きみに恋をした医薬師のお話 10
「え……?」
な、何を……と、唖然とした。
「女か男かわからなかった人物?」
なんだそれ。
そんな人物がいるというのか。
「この『表記なし』が、どこの人間よりも長く治療の時間がかかったということが記されているが、そもそもそんな記録に残されるほど長い期間、治療に専念できる人間はこの近辺ではそういない。それがまず、考えられる理由のひとつだ。それに、片方だけ数値が他の被害者に比べて異様に高いからな。同じ女性でも、この人間だけ、何か他と違うところがあるのだろう」
「だ、だから『表記なし』になって……」
明かすことのできない身分の人間だったから。
「まだそれはわからん。だが、それさえわかればきっと、他と違う何かの理由も明らかになってくると思う。まぁ、これは俺の意見だが……」
そう一気に述べた彼はナイーダに対し、これでいいか?と告げた。
ナイーダは先程ほど悔しそうな顔をしておらず、今はただ淡々と自身の見解を述べたチナンに驚きと感動の入り混じったような表情を浮かべ、見入っていた。
たしかに、凄まじい正確な判断力となにより、情報量だった。ただ薬学に詳しいだけではない。彼は……
「おい、チナン!」
その時だった。
慌てたように先輩医薬師のワナットがチナンの元に駆けてきたのは。
「何だ? 騒々しい」
「緊急事態だ。すぐに馬を走らせるぞ?」
「何かあったのか?」
「ああ、リトビアの近衛の隊員達が全滅しているらしい。それで今は近くの診療所に運ばれたらしいが、それでも人出も薬も不足している」
「な、何だって!」
それを聞いて、珍しく声を上げたのはナイーダだった。
リトビアといえば、イディアーノ国の南に位置する土地で、イディアーノと隣国のケニッセル国の国境線にあたるとも言われている。
そこを任されていた近衛隊員が全滅するというのは、一体どういうことなのだろうか。
「そ、それは、ケニッセル国が攻めてきたということなのですか?」
表情を変え、乗り出すように聞き入るナイーダに、ワナットは少し驚いたようではあったが、すぐに真剣な面持ちに変わり、詳しく事情を話している暇はないのだと、チナンだけを急かし、チナンもそれに頷いた。
「わかった。すぐに行く」
「チナン!」
窓からそのまま立ち去ろうとしたチナンに、思わずナイーダは詰め寄る。
「お、俺も行きたいです」
「行きたいって、現場にか?」
「連れて行ってください。俺も力になりたいんです」
医薬師の卵は基本現場へ出ることはない。
せいぜい研修の時くらいで、出られることがあったとしてもしばらくは先輩医薬師たちの背中に続く。
「この話を聞いて、ただじっと待ってなんていられないんです」
ナイーダの強い光を持つ瞳はチナンに訴えかけていた。
「俺の指示に従えなければ即返すぞ」
な、とワナットが驚きの声を上げて振り返ったにも関わらず、チナンは力強くナイーダに頷いた。
「おい、カンタス。おまえもそんな血の気のない表情をするな。みっともない。そうだな、こいつのストッパーとしておまえもついてこい」
「えっ、俺……」
ナイーダを指さし、告げてくるチナンに飛び上がる。
(げ、現場に行くだって?)
心の準備ができておらず、思わず悲痛の声が漏れてしまった気がする。
「お、お、俺……」
「ワナット、馬は出ているか? それから、カンタス、おまえはナイーダを乗せてやってくれ」
ことは一刻を争っていた。
それはチナンの言葉からも読み取れる。
「行くぞ!」
チナンの言葉にナイーダも頷き、慌てて先輩医薬師達のあとをあわてて後を追った。
何が何だかさっぱり状況についていけない俺もただただその後ろについて足を進める。
急いで普段使っている道具を片っ端から集め、鞄に詰め込み、慣れた動作で準備されていた馬に飛び乗り、ナイーダを待った。
「ネフィー」
「え……?」
それでも目の前から現れたその光景に息を呑む。
「気障の荒い馬たちだな」
乗せてやってくれと頼まれていた張本人は軽々しく手綱を操り、暴れ馬を手名付けていた。
ナイーダは唖然とするまわりを気にすることなく、乗りこなしており、チナンだけはやるな、と笑った。
そうして、一同が慌てて馬を走らせ、他の医薬師達に追いついたのは、それから少ししてからのことであった。
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