きみに恋をした医薬師のお話 15

「あれが、おまえの好きな人か」


 聞かなくてもわかったが、あえて口にしていた。


 開き直ったものの、ため息しか出てこない。


「ネフィー、暇をしてるのなら何か捜してでも仕事をしろ。あっちもこっちもまだまだ目覚めない患者はいるんだ。やることないんならむしろ記録でもつけていろ」


「そんなこと言ったってさぁ、衝撃的だよ。おまえがあの、近衛の副隊長と知り合いだったなんて……」


 ピクッと微かに震えたナイーダを見逃さず、俺は続けた。


「男らしくてかっこいい人だったな」


 はぁ、と絶望的な気持ちだ。


 だからこそ、


「俺、適わないじゃん」


 と、ぽつりともらしてしまう。


「適うわけがないだろ。そもそも比べる相手が間違ってる。でもおまえにはそんなこと心配しなくても近づいてきてくれる子はたくさんいるだろうから安心してろ」


「なっ!」


 元気づけようとしてくれたのだろうけど、おまえにそれを言われたくない、とますます肩を落としたくなる。


 ナイーダはナイーダで手を止めることなく、ただ静かに溜息をついていた。


「そりゃ、第一近衛団の側で薬剤師をするのは大変なことだな」


 以前、彼の近くには行けない、と悲しそうな顔をしたナイーダを思い出し、俺は誰にでもなく呟いた。


「だって、城で仕事をするんだからな。誰もかれもが憧れる場所だよ。チナンくらいじゃないのか? あそこで働けるだろう可能性を持っているのは……」


 言いかけて後悔した。


 黙々と仕事をこなしつつも悲しそうな表情をしたナイーダに罪悪感が芽生えたからだ。


 そして、ふと思った。


「なぁ、おまえ、貴族出身か?」


 俺の問いに、もくもくと作業を進めていたナイーダの手が止まった。


 それは、肯定を意味していた。


 初めて隣の席になった時、自分は北の方の出身だとナイーダはとても言いにくそうに言っていた。


 それは確かに不可解な点ではあったが、当時、初めて彼女を見て、そのあまりの美しさに目を奪われたネフィーロはあまり深く考えてはいなかった。


 北の方と言えば小さな農村がいくつもあったし、街もあった。それだけに、彼女の出身地はそのうちのどれかなのだと俺はずっとそう思っていた。


 イディアーノ城や貴族の屋敷も、もっと先を行った場所にそびえ立っているということにも、もちろん気付かないで。


「近くで働けるとは思ってない」


 次に言葉を発したのはナイーダだった。


「少しでも力になれたらと思っていた。俺は正直まだまだだし、今回の患者を見ただけで最初は足が震えていたし……」


 でも、と彼女は続ける。


「できることはしたいと思っていたんだ。近くにいたいとかじゃなくて、ただ本当に、最高の医薬師だと認められたいから」


 城に就くと言うことは、国の中でも認められたこと同様のことであり、ナイーダの言葉はそれを意味していた。


「あいつにじゃない。この国の人達に。少しでも苦しむ人が減るように、俺はそんな……」


「ナイーダ……」


 本心じゃないくせに、と叫びたくなった。


 自分以外の人を想って、そんな悲しそうな顔はしないでほしい、と本気で思ってしまう。


 そしてまた、凛々しく強い眼差しで笑うセトの姿を思い出し、のびかかった手を引っ込め、溜息をついた。だが、


「ナイーダ!」


 突然、後ろから聞こえた声に、俺ははじかれたように振り返った。


 今の今まで想像していた人物がそこに立ち、深刻そうな顔でナイーダを見ていたからだった。


「セト……」


 消えそうな声を出したナイーダに、これ以上傷をえぐる行為はやめてくれと懇願したくなった。


 それくらい、セトという男はあまりにも完璧すぎた。


「俺らさ、明日にはまた城に帰るんだ」


 その堂々たるセトの口調に、え……とナイーダが珍しく動揺したように瞳を揺らせたように見えた。


「今、あいつ、外にいる」


 セトは短くそれだけ言うと、悲しそうに歪んだナイーダの顔を見て、唇を噛んだ。


「行ってやってくれよ」


 意味を理解したようにナイーダの表情が一瞬にして曇り、そして彼から目をそらせる。


 俺だけ意味が分からず、ただその二人のやり取りを見入ってしまっていた。


「あいつ、ずっとおまえに会いたがってたんだよ、本当に誰よりも」


「そんなはずがない……」


「ナイーダ!」


 セトの言葉に唇を震わせたナイーダがふらりと立ち上がる。今にも倒れてしまいそうな、そんな蒼白は表情で。


 でも、次に俺が目にしたのは、全力で駆けだした彼女の後ろ姿だった。


「ったく、心配かけやがって……」


「えっ?」


(一体、どういう……)


 眉間に手を当て、うなだれるように部屋を出ていこうとしたセトを思わず俺は呼び止めていた。


 そんな様子にセトは苦笑して、大丈夫、君はまだ若いから……となぜか慰めてくれたのだった。

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