第61話 居場所はいつもここに

 なんで、なんで忘れていたんだろう。


 苦しくて泣きたくて、今度はそんな痛みに胸を締め付けられた。そっと頬に触れた手の感触に驚き、ナイーダは静かに目を開いた。


「悪い。驚かせたか?」


 ああ、一番聞きたかった声だ、とぼやける瞳でナイーダは彼に焦点を合わせる。


「ア……アル……」


「ああ、もう大丈夫だ」


 苦しかっただろ、と自分の膝の上にナイーダを寝かせていたアルバートは優しく囁き、穏やかな表情で彼女の頭をなでる。


 いつものアルバートだった。


 いつものナイーダのよく知る。


 いつもの……


「アル……」


「ごめんな。遅くなって」


 切なげに緩んだ彼の瞳に映ったナイーダは泣いていた。それをアルバートは拭う。


 その温もりが暖かく、さらに鼻の奥がツーンとしてきて、涙が止まらない。


 朦朧とした頭であろうと不覚にも彼の前で泣いているという事実は理解できていたが、もうどうにもならなかった。


「アル……」


 これは夢なのだろうか。


 会いたかった人がそこにいて、自分の名前を呼んでくれている。


 いつものアルバートだった。


 優しくて頼りがいがあって、最後に会った時に見た、ナイーダのことを友でないと言いはって、邪魔者のように扱った彼ではなく、ナイーダのよく知るアルバートの姿であった。


 気付いたらしゃくり上げてアルバートにしがみつき声をあげて泣いていた。


 アルバートはきっと、すごく困惑し、それでいて泣き出したナイーダに悲しそうな顔をしているだろう。そんなことはわかっていたが、ナイーダ自身、もうどうすることもできなかった。ただひたすら彼にしがみつき、あの嫌な思い出を忘れようとしていた。


 怖かった。怖かったのだ。


 そしてまた、彼とこうしていられることが奇跡のように感じられて、彼の服をしっかり握るナイーダは離すことができなかった。


 が、それも束の間。


「なんだ。やっぱり俺がいないとダメだな」


 先程とはうって変わり、楽しそうにクスクス笑いながらナイーダの腰に手を回し、ぐいっと力いっぱい自分の方へ引き寄せたアルバートにナイーダははっと息を呑んだ。


「なっ!」


「おー、よしよし、俺が恋しかったか」


「ば、バカやろ……! そ、そそそそ、そんっ、そんなわけ……」


 条件反射からか、そう叫ぶものの力が入らずすぐにぐったりしてしまうナイーダは、またふらっとめまいのする感覚を感じ、逞しく鍛え上げられたアルバートの胸に顔を埋める。


「そ、そんなわけ……」


 どうやらこれは夢ではなく、紛れもない現実のようだ。


「そうだな」


 見上げると、すぐそこに優しい瞳と目が合った。


「よかった。元気出たみたいだな」


 にっこり微笑むアルバートがいた。


 ああ、と思う。


 いつもバカにされていたと思っていたけど、それでもこうやって、彼に背中を押して貰い、支えて貰っていたからこそ、自分はいつも男の姿で堂々と生きて来られたんだなぁと。


「あ、あのさ、アル……」


「いいよ。そのままで」


 未だ朦朧とするナイーダを抱え、アルバートは座り直す。引き締まった筋肉が目の前で露わになり、ナイーダは思わず目をそらせてしまう。


(わっ、わわわわ!)


 あまりに悪影響すぎる。


 ナイーダはぐっと瞳を閉じ、呼吸を整える。


 またまた無意味に鳴り響く胸の高鳴りに付き合っている暇はなかった。


「これは夢か?」


「んー、どう思う?」


 ふわふわしていて、夢ではないのだとわかってはいるのに、なんだかとても幸せな時間に思えた。


「だったら俺、助かったのか?」


「ああ、もう大丈夫だ」


 助かったのなら良かったと、ぼんやり思う。そして、少しずつ明確になっていく思考を巡らせ、はっとした。


「り、リリアーナ様は?」


 そこで血の気が引いた。


「あ、あの時リリアーナ様が倒れて……」


 それから自分も体の異変に気付き、そしてリリアーナを助けるどころか自分もそのまま意識を失ったようで今に至る。


 アルバートが今ここにいることも不思議なことであったが、それ以前に近くに見あたらないリリアーナを思い、ナイーダは絶望的な気持ちになった。


「ああ、彼女を連れだした罰はしっかり受けてもらうからな」


「え……じゃ、じゃあ……」


 彼女は無事だというのか?


「大丈夫。姫は先程目覚められたから。ここから少し離れたお屋敷で休ませてもらっている。俺もさっきお会いしてきたよ。おまえをひどく心配されていた。ここへ来たのは全て自分がいけないんだと泣かれて……」


 あんな顔されたら、とアルバートの表情が悔しそうに歪み、ああ、とナイーダは自分自身を恨みたくなった。


「王への報告の方は俺が何とかする。だからおまえには隊長の俺から直々に罰を与える。いいな?」


 ナイーダは驚いた。


「隊長って……お、俺はもう……」


「知ってるか? 退団書は普通、隊長に提出するもんなんだ。おまえのは未だ俺のもとには届いていない。言わば未決だ。残念ながら俺の配下のままだよ」


 残念だったな、と空いた手でナイーダの両頬をぷにっと摘み、瞳を細める。


 また、泣きそうになった。


(どうしてこいつは、こんなにも……)


 ありがとう、と言いたかったのに、ごめんな……としか言えず、ナイーダはありったけの力で彼に抱きついていた。

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