きみに恋をした医薬師のお話 6

 緑が生い茂った草むらの中、指導教員の研修生たちを含めた十人の生徒達が白衣にマスクと手袋を着用しながら、片手には薬草図鑑の本を抱え、必死に動き回っていた。


 午後の授業は、『マター草』というどこにでもあるといわれながらもなかなか見つからないそれを捜す訓練をしていた。


 『マター草』とは、傷を癒すためによく使われるという薬草で、怪我している人間がいるというのなら、いついかなる時でも医薬師としては探し出さねばならないといけないという、そんな薬草であった。


 一人、少し早めに着いてしまい、ナイーダが来ないうちに作業を始めることとなったネフィーロは少し苛立ちを感じていた。


 それでも今まではただただ教科書を片手に様々な薬草を学ぶ抗議を受けたり、上級生達が捜してきてくれた薬草を調合したりと、簡単な授業だったばかりの彼らのクラスではあったが、最近になり、だんだん上級者向けの実践などを兼ねた授業が行われるようになってきており、よそ見などしていられる状況ではなかった。


「おぉーい、いいか。今は先輩医薬師達が作っている薬草があるからいいが、いついかなる時にそれが切れて、君達のものを使うかわからないからね。念入りに捜すように」


 高らかとしたミセス・カロライナの美しい声が響いていた。


 草むらの上でその場に最も相応しくない赤々とした高いヒール姿で器用に何度もターンを効かせながら、彼女はしゃがんで教科書と睨めっこを始めた生徒達の周りを行ったり来たりしていた。


 絶対廊下の上ではカツカツと勇ましい音を響かせているはずだ。


「制限時間は三十分。それまでに変化、異変、何でもいい。気付いた者は前に出るように」


 ナイーダが午後の授業に参加したのは、みんなが捜し始めて少し経った頃であった。


 彼女の姿を遠くに確認し、遅い!と体全体を使ってジェスチャーをした俺を無視してナイーダは堂々とミセス・カロライナの方に向かって歩いて行った。


「おや、ブェノスティー。堂々と遅刻のようだな」


「すみません、ミス・カロライナ」


「また研究でもしていて時間を忘れてしまった、と言う顔だな、ブェノスティー」


 ハハと声を高らかにするミセス・カロライナを前にナイーダは少し恥ずかしそうに頭を下げた。どうやら図星だったようだ。


「研究熱心なのはいいが、あまり日常生活まで仕事一筋なるのは感心しないな。いい女とは、いろんなところに余裕を持たないといけないからな」


 まるで自分のことようにと堂々と胸を張る彼女に、教員のセリフかよ、と誰もが呆れたほどであったがミス・カロライナは引くことを知らない。そうして淡々とした口調で彼女告げた。


「今、みんなにマター草を捜してもらっている。君も早速始めるといい。制限時間はあと二十五分だ」


 急げと言わんばかりに笑う彼女に、少し不思議そうな表情を浮かべたナイーダであったが、次に頭を上げた時には、でも……と続けた。


「なんだ、ブエノスティー?」


「いえ、場所は移動しても良いのでしょうか」


「ほう。ここで、と言ったらどうする?」


「えっ……」


 周りは皆、俺すらもナイーダとミス・カロライナに釘付けになっていた。


 どんなやり取りが始まるのだろうか。


 そんな好奇心からだ。


「どうした? ブエノスティー」


「えっと、ここで申してもよろしいんですか?」


 おずおずと周りを見渡し、言ってみろ!と楽しそうに乗り出すミス・カロライナに、ナイーダは続けた。


「ここにはマター草はありません」


 静かに言い放ったその言葉に、周りの誰もが息を呑んだ。


「ない? 一応ここは、マター草の一番多く取れる土地だと言われる場所だということで連れてきたのだが? 理由を聞いても良いか?」


 面白い!と言わんばかりにミセス・カロライナが自身の手を打ち、形の良い顎に手を添える。


「正確には、『今日は』ありません」


 え?と、言う声が一斉にクラス中のどよめきとして生まれる。


「ど、どういうことだよ、ナイーダ!」


 もちろん、俺もその一人であった。


 頬を泥で汚したまわりの面々も真剣な面持ちで頷き、ナイーダの回答を待つ。


「カンタス、まぁ待て」


 が、それはすっと伸ばしたミセス・カロライナの手に制止された。


 そして、彼女は、興味深そうに細めた瞳をナイーダに向けた。


「その通りだ、ブェノスティー。よくわかったな。理由を説明してくれるね?」


 その言葉に、ナイーダは誇らしそうに笑った。まるで美しい花が咲き誇ったようで、そこにいた者たちみんながあっと息を呑んだ程だった。


「はい。ここにあるほとんどの草がシャムス草だということはわかりますよね。その中に必ずマター草はあると言われています」


 でも、そんなのないぞ……と言わんばかりに自分の足元に注目する研修生達にまたナイーダは続けた。


「マター草は、『雨の日にのみ』姿を見せる植物として知られています」


 え?と、誰もが言葉を失ったのはその時だった。


「シャムス草が雨に濡れ、色を変えたものがマター草なのですから」


「その通りだ。上出来だ。昨日はシャムスとマターの特殊効果と生息地などしか説明はしなかったが、よくわかったね?」


 沈黙を破るように拍手と共に発せられたミセス・カロライナの言葉にナイーダは嬉しそうに一礼した。


「君に付く、チナン・ギョクリュは、本当に何でも教えてくれるようだな」


 彼女も誇らしそうな顔をしていた。


「あ、いえ、これは……」


 と言いかけ、少し動揺したように瞳を泳がせたナイーダがいたのは、ほんの一瞬のことだった。


「はい、チナンのようになるようにもっともっと精進します」


 それでもすぐさまそう言い換えたナイーダに誰も不審に思わなかった。


 いつもナイーダを側でよく見ている、俺以外は。


 青い空がナイーダの赤いピアスをキラキラと輝かせていた。


 少しまた切なそうに瞳を伏せ、ナイーダは見えるはずのない空の向こうを見るように見つめ続けていた。


 とても儚げで、今にも消えてしまいそうに見えた。


 そのせいか、次にミセス・カロライナがマター草について声を荒らげた言葉が遠くのことのように聞こえた。

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