第68話 彼がその刃を向けるとき

「ナイーダ・ブェノスティー、どこへ行くつもりだ?」


 別の声が後ろから気配なく現れるまで、ナイーダの中の時間は止まったままのようだった。


「うまく抜け出したつもりだろうけど、まだまだだな」


 いつものように軽口を叩きながらナイーダに近づこうとしたアルバートは、彼女の異変に気付き、足を止めた。


「ナイーダ?」


「見逃してくれ」


 アルバートに背を向けたまま、ナイーダは呟くように言った。


「俺をこのまま逃がしてくれ」


 ぎゅっと握りしめた手のひらが血の気を失っている。


「な、何を言ってる……」


「おまえもわかってるんだろ。俺にはもう、帰る場所がないってことは……」


 何とかするとアルバートは言った。


 おまえはまだ自分の部下なのだと。


 でも、それでも……


「誰も、もう誰も俺を必要としていない。俺は禁忌を犯した。近衛隊のみんなと共に戦うことなんて、もうできない」


 ナイーダは悔しそうにそう漏らす。


「だからもう、これ以上はおまえにも迷惑はかけられない。たとえみんなが何も知らなかったと俺を許してくれたとしても、そんなこと、俺は堪えられない」


 謀反の罪は誰であっても許さない。


 そんなのはナイーダが一番よく知っている。


 暮らしの平穏と秩序を守る、そんな近衛隊のひとりだったのだから。


 自分の犯した罪の重さは知っているつもりだった。だからこそ、もうアルバートの力は借りられなかった。


「それに、もう知ってるんだろ?」


「え?」


「俺が本当は、誰よりも父上から愛されていないこと……」


 無理に振り返り、必死に笑みを作ったナイーダにアルバートは言葉を失ったように、ただ息を呑んだ。


「父上がいる限る、ここではう、ナイーダ・ブエノスティーとしては生きられない」


「え?」


「きっとすぐに排除される」


「そんなことは……」


「アルは何も知らないだけだ」


 言いかけたアルバートの言葉に、珍しく語調を荒らげたナイーダの言葉が重なった。


「父上は俺を通してずっと兄上の面影を見ていた。でもそんなときはすぐにでも、ありもしない世界から現実を知り、心を痛めてた。俺は、ずっとそんな父上のために、父上がまた笑ってくれるようにと思って生きてきたけど、本当はいつも父上を苦しめ続けてきた。おかしいだろ」


 声を落として笑うナイーダが痛々しかった。


「おまえは俺の友をやめると言った。あれは正解だよ、アル。そうするべきだ。俺はおまえに相応しくない」


「ナイーダ、それは違う」


 アルバートが慌てたようにナイーダに距離を詰めようとしたその時、ナイーダの剣がアルバートに向けられた。


 アルバートの表情から余裕がきえたのがわかった。


「な、ナイーダ……」


 どうして……と、アルバートは一瞬、とても傷ついた表情を見せた。


 それでも、仕方がないのだ。


 そんな彼を見て、自分相手にもこんな表情を見せてくれるのだとナイーダは悲しそうに頬を緩めた。


「お別れだ、アル……」


 終わりだ。何もかも。


 ついに、このときがやってきたのだ。


 自分の幕引きは、自分でする。


「おまえは、俺にとって最高の人だったよ」


 きっと、永遠に忘れない。


 ナイーダはゆっくりと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る