はそろそろ……」


「ほれ」


「……はあ、ありがとう」


 今日何度目かの乾杯をして、コップに口を付ける。


 ――ああ、幸せだ。


 明日は安息日。


 今日はどれだけ飲んでも構わない。


 最高の状況だ。こんなのは何ヶ月ぶりか。


「いつも、ありがとうな」


「また? もう何回も聞いたよ」


 ……そうだったか?


 だが、感謝は何回しても悪いものではない。ロンデルにはいつも世話になってるからな。特にアルのことを。


 アル――自分には勿体無いくらい、できのいい息子だ。


 思えば、生まれた直後からその萌芽は見えていたように思う。


 初めての子供だから、親の欲目もあるだろうが……それでも、一歳で言葉を習得するのは、早い方なのでは?


「なあ、ろんでる」


「何?」


「ろんでるのむすめの……イーナちゃん? しゃべれるようになったのいつだった?」


「イーナが喋れるようになったの? いつだっけ……? 確か、二、三歳だったと思うよ」


 ほうほう、三歳か。


「むふっ」


「な、何? 突然気持ち悪い声出して」


「なんでもない」


 やっぱり、一歳っていうのは破格の早さみたいだ。分かってはいたが、息子は天才だな。


 コップを傾けて、酒を一口すする。


 ……しかも、ただの天才ではない。根性のある天才だ。


 アルが本格的に戦闘訓練を始めてから、もう六年になる。


 その間、アルは一度も弱音を吐いたことがない。毎日の訓練に、歯を食いしばって耐えてくれている。


 そのかいあって、今ではかなりの実力を身に着けている。


 もちろん元々の才能もあるが、やはり努力の占める割合が大きいだろう。


 私も最近では、アルとの模擬戦に苦戦するようになってきた。この調子だと、越えられる日も遠くないかもな。


 ここまでアルが成長したのは、本人の努力と私の指導のおかげ……と威張れたらいいのだが、そうもいかない。


 やはり、目の前の男の存在は大きい。


 小さい頃からアルの師匠として接してきた私は、甘いところを見せにくい。


 そんな私の代わりに、ロンデルはアルと仲良くなって、時に緊張を解してくれていた。


 ……こいつは昔からそうだ。誰とでもすぐに仲良くなる。男とも、女とも。


 私とロンデルが、今のアルと同じくらいの年の頃、既にこいつは村の女たちの憧れの的だった。


 私には一人も寄って来ないのに、こいつには数多くの女たちが言い寄っていた。


 それをこいつはのらりくらりとかわし、結局はよそ者の女と娘をこさえた。


 あの時は、村全体の空気が重くなって参った。村中の若い女が、数ヶ月の間、気落ちしていた。


 ロンデルの妻は、イーナちゃんを産んだ時に、残念ながら亡くなってしまった。


 ……ということになっている。


 だが、私だけは真実を知っている。


 ロンデルの妻は、イーナちゃんを生むや否や、またどこかへと旅立ってしまったのだ。


 生まれたばかりの娘を置いて、どうしてそんなことをするのか……私には理解できない。


 何か深い事情があったのだろう。


 ロンデルに聞けば何か知ってるかもしれないが……。


 ちらりと目を向けると、ロンデルは机に突っ伏していた。


 ……なんだ、さっきから気配がないと思ったら、寝てたのか。


「ふーっ」


 息を吐くと、酒臭いのが自分でも分かった。


 ……一人で飲んでいてもつまらないし、私も寝るか。



 ○○○



 周りを畑に囲まれ、ポツンと一つだけ立つ木製の家。


 その家の中では、二人が机に突っ伏し、頭を突き合わせて眠っていた。


 一人は金髪。バランス良く筋肉をまとった腕を枕に、気持ちよさそうに寝息を立てている。


 もう一人は黒髪。金髪の男とは対照的に華奢な外見をしている。女の格好をすればその美麗な顔貌と相まって、誰もが振り向くような美女に変身するに違いない。


 こちらも規則正しい寝息を立てていた……のだが、その音が止まる。


 パチリと、長いまつ毛に縁どられた大きな目が開いた。


 上目遣いに、いまだに寝息を立てている男を確認すると……ゆっくりと、音を立てずに立ち上がった。


 両手を頭の上に持ち上げて、伸びをする。


「まったく、やっと解放されたよ。ウスラと過ごすのは楽しいけど、酒癖が悪いのが玉に瑕だよね。……まあ、そういうところも可愛いんだけど」


 ウスラの金髪を、指で透く。


 その間、ロンデルはウスラのだらしない寝顔をジッと見つめていた。


「んん……」


 ウスラが身じろぎをした瞬間、ロンデルはパッと手を離した。


 息を止めて、全身を硬直させたまま、ウスラの動きを観察する。


 ウスラが目を覚ましたわけではないことを確信すると、ロンデルはホッと息を吐いた。


「さてと、僕のお楽しみはこれくらいにして。……風邪を引いちゃまずいからね」


 ロンデルは自分の部屋に向かうと、毛皮を一つ両手に抱えて帰ってきた。


 それを広げて、ウスラの背中にそっとかける。


「おやすみ、ウスラ」


 ロンデルはウスラの耳元でささやくと、自分の部屋に向かった。



 ○○○

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