第63話 大切な少女を失った日

 あの日、初めて女の子の体に変わろうとしたナイーダの身体はあの土地の力に反応し、彼女の意識を奪ってしまったのだった。


「あれからできるだけ近づけないようにしてたのに、自分から踏み込みやがって」


 笑おうと意識したが、うまく笑えずアルバートは苦笑を漏らす。


 また失うかと思い、心がこれ以上になく乱れた、そんな自分の気持ちを落ち着かせようと必死に努力を繰り返した。


「もう、心配かけるなよ」


 眠いのだろう。


 今にもまた眠ってしまいそうなナイーダの瞳はとろんとしていて、自分の言葉の半分も彼女の耳には届いていないだろう。


 そんな彼女の頬にそっと触れ、アルバートは静かに呟いた。


「おやすみ、ナイーダ」


 彼女が女だと初めて意識したあの日の真っ赤に染まった自分の手を、アルバートは一生忘れない。


 いや、忘れないと誓った。


 体調が悪いのにアルバートに隠して無理をしてたのか、大丈夫だと力無く笑い、倒れ込んだナイーダを抱き起こそうとした時だった。


 生々しい色の彼女の血がべったり自分を腕を覆っていた。


 慌てて彼女を背負い、アルバートは無我夢中でブェノスティー家を目指した。あの時はもう、何も考えられなかった。ただ何が何だかわからなくて、このまま彼女を失うかもしれないという恐怖が彼を追いつめていた。


 死なないでくれ!


 何度も何度も願った。


 彼女の命が救えるのなら、もう何もいらないのだと。


 ブェノスティー家に着いた頃、ナイーダはぐったりしていて意識はなかった。一番に出てきた使用人が血に染まったアルバートとその彼女の様子に悲鳴を上げた


 それからはよく覚えていない。


 毎日毎日アルバートは彼女の治癒法を捜し続けた。デーテに聞いた薬草を求めて身がボロボロになるまで野を駆け回ったこともあった。それがあの、マター草だった。


 そして毎日、それを持ってはブェノスティー家に通い、頭を下げ続けた。


 自分が彼女を大けがに追いやってしまったのだと、彼はずっと思っていた。


 それでも怒りに狂ったファード・ブエノスティーは一切のアルバートの言葉を聞き入れようとはしてくれなかった。


 なぜなら、ナイーダは息子ではなく、娘であるという、忘れ去りたかった事実が彼をまた苦しめることになっていたのだから。


 それでもそんなことを知る由もなかったアルバートは、毎日頭を下げ続けた。


 父であるクリアス公爵が直々に迎えに来ても、雨が降っても凍えるほど寒い日でも、変わらず通い続けた。


『それはナイーダ様が女の子の体になる準備をしたのよ』と、涙に濡れた頬をそっと拭ってくれながら優しく微笑み、彼の母はアルバートにそう告げた。


 あの時、全てが変わった。


 あの時から、ナイーダを普通に見ることができなくなった。


 自分とは、違う生き物。


 幼い頃から理解ができなかった、自分とは違うのだから無茶はさせるな、という母の言葉が初めて理解できたのはその時だった。


 彼女は、女の子だ……そんな風にアルバートは思うようになった。


 そして、その女の子は男の子になり、彼にとって命よりも大切な存在になった。

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